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 殿上人日記

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2010年09月29日
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カテゴリ:愛知、三重の旅

 大きな灯篭

  家族4人で伊良湖岬に出かける途中で、先にまず
  立ち寄ったのは、御正月に三河の人たちが初詣に
  出かけ、日本三大稲荷の一つでもある「豊川稲荷 
  (とよかわいなり)」で、私は二度目の参拝となった


 豊川稲荷

  豊川稲荷と言うのは通称で、本来は曹洞宗のお寺で
  「円福山豊川閣妙厳寺」(えんぷくざんとよかわかく
  みょうごんじ)といい、北海道、東京都、神奈川県
  大阪府、福岡県に別院を持つ大寺院である


      鳥居があるけどお寺

  主に神社などで見かける「鳥居(とりい)」は、神域と
  人間が住んでいる俗世界を分けへだてる結界として
  また神域への入口としての一種の門の存在である


 何?

  その起源は、天岩戸に隠れた天照大神(アマテラス)を
  おびき出す為に鳴かせたという「常世の長鳴鳥(とこよの
  ながなきどり、鶏」にちなんで、神前に鶏の止まり木を
  置いたことが起源である


 鳥居

  更にインド仏教のトラナや、中国の華表や鳥竿、牌楼に
  朝鮮半島の紅箭門、イスラエルの移動型神殿、雲南省と
  ビルマとの国境地帯に住むアカ族の村の門(ロコーン)等
  海外に起源があるとも言われている


 豊川稲荷で

  明治政府は「神道」によって、国をまとめようとした為
  廃仏毀釈、神仏分離によって、寺院と神社はまったく
  別とされたけど、「神仏習合」によって神と仏は同居
  同座をしていた名残りであろうか


      横を見れば、すごい彫刻

  この神仏習合は、霊亀元(715)年に越前の気比
  大神の託宣によって神宮寺が建立され、奈良時代から
  国家的な動きとして広まり、鹿島神宮、賀茂神社
  伊勢神宮なども神宮寺が併設をされた


 やはり寺だ

  更には、宇佐八幡神は神体が菩薩形をとる神(僧形
  八幡神)となり、桑名の多度大神は神の身を捨て
  仏道の修行をしたいと託宣をしたそうである


     じっくり見れば、なかなか

  その逆に和銅3(710)年に、奈良の興福寺が春日大社を
  鎮守とし、お隣の東大寺は大仏の建立に協力をしてくれた
  宇佐八幡神を勧請して鎮守(手向山八幡宮)とし、延暦寺は
  日吉大社、東寺は伏見稲荷というようにと、その寺院に
  関係の深い神を、寺院の守護神や鎮守とするようになった


 寺なのに鳥居

  大阪の四天王寺、吉野の金剛峯寺、荼枳尼(だきに)天を
  祀る京都の真如堂(真正極楽寺)の門前にも、同様に
  大きな鳥居がある


      豊川稲荷

  稲荷神とは稲や養蚕、食べ物の神であったが、中世より
  商工業が盛んになると、生産や商業の神となり、さらに
  仏教でも荼枳尼(だきに)天と習合して祀られ、稲荷神の
  使いをキツネとする民間信仰が生じ、日本全国に広まった


 豊川稲荷景雲門

  豊川稲荷のご本尊は千手観音で、「稲荷」とは鎮守として
  祀られる荼枳尼(だきに)天の事で、鎌倉期の禅僧であった
  寒巌義尹(かんがんぎいん・豊川稲荷の法祖)が入宋して
  後に日本への帰国の途上で、荼枳尼天の加護を受けた
  為に、護法神として尊崇するようになったそうだ


 霊狐塚はこの先

  荼枳尼(だきに)天は、梵語のダーキニーを音訳したもので
  インドのヒンドゥー教や仏教の女神で、大黒天(シバ神)の
  眷属であり、死者の心臓を食らう夜叉として恐れられて
  いたが、大日如来の霊力に心服をして善神となったそうだ

      お稲荷さん

  ダーキニーはジャッカルにまたがっていたのが、中国や
  日本に伝わる際にジャッカルはいないので、その代わりに
  狐(夜干)に乗る荼枳尼天の姿となった


       光さす境内に祈りの旗

  荼枳尼(だきに)天は、この豊川稲荷のように開運出世の
  福徳神として信仰をされ、しかも荼枳尼天は人を選ばないと
  いわれているので、誰もが願望を成就させると信じられて
  博徒や遊女、被差別階級の人らからも信仰を集めたそうだ


 豊川稲荷

  無論、その霊力にすがるのは庶民ばかりではない。開基の
  今川義元や、織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康など
  戦国武将からの帰依を受け、江戸時代になると大岡忠相や
  渡辺崋山。更には皇族の有栖川家等も帰依し「豊川閣」の
  篇額を寄進した為に、豊川閣とも呼ばれるようになった


       見上げてみれば、大きな・・・

  マリナーズのイチローが、初詣に訪れる事でも有名だとか

  ちなみに豊川稲荷では「豊川だ枳尼真天(「だ」は口偏に
  「託」の旁)(とよかわだきにしんてん)といい、稲穂を荷い
  白い狐に跨っているお姿だとか


      開運の大黒様

  元々はヒンドゥー教の破壊神としてのシバ神(大自在天)が
  仏教に入ったもので、中国では床几(しょうぎ)に腰を掛け
  金袋を持つ姿となり寺の厨房に祀られたのを、最澄によって
  天台宗の寺院に祀られたのが、大国主命(おおくにぬし)と
  類似していたのが要因か、福の神となり商売繁盛を願う
  商家や農家の田の神として信仰を集めるのが「大黒天」だ


 諏訪和四郎の見事な彫刻

  この「景雲門」の彫刻があまりにも素晴らしいと思ったら
  諏訪大社の彫刻でも有名な、信州諏訪の立川流によるもの
  であった。初代の富棟は、江戸で幕府御用達建築彫刻師の
  立川小兵衛富房の元で修業し、諏訪大社、浅間神社など
  多くの社寺の彫刻を手掛けた名門だ


 B級グランプリでお休み~

  ちょうど、神奈川県厚木で開催をされていたB-1
  グランプリに出場をして、目当ての「稲荷寿司」の
  お店は臨時休業。40チームを超える全国のB級
  グルメの中で6位と健闘をしたそうだ


      黄金の灯篭

  富山の材木会社の社長さんが寄進された黄金灯篭は
  高さ1.8メートルの白御影石台座の上に、高さが
  約3メートルの青銅製の灯篭に、金ぱくを施したもの


 普通の灯篭

  そして最後に紹介をしたいのが、寺の裏にある慰霊塔だ

  東洋一の武器工場と言われ、日本海軍の機銃、弾丸の
  製造を行っていた「豊川海軍工廠(とよかわかいぐん
  こうしょう)」に昭和20年8月7日。米軍のB29爆撃機
  124機とP51戦闘機45機という大編隊の空襲があった


 豊川海軍工廠戦没者供養塔

  数千の爆弾、焼夷弾 無数の記銃弾が投下をされて
  12~13歳の国民学校児童や、女子挺身隊員を含む
  2700人近い尊い命が奪われ、爆撃は近隣の病院や
  一般住宅にも及び犠牲者も出たそうだ

  ところが翌日の新聞には「豊川付近に爆撃、若干の
  被害が有った模様」とのみ書かれていたという


      豊川稲荷で

          平成22年9月19日に豊川稲荷で撮影









最終更新日  2010年09月30日 09時13分49秒
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