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殿上人日記

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2014年10月06日
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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都の旅



台風の近づく週末は、しっかりと地域行事に駆り出され
ました。都会の淡白なお付き合いと違い、田舎のそれは
地域総出なんてのもあって大変だったりします。しかも
過疎化で老人だけの家庭も増えて、10年後どうなって
いるんだか




火曜日には朝から娘のところで用事があるので、当初は
前日の月曜に異動すればよいと思ってたが、台風18号の
接近で行事が終わり次第に、雨の中を国道19号を北上
大桑より北では小雨で済んだのだが




木曽町へ入ると御嶽山の噴火の災害派遣の車両が、幾台も
行き来していた。夏の南木曽の土石流と言いテレビで報道
されてると遠い所の事にも思えたが、やはり身近な場所で
起きてしまった事だったんだ




もう、この時間は松本では雨も上がっており、これならば
昨日でなく今日、移動すれば良かったかもと思いもするが
先の事はわからない。その時に最良の努力をすれば良いの
だし・・・皆さん、台風のご被害などありませんでしたか?




といった訳で、ブログの日記は9月21日に娘と出かけた
京都の続き。前回は娘が食べログの点数の高いうどん屋に
行きたいと岡崎に出かけたので、思いもよらぬパトレイバー
なども平安神宮の前で見物が出来て




屋根と空を撮ろうと見上げたら、虹ではなくて太陽に薄い
雲がかかった際に、その周囲に光の輪が現れる「ハロー
(日暈)」も見れた




なんだかツイてるし~




前にも紹介をしたように、漫画&アニメのイベントをして
いたので、若い子の姿も多い。B級グルメのイベントもやって
いたけど、うどんを食べてきたのでパス




岡崎にある「京都府立図書館」は
>日本で初めての公立の公開図書閲覧施設である京都集書院を
>前身とし、1909年(明治42年)に現在地である岡崎の地に
>開館した。       ウィキペディアより

     


平成23年に武田五一氏が設計をして、正面部分の壁面を保存
しながら建て替えを行ったそうです




なかなか見どころ一杯の岡崎だった。ここからはてくてくと
南に歩いての東山散策




まずは、大きな楠(くすのき)が印象深い粟田口の「青蓮院」で
ある。三千院、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とも言われて
格式も高いお寺で、天明の大火で内裏が焼失した際に後桜町上皇の
仮御所となった事があるので「粟田御所」とも言われている


      

更には日本三不動の「青不動(不動明王ニ童子像、国宝)」のある
寺としても知られており、以前に拝見した事がある




知恩院の塔頭の一つ「崇泰院」の前に、親鸞上人旧御廟所、本願寺
発祥地、蓮如上人御誕生地との石碑があった。親鸞聖人の末娘である
覚信尼がこの地に廟堂を創建し、遺骨と御影像を安置したそうで
これが本願寺の始まりともなった




1415年はこの大谷本願寺で第8世蓮如が生誕し、1465年に
比叡山の僧兵に破壊されて山科本願寺を建立るまでは本願寺の地で
あった。後に知恩院の拡充に伴い親鸞聖人廟所が大谷本廟(西大谷)へ
移され、その跡地に開創されたお寺なんだとか




そして「知恩院」の巨大な三門は高さが24メートルもあり、東大寺
南大門より大きく、日本の寺院の三門(山門)の中では最大の二階
二重門である




そこを過ぎると、有名な枝垂れ桜もある「円山公園」だ
>明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や円山安養寺の境内の
>一部であった。明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に
>上知令によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積
>約9万平方メートルの公園が設けられた   ウィキペディアより




高知県出身の自由民権運動家で、自由党員であり実業家の今幡西衛らの
尽力によって建てられた「坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像」慶応3年秋に
龍馬が宿にしていた河原町の近江屋で、京都見廻組に襲われて亡くなった
坂本と中岡は京都霊山護国神社の霊山墓地中腹でねむっている


      

大雲院の「祇園閣(国の登録有形文化財)」は、財閥の大倉喜八郎の
別邸「真葛荘」に昭和3年に建てられた、祇園祭の鉾を模したものだ




白河法皇の寵愛を受け、祇園に住んでいたので「祇園女御(出自不明
正式な女御ではない)」と呼ばれた女性もこのあたりに住んでおり
祇園女御供養塔があった





月は朧に東山~♪とは、祇園小唄の冒頭の一節。昭和5年の歌謡曲で
(作詞は長田幹彦、作曲は佐々紅華)、金森万象監督によるサイレント
映画「祇園小唄絵日傘」の主題歌なんだとか




長く高台寺道として知られていたが電線地中化工事を終えて、御影石を
敷き詰めた石畳の道は、高台寺で余生を送った北政所ねねにちなんで
「ねねの道」と呼ばれている、いかにも京都らしい風情ある道だ




娘からの京都らしいところに行きたいとの事前の要望に、思いついたのは
やはり、ここ東山。知恩院から清水寺に至るエリアだった




この付近には「東山路傍の触れ仏」があり、9種類の仏像や仏具が
置かれており、各々に触れることでご利益があるそうで、こちらは
春光院門前の摩利支天像。摩利支天はインドの神様で、護身や得財
勝利などのご利益があり武士を中心に信仰を受けてきたそうだ




てくてくと・・・どこにカメラを向けても絵にもなる上に、ご利益
まで得られるとは!




知恩院以北の静けさとうって変わり、清水寺に近づいてくると観光客の
人出も随分と増えてきて賑わしくなってきた




新撰組ファンならみんな知っている「御陵衛士」とは、孝明天皇の陵
(後月輪東山陵)を守るための組織で、高台寺塔頭の月真院を屯所と
した為に高台寺党とも言われている。伊東甲子太郎が思想の違いから
新選組を離脱。新選組から隊員を引き抜いて結成したもので




中には近藤四天王とも言われた生え抜きの藤堂平助や、斎藤一(新選組
側の間者と言われている)も名を連ね、後に新撰組の手による静粛の
油小路事件へと・・・。幕末の京都は血なまぐさいものだったようだ




                       平成26年9月21日に京都で撮影





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最終更新日  2014年10月06日 22時44分24秒
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