2016/12/19(月)17:04
あの秋の日に浜松に出かけたのは、ゼロが飛んでいたので
おっちゃんも少年時代に戻って、ワクワクするような
空間が目の前に広がっていた。おばちゃんもやっぱり
ワクワクしたのは、航空自衛隊浜松基地のお隣にある
エアーパーク。航空自衛隊浜松広報館の展示格納庫だ
1999年にオープンをした航空自衛隊初のテーマパークで
航空自衛隊で活躍していた航空機やパイロットの携行品など
装備品の展示を通し航空自衛隊の任務や活動、航空機の
メカニズムを紹介している
しかも自衛隊の広報活動の趣旨からなので、大人も子供も無料!
かつて、2位じゃダメなんですか?という事業仕分けによって
一時期、有料化もされたそうだが来場者数がガクッと減ったので
このままでは広報の意味がないからと、再び無料に戻ったそうだ
10月に旦那の運転で、娘と一緒に浜松までやってきたのは
新東名サービスエリアや鍾乳洞、浜松餃子が目的ではなくて
ここで展示されている、日本海軍の零式艦上戦闘機。またの
名をゼロ戦(れい戦)をはるばる見にやってきたのだ
何故、ゼロを見たくなったかというと夏の終わりに
旦那とシンゴジラを見た事で(娘は君の名は)→旦那が
レンタルで永遠のゼロを借りてきて→私がNHKの番組
収録までの時間に、久々に靖国でゼロ戦を見ていたら
ちょうど旦那が電話をよこしたので自慢したら→旦那も
ゼロ戦を実際に見たくなったって訳です
子供が小さな時に一度、家族出来た事はあるけども
さほど、ゼロ戦は意識していなかったかもしれない
しかも、ここのゼロ戦は日本で唯一、飛行展示を
している(吊り下げられているだけ)ので、下から
横から眺められる
グアム島のジャングルで昭和38年に発見されて
米軍が返還輸送し三菱重工で修復、復元された
零戦52型だそうだ。搭乗員は尾崎伸也大尉で
6月17日零戦12機の指揮官としてグアムへ着任
7月19日グアム島の上空で敵艦戦を迎撃し、激しい
空中戦を展開。尾崎大尉は敵2機を撃墜したが被弾し
アガナ付近のジャングルに不時着をした。すぐに地上
部隊が大尉を救出したのだが野戦病院で亡くなられた
富士重工のT-1A練習機は、T-6練習機の後継機として
配備された国産ジェット練習機で、主に13飛行教育団に
おいてジェット練習機として使用されていた
なんて感じで格納庫に様々な機体が並んでいるのは
やっぱ壮観だ。しかもフライトスーツやヘルメットを
着用して見学ができて、写真を撮ればコスプレ気分
どことなく愛嬌のあるフォルムのこの機体は、三菱重工の
MU-2救難捜索機で、民間型をベースに様々な装備を
搭載し救難捜索機として使用された
ノースアメリカンのT-6練習機はアメリアの映画などで
塗装などで似せて、ゼロ戦の飛行シーンに使われたり
していたそうだ
前から見るとこんな感じ。上空のゼロと比べていかが
ですか? 航空自衛隊には飛行教育を主に使用。また
捜索救助用としても活用された
どことなくアートな重なり
三菱重工のT-2高等練習機のブルーインパルス仕様。やっぱり
かっこいいですね。小牧基地において1971年7月20日に
飛行、11月19日にはアメリカでの超音速飛行試験でマッハ
1.09を記録し、日本航空史上初の超音速飛行を成し遂げた
デ・ハビランドDH.100バンパイアは英国のデ・ハビランド社が
開発し世界各国で使用されたジェット戦闘機だそうですが
なんとなくアナログなSFぽいフォルムをしているような
ロッキードのマッハ2を飛ぶ超音速ジェット戦闘機の
F-104J戦闘機は、G型を基に日本での要撃任務用途に
あわせて、火器管制装置などを改良したものだそうで
三菱重工がライセンス生産をしていたらしい
さすがに無料の人気施設だけに、かなりの人たちが
見学に来ていた。やっぱ若い男子率が高めかも
T-3練習機。ウィキペディアによれば
>航空自衛隊のレシプロエンジン単発の初等練習機
>パイロットが最初に訓練するために乗る事を目的と
>した機体。富士重工業が製造した。30年間近く
>パイロット育成に使用され、2007年(平成19)
>4月23日に退役した
手前のは米国のシコルスキーによる救難ヘリコプター
H-19で、海難救助にも使用されたらしい。奥のは米国
ボーイング・バートルの救難ヘリコプターV-107
最初はF1戦闘機の代替と言う事から「次期支援戦闘機(FS-X)」と
言われたF2は実機が完成して後はXF-2A・XF-2Bと言われるように
なったそうだ。これは試作機1号機みたいだ。三菱重工
政府専用機の座席は座る事が出来、気分は要人
航空祭の花形、ブルーインパルスコーナー 敬礼っ!
こうゆうの見ててもワクワクしちゃいますね、やっぱ
展示はますますメカニックになっていきまして・・・
大型スクリーンによる映像コーナーもありまして、飛行機も
空をガンガンと飛ぶ映像化と思ったら、何やらスポ根にも似た
病気まで絡めたミニドラマ。あぁ先が読めすぎるし・・・汗
あぁ~やっぱりなという、お決まりのラストシーンなんぞを
見て、実機見てた方が良かったな・・・と。なんと次の週は
浜松での航空祭だったみたいで、ブルーインパルスも飛んだ
みたいだし
ネットなどを検索すると、当日の抜けるような青空に飛ぶ
ブルーインパルスが描くハートマーク。見たかったなぁ
一眼レフ持参で
とは言っても娘はそうゆう硬派なイベントは嫌いなので
逆に敬遠されてしまったと思う。今回だってゼロを見に来た
訳だが、娘の方はこの後に出かけた大きな浜松のイオンが
お楽しみって事で
娘が行きたがっている中部各地の大型ショッピングモールを
連れまわされている。目下、テレビでよく取り上げられている
名古屋近郊の長久手にオープンしたばかりの、イオンモールに
行きたいばかりで、そこは長久手古戦場の跡地らしい。一度
個人的にお隣の古戦場公園は行ったことがある
織田信雄&徳川家康軍と羽柴秀吉軍が激突した小牧・
長久手の戦いは壮絶な戦いとなり、池田恒興や蘭丸の
弟の森長可といった名だたる武将が戦死し、首塚や
血の池公園などというおどろおどろしい遺蹟もある
次の大河の井伊直虎が育てた井伊直政も長久手の戦いで
>直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、一躍天下に
>名を知られるようになる。また小柄な体つきで顔立ちも
>少年のようであったというが、赤備えを纏って兜には
>鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らして
>いく勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名
>から恐れられた ウィキペディアより転載
米国のカーチス・ライトのC-46D輸送機は当初は民間の
旅客機として開発されたのだが、第二次世界大戦では軍用
輸送機として採用されたそうだが、どこかレトロな感じだ
パイアセッキ・ヘリコプター(後のボーイング・バートル)の
H-21はその形から、空飛ぶバナナと呼ばれていたそうだ
シン・ゴジラを見た事から今年の後半の行楽は、えらく
硬派な行き先ばかりになってしまった。そうそう今日は
日本初飛行の日であるそうだ。明治43年12月19日に
東京・代々木錬兵場(代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が
日本初飛行に成功。飛行時間は4分、最高高度は70m、
距離は3000mだったそうだ
平成28年10月8日に静岡県浜松市で撮影
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