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殿上人日記

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2018年06月17日
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テーマ:海外旅行(7012)
カテゴリ:韓国旅行


いよいよ、娘と4月上旬に出かけた韓国の​
お花見ツアーも最後の観光先となりました
海雲台のホテルを出て近くの海東龍宮寺の
拝観をして釜山市街に戻ってきた訳ですが




中山道が美濃の中津川から険しい峠を越えて
木曽に至る山腹の馬籠宿に住んでいるので
恵那山も正面に見えて風光明媚でいいけど
冬は道が凍結して、車が大変なのが玉にキズ
程度に思っており




岩村とか、城の建つ山腹に城下町が形成されて
金華山の岐阜城とか、山の上には偉い人が住む
もんだって認識だったが、韓国の「陰宅(墓所)
風水」では、見晴らしが良く風通しの良い山腹
などは、お墓を建てるのにぴったりらしくって
かつては山にあるのはお墓かお寺だったそうだ




ソウルや釜山の街なども、坂をぐんぐん登った
山腹には貧しい人が住んでおり、空の月に手が
届きそうだとか、バラックの隙間だらけの屋根
から月が眺められるので「月の町(タルトンネ)」と
呼ばれ、朝鮮戦争で行き場のなかった人たちが
集まってテントなどを張って暮らし始めた集落も




釜山のチャガルチ市場などもある繁華街のすぐ
裏手の山腹である甘川洞(カムチョンドン)も
そんな貧しい月の町の一つであったが、近年に
なって、アートな街として注目を浴びている




東西を山に囲まれて、南側には海を望む斜面に
朝鮮戦争の際に避難してきた人々が住みついた
迷路のように入り組んだ路地が特徴的な貧しい
月の町だった




その独特の風景に魅了をされたアーティストらが
次々と移住し、2009年にはパブリックアートを
取り入れた町おこしが行なわれた事で、カラフルに
塗り替えられた家が所狭しと建ち並んだ甘川文化村
(カムチョンムナマウル)に生まれ変わったのです




釜山も以前にも複数回来ていて、フリーでもあちら
こちらに出没をしていたのに、ここは知らなかった
で、ツアーの目玉である鎮海の桜というのが一番で
あるけど、3日目の釜山観光で甘川文化村が入って
いたのも、このツアーに参加したいと思った一因だ




町の入り口にもなりそうな所でバスを降りてから
集合時間を決めてのフリータイムだったが、あぁ
もっと時間があったらなぁ~と思わせるような
ワクワクするような街並みだ




まっ昔は若い女性が敬遠するような町であったの
かもしれないが、ホント、街も生きているんだな
ソウルにある梨花洞壁画村(イファドンピョックァ
マウル)もまた、同様の試みがされているそうだ




前々回では海辺に建つ高層マンションを紹介したが
朝鮮時代を経ての現代においても、光があれば影も
ある。格差社会を肌に感じる事も出来るような気も




年老いて、こんな階段ばかりは辛いだろうなぁ~
とか考えるが、うちのあたりも坂ばかりで足腰が
鍛えられるせいか、年寄りもご長寿ばかり




今はコンクリートなどで整備された路地の階段も
朝鮮戦争時には、避難してきてお金も物資もなく
山には墓地があったとかで、ネット検索をしたら
日本人の墓石を家屋の基礎や階段にしてるような
写真などもあった




アートじゃない月の町の現状などもあるので、もし
興味があれば ↓下記リンクの記事をご覧ください

“日本人の墓”でできた韓国スラム街「タルトンネ」に潜入! 日本人の墓をイメージしたゆるキャラも…!




高台には小さな展望台があり、町を見晴らす事が
出来た。この町が出来てから数十年以上の年月が
流れても南北が分断されたままだとは、思っても
いなかったんだろうなぁ




朝鮮戦争(1950~53年)は、第二次世界大戦
後に、南北で米ソの分割統治下に置かれた朝鮮半島
における東西両陣営の代理戦争というべきもので
生まれ故郷に戻れなくなった人々や、 家族が離れ
離れになってしまい、南北の分断は決定的となった
事で1000万人とも言われる多くの家族が南北間で
離れ離れになってしまった




韓国と北朝鮮の国交が樹立し、2000年代になり
離散家族再会事業が開始されたが、全員の希望が
かなえられる訳ではなく、抽選などによる限られた
人だけのようだ。彼らの多くは既に80歳を超えて
一目でよいから肉親に会いたいと思っている




更に韓国国内でも戦火を逃れるうちに身内と
離れ離れになってしまった家族も存在しており
1983年に「離散家族を探します」という
138日間にも渡る生放送番組では約5万人が
参加をし、1万人程が家族に再会できたそうだ




日本でも国策によって満州に渡った人が
終戦になっても帰国が出来無かった中国
残留孤児が家族を探す為に沢山の写真が
新聞に載っていた時期があった。姑の
叔母と幼い従妹も行方不明であったので
新聞の写真で面影を探していたが再会は
かなわなかった




そろそろ集合時間にも近づいてきたので
同じ道を辿っていくが、もう小一時間程
あったらなぁ・・・。観光地をロスなく
安くまわれるが、こういった時に自由さが
ないのがツアーの欠点でもある




美味しそうな匂いもただよって、娘は
食べたそうだが時間もない




こんな階段もあてどなく、ぐんぐん降りて
いってみたいんだけど




集合時間には皆さんお揃いになっており
待ちかねたように大きな道に観光バスも
やってきたのでそれに乗り込んだ




釜山の繁華街から見る月の町。さて後は
金海(キメ)国際港空港に向かうだけと
なった




途中には大きなスタジアムがあった




金海国際空港のすぐ横にあった商業施設の
一角の土産物屋さんに寄り、最後のお買い物
私もふりかけなど食品などをお土産に購入




金海(キメ)国際空港にお昼頃に到着。あっと
いう間の2泊3日は、満足のいく旅行だった。
待ち時間もたっぷりあるが、機内食もでるので
スイーツなどを食べてみた




せっかくの窓際の席なのに、下界は雲で
遮られていた。残念




大韓航空の機内食。パン残しちゃった




あっという間に日本列島に戻ってきたようだ
あぁ、雲が無かったらなぁ




じゃじゃじゃ~ん。午後には名古屋駅前の
見慣れた高層ビルを見上げてました




やっぱ街がきれいな気がする




ナナちゃんだぁ~




機内食がいまいちだったんで、お腹も空いて
いたので親子丼を食べた




飛行機がセントレアから午後に出発し
午後に到着したので、家からの行き来は
とても楽だった。瑞浪駅裏の駐車場に
車を停めているので、そこまで電車で
GO




お土産はいつも購入するひまわりの種とか
伝統茶のステックなどなど




更に韓国のりや昆布のお菓子




こちらは免税店来店や、ホテルに
現地ガイドさんから貰ったものなど




夕刻に帰宅したので、近くのスーパーで
安くなったお総菜などを購入して久々の
日本食。




              平成30年4月9日に撮影

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最終更新日  2019年02月04日 15時38分09秒
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