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テーマ:海外旅行(7020)
カテゴリ:旅のいろいろ
2月からここで紹介をしていた、娘と 1月下旬に出かけた、2泊3日の上海 無錫、蘇州の格安旅行の紹介も遂に 最終の日記となった 一番最後に紹介するのは「新場古鎮」で 上海市街を離れて、上海浦東国際空港に 向かう途中でのフリータイム観光だけど 豫園商城同様に、あまり時間は無かった ような 駐車場から細い路地を通って、主要な 観光場所まではガイドさんに連れられ そこで解散し、あとは集合時間までに 駐車場で待つバスに戻るという訳で 折りたたみ傘も用意したが、なんとか 使う事もなく帰国が出来そうだ。こんな 狭い路地で、傘はあまり使いたくないし カメラで写真を撮るのにも邪魔になる 駐車場へ戻る角のお店をしっかりと 覚え、集合時間まであまりないので てくてくと歩く。向こう側にも平行 して路地があるようだし 少し歩くとお店屋さんもあり、何だか 賑わったエリアに突入。前を行くのも 同じツアーのご夫婦だ こんな狭そうな通りでも、新場大街と いうらしくって、人通りもここだけは 多いように思いました このようなお店や こんな食べ物や こんなのや こんなのも店頭に売っていました さて新場古鎮は、上海の郊外にあり 空港にも近い事から、こういった 旅行でも観光先に利用もされるよう だが、こういった水郷古鎮で有名 なのは 京杭大運河にも近い杭州とか、蘇州 あたりにあるもので、西塘とか鳥鎮 朱家角、周庄など街を巡る水路により 水運で栄えていた往時の姿を、色濃く 残しています ここ新場は千年ほど前に、塩を生業に 町が発展して、かなり栄えていたそう である そして、明や清時代の古い建物なども 残る町並みがある訳だが、こういった 所が結構まるそうだけど再開発という 話もなく、次世代に保存をされていくん だろうか? 昼間だけの土産物屋ならともかく 実際にこういった古い町の、古い 建物だと最新の電化品に囲まれた 現代生活をおくるのはかなり困難 にも思えもする 家と言うものも人が住んでいないと 傷んでしまうし街も廃れるが、そこで 暮らしてる人たちの暮らしもあると 思うとね・・・ とりあえずエアコンの室外機もある ようなので結構、快適にリフォーム しているのかもしれないし さて今年のベネチア映画祭で最高賞の 金獅子賞だったのは、ROMA/ローマ だったけど、2007年にはアン・リー 監督のラスト、コーション(色,戒) であった その映画でここ新場古鎮でも、ロケが 行われたそうで、この第一楼も映画に 出てきたらしいです。その映画は見た 事はないですが、アン・リー監督の他の 作品は幾つも観ました グリーン・デスティニーや、ハルクとか いつか晴れた日に、ブロークバック・ マウンテン、ライフ・オブ・パイ/トラと 漂流した227日と、どれも印象が強いです ユーチューブにラスト、コーションの 日本語版の予告編があったので、↑に 貼り付けましたが、日本ではR-18指定 だそうです。 ウィキペディアによると >アイリーン・チャン原作の小説『惘然記』に >収められた短編小説「色・戒」を映画化。 >第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、金獅子 >賞と金オゼッラ賞(撮影賞)を受賞。第44回 >金馬奨にて最優秀作品賞・最優秀監督賞・ >最優秀主演男優賞(トニー・レオン)を受賞。 >第二次世界大戦中、日本軍による事実上の >占領下となっていた香港と上海を舞台に、 >日本の傀儡政権である汪兆銘政権の下で、 >抗日組織の弾圧を任務とする特務機関員の >暗殺計画をめぐって、暗殺を目論む女スパイ >(工作員)と、暗殺対象となった特務機関員 >との間に芽生えた愛情のゆくえを描いた物語。 人気男優のトニー・レオンと、オーディション で約1万人の中から選ばれたタン・ウェイ出演 日本国内でも高い評価を受けた映画のようだ この登場する女スパイには実際のモデルが いるそうで、鄭蘋茹(テン・ピンルー)と いう。女スパイと言うと川島芳子が有名 なのだが、李香蘭といい日中のはざまで 激動の時代に翻弄された女性が他にもいた とは ウィキペディアによると・・・ >1918年(民国7年)、浙江省蘭渓市に >生まれた。父・鄭越原は孫文を慕って >中国同盟会に参加した事があり、母は >日本人だったこともあって、早くから >日本に対して、親近感を抱いていた。 >1932年~1934年にかけて上海の明光 >中学(民光中学とする説も)高等部に >在籍。後に自身の運命を決定づける >丁黙邨は同校の代表理事であった時期が >あり、このときに二人は出会っていた >可能性がある >美貌でしなやかな肢体を持っていたと >言われ、上海のグラビア雑誌『良友画報』の >表紙を飾った事もあった。やがて自身の >容貌を活かして、抗日運動に身を投じ、 >その過程で近衛文隆(近衛文麿元首相の >長男)と知り合った >しかし、1939年6月4日に近衛暗殺未遂 >事件があり、危険を察知した大日本帝国 >陸軍幹部は近衛を日本に送還(その後、 >満州へ召集令状が出された)し、二人の >関係は終わった。その後、重慶国民政府の >特務機関・中央統計局から重大な命令が >下る。 >それは汪兆銘政権傘下の特工総部(ジェス >フィールド76号)の指導者となっていた >丁黙邨を暗殺せよというものであった。 >鄭は丁に近づき、1939年12月21日、丁の >暗殺計画を実行するも失敗に終わった。 >そして特工総部に出頭し、そこで構成員の >林之江らに捕らえられ、監禁された。 >1940年2月の春節前林らによって上海郊外の >滬西区中山路に連行され銃殺された。享年22。 >没後、中央統計局の後身である中華民国法務部 >調査局より殉職烈士に認定され、また彼女の >悲劇と数々のロマンスは、多くの小説映画の >モデルとなっている 最後の日。中国人官吏から「今日は映画に 連れて行くから支度しなさい」と言われた 鄭蘋茹は、金色の靴を履きおしゃれをして 車に乗り込んだのだが、上海から郊外へと 車が向かうと、自分の身に何が起こるのか 気がついて泣き叫んだ しかし二人の男に両脇を抱えられ引きずり 出され、事前に掘ってあった真四角の壕の 前に座らされ死刑宣告文が読み上げられた 彼女は中国語で「顔を撃つのだけは止めて」と 訴えたが、宣告文が読み終わると後頭部を 撃たれたそうである 鄭蘋如、川島芳子、李香蘭。立場こそ違うと しても時代に翻弄され、その難しい立場の中で 必死に生き抜こうとしていたのかもしれない 日中戦のはざまで 鄭蘋如(テンピンルー)の悲劇 前編 日中戦のはざまで 鄭蘋如(テンピンルー)の悲劇 後編 美貌のスパイ鄭蘋如 ふたつの祖国に引き裂 (単行本・ムック) / 柳沢 隆行 著 美貌の女スパイ、鄭蘋如が闊歩した租界 時代の上海の事を「老上海」と呼ぶそう である まさに様々な姿、そして今は遠き時代の 面影を垣間見せてくれた上海は、かつて 魔都と呼ばれていたとしても、不思議は ないだろう。この古鎮でも、かわいい わんこがうろうろしていた 水路に浮かぶ小舟に乗る為の階段が 今も残る 通路にあったポストは緑色 一期一会とあるところには、なにやら いっぱい下がっていた 水路際の屋根のある通路を、ぐんぐん 歩いてきた。もはやここまでやってくる 観光客も誰もいない そろそろ戻らないとまずいかな。でも ここまでやってきて良かった。なんか 趣のある橋だし。こうして1月下旬に 娘と出かけた2泊3日上海、無錫、蘇州の 旅は終わった ここからは近況。昨年秋の頃から 姑が頬に出来たできものが治りが 悪いと、市内の皮膚科の病院へと 行くと、総合病院へ案内状を貰い 連れて行ったら悪性腫瘍(癌では ない)だからすぐに、手術という 事で 部分麻酔のイボを取るものなので 事前に、心電図などの検査が無く 先週、手術をして貰って、術後に 点滴などもあり、3月は姑の病院 通いで何度も病院に出かけている 経過もよく、次の予約は4月中旬 でいいそうだ 昨日は春のような陽気の中、車も 窓を開けると花粉も飛んできそう なので、冷房を入れ病院に向かって いると、姑が唐突に恵那のお母さん (私の母親)のお墓参りに連れて 行って欲しいと言い出した 何でも私の母親が夢の中に出てきた ので、お墓参りもずっとしていない 事が気になったそうで、病院の後に 途中で、お花とペットボトルの水と お線香と、ライターを買っていって きた NHKの朝ドラでも早くに亡くなった 主人公の姉が、いつも家族の夢の中に 出てくるが、私も長野五輪でジャンプ 優勝に感動した2月下旬、春のように うららかな日に亡くなった母親の夢を 何度か見た事があるが つい10日ほど前にも、母親の夢を 見たばかりだった。夢の中では母親と いつも旅行をしている。旅の番組が 好きで70近くになって膝を悪くし 寝たきりになると、ベッド脇にある テレビでいい旅夢気分と、旅サラダを いつも見ていた そんな母親とは実際には、ヨーロッパ周遊 九州、山陰等10回程しか旅行してないが 桜の好きな母親だったので、二人でお花見 旅行に出かけた奈良の吉野山と、京都での 哲学の道は良い思い出になっている そんな母親だが亡くなる少し前には 妄想が始まり、家の2階に男と女の スパイが潜んでいるから、危ないし 子供は連れてくるなと、真剣な顔で 話していた。中国の旅はこれでお終い! 平成31年1月28日に上海で撮影 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅のいろいろ] カテゴリの最新記事
こんにちは。
なぜか目について気になるのが運河の家のエアコンの室外機、 電気屋だから気になるのも仕方のないことだがどうやって取り付けたのだろう もし運河が浅くて長い二連梯子が建てられたらできるではあろうが・・・ 私は日本の電気屋でよかった、 このような軽業はできそうにありません。 応援クリック完了。 ありがとうございました。 (2019年03月21日 12時52分06秒)
とても歴史感じる町並みですね。
(2019年03月21日 13時03分10秒)
2泊3日でしたが充実した旅でしたね。
初めて中国に行ったのは、母と一緒に行ったパック旅行です。 最初は上海蘇州を考えていましたが、商社勤務の人の勧めで上海、北京、洛陽、西安を回りました。 1980年代でまだ不便な時代でした。 ヨーロッパも旅し、ともにブログアップ済みです。 (2019年03月21日 13時45分57秒)
古い街並みですね。
川を挟んで両側には家が立ち並んでいますが、川のそばだと湿気や匂いはどうなのかななんて思ってしまいました。 自由散策、コマ地図を頭にいれたのでしょうね。細い同じような道を歩かれたのでしょうから・・・。 迷わず駐車場に戻れたのは素晴らしいです。 (2019年03月21日 15時08分03秒)
水路があって古い民家が連なって、これもよい観光となりましたね。
一軒が直すなんて言い出したら両隣どころか長屋のようで大変なことに なりそうな。このまま残して欲しいと観光客は勝手なことを言います。 桜の時期となるとお母様のこととダブルのですね。数回、旅を共にしておいて 良かったですね。私も足腰が丈夫なうちに出来るだけ出かけましょうっと。 (2019年03月21日 16時41分00秒)
夢穂さんへ
こんにちは 嵯峨野巡りの終盤 嵯峨野に侘びしい場所が有りました 大切なことですが弘法大師さんが無縁仏を一同に会し 供養されました御釈迦さんが中心で石仏たちが救われ 法話を聴く形で異様と言えど考えさせられます (2019年03月21日 16時46分33秒)
こんばんは
古鎮の光景 懐かしさが でてきます トンカツ 古老を撮りましたら 激怒 手を出してきました 無視して 通り過ぎました 若い夫婦は 郊外に出ていくでしょうね (2019年03月21日 19時35分35秒)
サクソフォンを吹くおじさん
雑多な感じの街並み いい雰囲気ですよね~! 羊肉館?ジンギスカンとか?(笑) 商売柄どうしても街並みや建物に関心が向いてしまうのは悪い癖です・・・ 夢穂さんちの近くの宿場も風情があっていいですよね~ 実際に暮らされる方にとっては一長一短なんでしょうけれど・・・ (2019年03月21日 19時41分54秒)
ノスタルジックな街ですね。
路地裏や裏通り、曲がり角の先、水辺の風景などワクワクします。 実際には、海外の知らない道は迷子になりそうで不安ですけど(笑) お姑さんは重病でなくて良かったですね。 (2019年03月21日 20時06分15秒)
歴史を感じる建物ですが、エアコンの室外機とかあるのですね。
ブレーカーとか落ちないのかしらと心配になりました(笑) こういう建物で税勝つしている人がいることがすごいですね。 鄭蘋如 さん最期の瞬間に「顔だけは撃たないで」と言ったという話は聞いたことがあります。 (2019年03月21日 20時23分12秒)
植民地支配って歴史を顧みるといつも思うのですが。。。。
アメリカはフィリピンに謝罪したのでしょうか?、 イギリスは?、オランダは?、フランスは? 日本は負けたから批判されているけれど、結局のところ植民地に謝罪した宗主国って無いんじゃないのかなと思いますね。 勝てば許されるのならそれはようは勝てばいい訳ですから、勝てば官軍、力こそすべての正義なんじゃないのかなと思いますね。 という観点から先の大戦を振り返り東京裁判というものを考えると、あれは裁判の名を借りた敗者への制裁に他ならない。 非人道的な支配をおこなってきた多くの宗主国は当時の植民地に対して常に謝罪と贖罪の気持ちで接してきたのだろうか?違うのではないか? さればなぜにわが国だけがそれを持ち続けねばならない理屈があるのだろうか? と思いますね、 既に長い時が流れた過去のことです、互いに何時までもそこにとらわれ続けるのは何とも愚かなことでなかろうか、 というかですね、絶対に許されないのなら・・・・ 滅ぼされるか滅ぼすかしか道はないわけです。。。。 こうして過去に幾たびの戦争が繰り返されてきたことか、平和条約を結んだら過去の罪は問わないというのは戦争の連鎖を断ち切るための人間の知恵。 しつこく謝罪を求め続けるという姿勢も又、平和からは程遠い道。。。。 (2019年03月21日 20時48分41秒)
今晩は。
大都会の姿だけでなくこのような郊外の古びた歴史ある風景もいいものですね。 グリーンデスティニー、懐かしい映画が撮影されたと知り興味深いです。 私は母親と旅行に出たことがないです。 今は93歳でサ・高・住に住んでいますが、夢穂さんはお母さんがお元気な時に一緒に旅された思い出があって良かったと思います。 (2019年03月21日 21時14分14秒)
素敵な町並み、絵になる風景が広がっていますね。
さすが歴史ある中国! (2019年03月21日 22時33分39秒)
お早う御座いま~~~す♪
古い中国の街並み美しいですね! 近代化も凄いですけど、この様な所も 楽しめて良いです(o^-')b 中国のワンコ可愛いですd(^-^)ネ! 応援ポチッと押させて頂きます! (^_^)ノ"""" (2019年03月22日 09時22分32秒)
すごく雰囲気のある場所ですね♪
素敵です(*^^*) (2019年03月22日 12時50分50秒)
中国には古い街並みがたくさん残っているので、時代劇の撮影に使えそうですね(*^_^*)
しかし、凄い色の饅頭が売ってますね。 どんな味なんですかね? (2019年03月22日 14時24分36秒)
味のある運河の街ですね。
日本はこういう景色は残ってないですね。 御茶ノ水あたりも、こんな景色だったのかもしれません。 マンションも建ち始めているようで、今後は心配ですね。 舟で観光できれば、人気も上がるでしょうね。 (2019年03月22日 22時35分32秒)
おはようございます。自治会の総会が3件続きます。昨日、報告側だった1件目が終了、一安心です。
娘さんと行った無錫と蘇州の旅も最終局面ですか、旅が好きだったお母さんを思い出しますね。 今日も良い一日をお過ごしください。応援!! (2019年03月23日 07時41分52秒)
2泊3日で濃い旅行ができるのですね
旅の達人ですね こんな街並み、ずっと歩いて行きたいです・・・迷うでしょうが 昔観光客を入れ始めた中国を旅したときは、古い建物にペンキでスローガンが書かれていて無残なことになっていましたが 最近は保護して観光に役立てているようですね (2019年03月23日 11時31分57秒)
やっぱりこういうところは趣がありますね
時間があったらもっと散策できたのにね・・ でも若いから他の人より、遠出が出来たとも言えますね 私達なら迷子になりそうです (2019年03月24日 16時17分25秒)
こんばんは。
2泊3日上海、無錫、蘇州の旅、とても内容ありましたね(^^) 近代的な街から、古い街まで、充実した内容でした(^^) スパイはいつの時代も大変ですね(汗) 今もいるのでしょうけれど、日本はスパイ天国らしいですね(^^;) (2019年03月24日 23時53分33秒)
1080年代あたりから海外旅行が
身近になってきましたね。バブルも はじまり、会社の慰安旅行で海外に 出かけたりとか。私もヨーロッパ周遊 出かけたのはバブルの頃です (2019年03月25日 08時02分16秒)
碁盤の目のようになった町並みなので、まず
ど真ん中の起点になる場所から真っすぐ商店街 行って戻って、今度は運河沿いに行って戻って という感じでわき道にそれませんでした (2019年03月25日 08時07分50秒)
日本の古い建物は、江戸だなぁ~
とかわかりますが、明とか清とか いわれても。でも古いなぁ・・・と いうのはあきらかにわかりますよね サックスフォンの音色、しぶかったです (2019年03月25日 09時27分02秒)
うちの3年前までの古い家も、電気の
契約が小さくて、電子レンジ一つですら 落ちる事があるので、大きくしようと したんですが、電線が古いのでこのまま じゃ出来ないと言われて、エアコンも なかったです (2019年03月25日 09時57分51秒)
明治初期の征韓論は、明治新政権成立後の
士族の不満を外に向けようとした意図も ありましたが、やはり日本をたたく事で 現政権下における内政での人気取りとか 引き締めのような意味合いもあるんで しょう。どちらも島の問題がありますし (2019年03月25日 10時05分04秒)
たった2泊3日なのに随分と何度も
わけて紹介できたのは、やっぱり 中身が濃かった為なのかもしれません こうやってブログを書くことで、旅の 記録が出来るのはありがたいです (2019年03月25日 15時05分30秒)
ありがとうございました。
素敵な角度を見つけて、次々にシャッターを切られるのですね。 知ってるところが多かったのですが、写真がものすごく新鮮でした。 感謝します。 (2019年03月26日 01時25分26秒)
「ブロークバック・ マウンテン」は 好きな映画の一つですが、監督のことは知りませんでした^^;
亡くなった父は満鉄に勤めていて 北京~上海乗務だったそうで(私は末っ子です)自宅に来た友人たちとの会話の中で、女スパイの話をしていたのを思い出しました。窓からブツを投げ捨てるそうです。 花嫁として満州に渡った母も、晩年は痴呆症で私のことを お姉さんと呼んでいましたっけ。 P/OK ☆ (2019年03月28日 14時17分44秒)
映画自体がどれも話題作になったもの
ばかりなので私も監督が誰かもわからず 見てましたが中国人監督だったとは 私の叔父も鉄道マンだったようで 若い時に満鉄で満州も旅したようです (2019年03月28日 15時41分26秒) |