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殿上人日記

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2019年04月27日
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カテゴリ:旅のいろいろ
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いよいよ今日から平成から令和へと、年号を
またぐ連続10日間のゴールデンウィークだが
低気圧が続けてやってくる関係から、芳しく
なく、お勧めなのは28日、2日、5&6日で
あるらしい。娘とのお出かけ予定は雨予報




今更、ホテルをキャンセルするのも気の毒
なので雨覚悟でドライブ。曇り時々雨レベル
だったらいいけど。北海道は雪予報だとか
雷とか不安定な天気みたいですよね。今日も
すごく冷たい風で、冬物残してて良かったし




さてさて、4月5日に娘と出かけた1泊
2日の北陸三県のバス旅ですが、最初に
バスが向かったのは富山県の一番、東に
位置する朝日町で、真っ白な北アルプスを
望む海辺の街だ




今回の旅行の最初の観光先は「あさひ
舟川春の四重奏」といいまして、地元の
皆さんの手入れで素晴らしい春の景色が
望めるというもので、チューリップと
菜の花、桜並木、残雪の朝日・白馬岳に
よる四重奏なのだが寂しい




会場にあった看板によればピーク時には
このような素晴らしい四重奏となるそう
ですが時期が少し早かったみたいですね
今年の場合、あと数日後の10日あたり
から見頃だったみたいで




チューリップも、いろんなのが植えて
あったんですが早咲きなのか、この花
だけが綺麗に咲いてました。あと数日も
すれば、他の花も咲きだして花の絨毯に
なるみたいです




菜の花は、この一角だけ咲いてまして
この後、畑の一面が菜の花畑になるの
だろうか。フェイスブックとか見ると
確かに、ピーク時には今年も綺麗だ




肝心の主役の桜が、まだ咲きかけなのを
アジア系外国人観光客の団体客も、残念
そうに写真に撮っていた。私が参加をした
1泊2日の北陸三県の桜旅は、旅行日程が
4月上旬~中旬にかけての10日間から
選択するタイプだったので




うちのように早い時期のお客さんも
中旬を選んだ遅めのお客さんも桜が
楽しめるように、早咲きのものから
北部の遅めのものを、チョイスして
いたんじゃないかと思います。桜が
全く見れないのはサイアクですから




ですから後半の日程の皆さんは、きっと
看板通りの素晴らしい四重奏を楽しまれ
たんじゃないかと思いますよ。まぁ雪も
降るような4月アタマの寒波到来がなけ
れば、もう少し咲いていたんじゃないか
そんな気持ちもあります




舟川の桜並木は、松山ケンイチ主演の
山岳映画「春を背負って」のタイトル
バックにも使われたものです。あれを
見て、見に行きたいなぁ~とは思って
いたんですが、わずか数日のずれでも
桜は見れません




いかに、事前に予約をしている桜の旅が
難しいのか。うちからは高山経由で車で
4時間程度で行けると思うし、直前まで
キャンセル料のかからないホテルの予約
でもしておいて、咲き具合から個人で
行くしかなさそうですね




でもね、そこの係の人が言ってましたけど
昨日まで雨が降ったりして、空気が綺麗に
なったから、今日の北アルプスはとっても
美しく見えるそうでして。う~む、これで
桜が咲いてたらさぞかし素晴らしい風景が




行きの高速では、山の反対側に座っていた
ので見れなかったが、今度は逆向きになり
車窓から、散居村の向こうに北アルプスが
バッチリ見れて、もう釘付けだ




飛騨から砺波に出て、富山県の西から
1時間はかかって、東端の朝日町まで
桜がまだ咲いてない舟川まで行ったが
このような素晴らしいパノラマを見た
のだから文句などない。山を楽しむ為
出かけたようなものだ




楽天ブログを始めた頃から知っている
越中おわら節をされてい富山県の方が
よく、北アルプスの写真を載せられて
いて、いいなぁ~と写真では眺めていて
数年前の夏に、家族ドライブで出かけて




それ以来の山の光景。しかも高速道路から
なので、街中を走る一般道より高い位置
から、ずっと山を眺められていられるし
奥の鉄橋は新幹線




朝日町から富山市までを、撮った順番に
写真を載せてます。どのあたりからとか
山の名前はサッパリわかりません。さて
今回の旅行は、1月に上海旅行で利用を
した、阪急交通社トラピックスのメール
広告で知りました




本当は春には中国の北京旅行で、娘と
万里の長城や紫禁城、パンダを見に
行こうと思ってましたが、この桜の
旅行を見つけて乗り換えました。それ
程、自分の琴線に触れるものがあった
訳でして




名古屋発1泊2日で、3万円ポッキリで
桜咲く7つの北陸の名城と、舟川四重奏
ここでも、100名城の話をしたばかり
ですが北陸地方のお城って、北ノ庄城と
金沢城しか行った事が無くって




隣県であっても、なかなか行く機会に
ない北陸三県で、あちこちに点在する
城を今後も、全部見る機会はなかなか
ないだろうし、この機会に一気に見て
しまおうと。しかも桜の咲くお城って
一年で一番、華やかではなかろうか




天空の城で売り出し中の地元の苗木城址の
ライバルの「越前大野城」とか、準地元的
扱いの松本の、松本城の日本最古ライバル
現存天守の「丸岡城」は最近もニュースで
やってたばかりだし、もうワクワク




富山城、高岡城、金沢城、丸岡城、
越前大野城、北ノ庄城、福井城との
富山、石川、福井三県にまたがった
桜咲く北陸の7名城、その中には日本
さくら名所100選に選ばれた城も
あります




といった訳で、富山県の県庁所在地の
富山市街に入りました。このあたりは
神通川の下流域で、複合扇状地の恩恵を
受け、大化の改新よりも前から北陸道に
おける農作地であったそうだ




旅情をそそるレトロな路面電車が走って
いましたよ。富山地方鉄道が運営をする
路面電車(軌道路線)は大正期に始まり
地元では「市電」「富山市電」と呼ばれ
親しまれているそうだ




北陸7城のうちの最初の訪問先の「富山城址
公園」に着きました。ウィキペディアによると

>富山の地は北陸街道と飛騨街道が交わる
>越中中央の要衝であり、富山城は16世紀
>中ごろ越中東部への進出を図る神保長職に
>より築かれたとされる




>神通川(現在の松川)の流れを城の防御に
>利用したため、水に浮いたように見え、
>「浮城」の異名をとった。当時の神通川は
>富山城の辺りで東に大きく蛇行しており、
>その南岸に富山城は築かれていた。




>室町時代の越中守護は三管領の畠山氏で
>あったが越中には来任せず、東部を椎名氏、
>西部を神保氏を守護代として治めさせて
>いた。富山城は1543年(天文12年)頃に
>越中東部の新川郡への進出をもくろむ




>神保長職(じんぼう ながもと)が、椎名
>氏の支配地であった神通川東岸の安住郷に
>家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)に
>命じて築城したとされる。しかし最近の
>発掘調査により室町時代前期の遺構が発見
>され、創建時期はさらにさかのぼると
>考えられている




>長職は1560年(永禄3年)、椎名氏を支援
>する上杉謙信の攻撃により富山城を追われ、
>神保氏の在城は僅かな間であった。その後、
>富山城は上杉氏と一向一揆の争奪の的と
>なったが、1578年(天正6年)、長職の子と
>される神保長住が織田信長の後ろ盾を得て
>富山城に入城した




>しかし、1582年(天正10年)3月、長住は
>上杉方に内応した家臣に背かれて城内に幽閉
>されて失脚し、替わって富山城主となった
>のが佐々成政である。富山城に拠点を構えた
>成政は富山城の大規模な改修を行った




>本能寺の変の後、豊臣秀吉と離れた佐々
>成政は1585年(天正13年)8月、秀吉
>自ら率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏し
>(富山の役)、富山城は破却された
>越中一国が前田家に与えられると、前田
>利長が大改修を行い金沢城から移り住み




>隠居城としたが1609年(慶長14年)に
>建物の主要部をことごとく焼失したため、
>高岡城を築いて移り、富山城には家臣の
>津田義忠が城代として入った。1639年
>(寛永16年)、加賀藩第三代藩主前田
>利常が次男の利次に10万石を与えて分家
>させ、富山藩が成立した




>1661年(万治4年)、幕府の許しを得て
>富山城を本格的に修復し、また城下町を
>整え、以後富山前田氏13代の居城として
>明治維新を迎えるまでの基礎となった。




>1858年4月9日(安政5年2月26日)、飛越
>地震が発生した。富山城も被災し、本丸や
>二の丸、三の丸が破損したほか石垣が崩れる
>など大きな被害を出した

>1871年(明治4年)廃藩置県により廃城と
>なり、翌年建築物は払い下げられた。




>1954年(昭和29年)4月11日より富山城
>跡の敷地一帯で富山産業大博覧会が開催
>され、鉄筋コンクリート構造による模擬
>天守が記念に建てられることとなり、
>1953年(昭和28年)7月に着工




>翌1954年(昭和29年)4月3日に完成し、
>通称「富山城」と呼ばれることになった。
>この模擬天守は同年11月17日より富山市
>郷土博物館として運営が始まった。2003年
>(平成15年)6月より、富山市郷土博物館
>(富山城)の耐震補強工事に着手、




>2005年(平成17年)11月3日に、展示内容も
>見直しリニューアルオープンした。2004年
>(平成16年)「地域の景観の核」との評価に
>より富山市郷土博物館(富山城)が、国の
>登録有形文化財(建造物)に登録された




との事で富山城址公園には、様々な
石碑なども建てられていた。ここでは
フリーでの見学時間が20分程しかなく
速足でぐるっと見て回るだけだった
せめて30分はくれないと、門とかも
遠目で見ただけだったし




こちらは砺波出身の実業家である佐藤家が
戦後に建てた佐藤記念美術館で、茶道具類
古陶磁、日本画、墨蹟など千点以上に及ぶ
収蔵品の殆どが佐藤家から寄贈され、今は
富山市が先ほどの富山市郷土博物館と共に
運営にあたっている




そんな感じで、一番最初の富山城址では桜も
良い具合で、市民の方ものんびりとお散歩を
されていた。次は令和で盛り上がる万葉集に
ゆかりの高岡市の高岡城へと。令和に続く~




          平成31年4月5日に富山県で撮影

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最終更新日  2019年04月27日 17時39分30秒
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