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 殿上人日記

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2019年05月27日
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カテゴリ:旅のいろいろ


前の日記にも、城に桜は似合うとの
コメントを​幾つも頂戴したが、高岡城と
同様に、日本の桜名所100選に名を
連ねる城は27つあり、日本100名城
にも兼ねている城も多い




今回の日記で紹介をする越前丸岡城も
どちらにも選定をされている桜の城だ
別名を霞ケ城といい、桜の名所の方は
霞が城公園の名称となっている。そして
何と言っても日本でも数少ない、江戸
時代の天守が残る城でもある




娘と出かけた桜咲く北陸の7名城のツアー
2日目はここ丸岡城からスタート。こちらも
桜が満開であり、しかも雲一つない晴天で
青空に桜と城が良く映え絶好のお花見日和だ




坂井市丸岡観光協会キャラクターの城丸
くんは、丸岡町町制100周年と町村合併
35周年を迎えた平成元年に誕生をして
丸岡城のPRキャラクターとしても活動中だ




こちらもボランティアガイドさんがお城の
説明をしてくれ、まずはガイドさんお勧めの
お城と桜の写真スポット。入口から反対側に
回り込んだ所なので、もし個人で行けばここ
から写真を撮る事はなかったと思う




やっぱ現地の事を良く知るガイドさんがいて
こそといった事も多い。こういうガイド付きの
ツアーというのも面白いかも。さて現存天守を
おさらいをすると、世界遺産の姫路城を筆頭に
松本城や彦根城、犬山城が国宝だが、最近には
重要文化財だった松江城が国宝に昇格をした




弘前城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城
宇和島城、高知城が重要文化財に指定されて
いる。戦前には20の城が残されていたけど
空襲などで焼失をしてしまった。ここ丸岡城
は戦前は国宝であったそうだ




なんでも、昭和4(1029)年に施行を
された国宝保存法にもとづくもので、現在の
国宝と区別する為に、一般的に「旧国宝」と
呼ばれている。昭和25(1950)年に
国宝保存法が廃止され、文化財保護法に切り
替わったて、旧国宝は全て重要文化財となった




そこの中でも価値が高いものが、改めて「国宝
(新国宝、現国宝)」に選ばれているそうだ
ここ丸岡城も以前は旧国宝だったが重要文化財の
ままだ。というのも昭和23(1948)年の
福井地震で天守が倒壊




古材を用いて、元のように組み復元されている
そうで、そんなあたりも理由であるかもしれ
ません。小さなお城ですしね。それでも日本で
一番古い天守であると言ってましたが、それも
今春になって、柱などの部材を調べた結果から




建てられたのは江戸期の寛永年間(1624〜
44年)だった事が判明。1593〜94年に
大天守と渡櫓、乾小天守が完成したとされる
松本城の方が古いそうだ。続くのは犬山城の
1601年、彦根城の1606年なんだとか




しかし、松本城は乾小天守のみが先に造られて
天守は江戸時代からだとか、犬山城は1537年
には現存天守の2階部分までが完成をしていた
といった説もあるので、一概にには断定出来ない




てこてこと坂を登れば、あっという間に天守が
目の前に現れた。岩村城とか山城なのでふ~ふ~
は~は~と言いながら登城をせねばならないが
丸岡城は年配観光客にも優しいお城であった




元は木彫銅板張りの鯱であったが、戦時中に銅板が
不足をしており、この石製のものと差し替えられた
そうだが、福井地震の倒壊による修復時に、再び
木彫銅板張りの鯱が屋根に乗せられたそうだ




ではでは入城をしてみようか。添乗員さんの
了解を得て、この時点でガイドさんから離れ
娘と二人で先行をした形で見学をしていた。
ウィキペディアによると・・・




>福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い
>独立した丘陵に築かれた平山城である。
>近世に山麓部分が増築され、周囲に五角形の
>内堀が廻らされていた。安土桃山時代に建造
>されたと推定される天守は重要文化財に指定
>されている




>その他、石垣が現存している。移築現存する
>建物として、小松市の興善寺および、あわら市の
>蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の
>民家に、不明門と伝わる城門がある




>ほかに土塀が現存する。「霞ヶ城」の名の由来は
>合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したと
>いう伝説による




城の変遷は・・・
>1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、越前ほぼ
>一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により
>築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に
>移った。




>1582年(天正10年) 本能寺の変の後の
>清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に
>移された。代わって勝家は安井家清を
>城代として置いた。




>1583年(天正11年) 柴田勝家が豊臣秀吉に
>よって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は
>丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主と
>して青山宗勝(修理亮)を置いた。




>1600年(慶長5年) 丹羽長秀死後、領地は
>そのままに豊臣秀吉の家臣となっていた青山
>宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者
>である西軍方につき改易された。越前国には
>勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、
>丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6千石を
>与えられ入城した。




>1612年(慶長17年) 今村盛次は越前騒動に
>連座し失脚した。幕府より附家老として福井藩に
>附せられた本多成重が4万3千石で新たな城主と
>なった。




>1624年(寛永元年) 福井藩2代目の松平忠直が、
>不行跡を理由に豊後配流となり、福井藩に減封
>などの処分が下された。同時に本多成重は福井藩
>より独立。大名に列し丸岡藩が成立した。




>1695年(元禄8年) 4代重益の治世、本多家の
>丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により
>改易となった。代わって有馬清純が越後国糸魚川
>藩より5万石で入城。以後、有馬氏丸岡藩6代の
>居城となり明治維新を迎えた。




>1871年(明治4年) 廃藩置県により廃城となり
>天守以外全て解体された。1901年(明治34年)
> 残された天守は、丸岡町により買い戻され解体を
>免れ、城跡は公園となった。本丸を囲んでいた
>堀は、大正後期から昭和初期までの間に徐々に
>埋められ消滅した。




>丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も
>崩れて工事が進行しなかったため、人柱を
>立てることとなった。城下に住む貧しい片目の
>未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる
>事を条件に人柱となる事を申し出た。




>その願いは受け入れられ、お静は人柱となって
>土中に埋められ、天守の工事は無事完了した。
>しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を
>士分にする約束は果たされなかった。それを
>怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったという




>毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に
>見舞われ、人々はそれをお静の涙雨と呼んだ。
>現在城内にはお静の慰霊碑が残っている

ウィキペディアから転載させていただきました
大蛇はここから出た話なのですか・・・




松江城に行った時にも人柱の話が出ていたし
全国各地のお城でもよのような話はよく聞く
城の周囲には様々な碑があったが、顕彰した
ものとかいろいろのようだ




こちらは戦争で亡くなった方たちの忠魂碑
時代がかわろうと、お国の為、大義の為に
尊い命をささげた人たちの事は忘れては
いけない




下城して、今度は城の表側から桜越しに
お城を見上げてみた。ここの桜は殆どが
染井吉野のようだ。手前のピンクの濃い
のは枝垂れ桜かな?




その日は土曜日でもあったので、お花見
時期の週末でイベントなどもやっており
地元の皆さんもご家族で遊びに来ていた
ようだ




のんびりと、浅い池で泳ぐ鯉をのぞく
お父さん




旧国宝であった丸岡城を、再び国宝に
するのは、地元民の悲願でもあるようだ




お城のふわふわ遊具や




消防車も、お城のイラスト入りだし




城下町らしい古い門は、移築されて北国
ものだが、この門をくぐった先にあるのが
一筆啓上日本一短い手紙の館である。一筆
啓上とは,簡単に申しますと・・・と言う
手紙の書き出しに使う言葉であるが




武勇に秀でて気性が荒い事から「鬼作左(おに
さくざ)」と呼ばれ、三河三奉行の一人である
本多重次(丸岡藩初代藩主成重の父)が、天正3
(1575)年の長篠の戦いの陣中から、妻に宛て
書いた手紙が、日本で一番短い手紙として有名で
その書き出しが、一筆啓上なのだ




「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」で
お仙とは、跡継ぎの仙千代(成重)で、男子は
この幼子しかいなかったようだ。後に仙千代は
豊臣への人質として、秀吉の養子となった結城
秀康(家康の子)の小姓として大坂に送られた
時期もあった




越前北ノ庄藩初代の藩主となった結城秀康の
子の松平忠直の附家老として、本多成重は越前
丸岡藩4万石を与えられている。そんな事から
一筆啓上賞日本一短い手紙コンクールが、毎年
行われて、昨年のテーマは先生で、国内外から
4万近い応募の中から大賞5作が選ばれた




その受賞者は7歳から86歳と幅広い年齢層から
支持されているようだ。という訳で2日目の最初に
出かけたのは現存天守、丸岡城であった。次は
どんなお城へ向かうのだろうか。続く!




          平成31年4月6日に越前丸岡城で撮影

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最終更新日  2019年05月27日 20時21分30秒
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