殿上人日記

2019/06/05(水)17:03

天空の城で売り出し中の越前大野城は、桜の雲の上

旅のいろいろ(114)

​ ​ 雲海(朝霧)に浮かぶ姿が、まるで天空の 城のようだと、竹田城址​が知れ渡ったのは 平成24(2012)年の高倉健の最後の 主演作品となった、映画「あなた」からで 降籏康男監督は、今年5月20日に亡くなら れたそうだ 今でこそ鉄道員(ぽっぽや)を代表として 高倉健とのコンビが有名だけども、多岐に 渡る作品を監督されており、へ~この作品も なのかと驚かされる。山口百恵のTVドラマ 赤いシリーズにも参加されていたそうだ 降籏監督は信州松本出身だそうで、3丁目 シリーズの山崎貴監督もまた松本だ。城の 話からそれたが、天空の城としてブームと なった竹田城に続けとばかりに、全国各地の 城も名乗りを上げた 岐阜県などは山と川しかないような地形が 功を奏して、郡上八幡城、岐阜城、苗木城 岩村城と4つの城の名が、天空の城として 挙がる場合が多い。全国的には現存天守が 雲海の上に浮かぶ「備中松山城」がお勧め らしい。行ってみたいなぁ 4月に娘と出かけた桜咲く北陸の7名城巡り にも、前から行ってみたいなぁと思っていた 天空の城で売り出し中の越前大野城がコースに 入っていたので、参加をする決め手となった (あと越前丸岡城も)。JR西日本の越美北線 (九頭竜線)の越前大野駅。さて越前大野を ウィキペディアで紹介すると >天正3年(1575年)、織田信長より一向一揆 >討伐の命を受けて、金森長近が美濃から大野に >進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる >亀山に大野城を、その東麓に城下町を造り始めた。 >これが現在の大野市街地の起こりである。以後 >今日まで、大野市は奥越地方の中心地として >栄えてきた >山頂にそびえる天守と短冊状に区切られた >町並み、中世から近世にかけて築かれた寺院が >甍を連ねる寺町通り、城下町誕生のころから >続くとされる七間朝市など、400年を超える >歴史を彷彿とさせる景観を今も色濃く残して >いることから「北陸の小京都」と呼ばれている >1888年4月8日、大野市(当時は大野町)で >1000棟以上を焼失する大野大火が発生。以後 >この日にあわせて消防訓練が毎年行われている。 >また、2008年には40年ぶりに消防隊のラッパ >隊が復活した。 川の水がとっても綺麗だ。山頂に城のある亀山の すぐ下にあるバスの停車場からは、それぞれの ペースで山を登り、旅行代に入場料が含まれて いるので、みんなが揃ってから城の中を見学 するそうだ。城と言っても中は資料館だ 越前大野城がそびえる亀山の南側を流れるのは 金森長近が、天正4(1576)年頃に越前大野城を 築いた際に、外堀として掘られたという新堀川で 川沿いに湧く新堀清水は、ふくいのおいしい水に 認定されている 見上げた先には越前大野城。ウィキペディアに よると・・・ >1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を >平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を >与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした >戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を >築き始めたのが越前大野城の始まりである >築城に数年間を要した。その後、越前松平家が >3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで >目まぐるしく城主が替わった。城は1775年(安永 >4年)に焼失し、1795年(寛政7年)には天守を >除いて再建されたが、明治維新後に破却されている >山頂の石垣および堀が現存し、山麓部にも内堀および >外堀の一部が残る。建造物としては、不明門が市内 >中丁真乗寺山門として、櫓門であった鳩門の門部分が >光明寺山門として、それぞれ移築され現存する。また >8代利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存する >天守は、亀山の山頂にある天守曲輪に建てられた。 >本来は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、 >天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が >付属された複合連結式の天守であったが、1795年に >焼失して以降、再建されないままであった。 >現在山頂に建つ天守は、1968年(昭和43年)に元 >士族の萩原貞の寄付金を元に、往時の絵図や創建当時の >同時期の他の城の天守を元に、鉄筋コンクリート構造に >よって推定再建されたものである。しかし、小天守が >天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に >基づいた復元再建ではない >復興天守の内部は、金森氏や土井氏など歴代の城主に >関する資料を展示した資料館として利用されている。 >12月から翌年3月までは閉館となっている。2014年に >有志による「ラピュタの会」が結成され、「天空の城 >大野城」の知名度向上に努めている 狭い山頂部に石垣が、築かれての天守なので なかなか天守の全貌を、まじかに眺められる 事がなかったが、どこかにそんなポイントが あるのかもしれない。今回はガイドがいない ので、バスの最短ルートからの往路、帰路は かんな感じで 遂にここで銅像ゲット。第七代藩主の土井利忠 である。藩政改革、教育制度の整備、軍制改革 などで大きな実績を挙げて、樺太開拓を目指す などスケールの大きい名君であったそうだ 日本の瓦屋根に桜が良く映えてます。とは 言っても、天守脇にあった和風なおトイレの 屋根なんですが こちらは、天守の上の方から見たおトイレの 屋根越しの桜。それにしても良い瓦を使って いるなぁ~。いぶし銀? それにしても桜の一番良い時期に、この 城にも来れて良かったです。最初の富山県 北部の舟川、春の四重奏以外はどこも桜は 満開と言った感じでした 今回の桜咲く北陸のなつの城の団体旅行は まだ10日近く後の日程もあるので、それに 参加される人も桜が楽しめるように、時期が ズレそうな、遅めの桜の名所も組み込んで あるのだろう このお城は戦後に建てられたもので、中は 資料館なので、写真撮影も出来なかった 遠くに見える東側の白い山々。あの向こうは 岐阜県だ。高山もその彼方 そんな訳で越前大野城について、大体 説明も出来たので、ここからは近況と いう訳で、来年夏の東京オリンピックで 全国をまわる、聖火のコースが発表に なりましたね 長野オリンピックの時には、長野県内を まわりまして、その当時は長野県だった 「馬籠宿」もコースになって、私も見に 出かけました。娘や息子らは越県通学で 岐阜県中津川市の小学校に、通学をして いましたが すぐ近くなので学校から、みんなで応援に 来ていました。その時にスポンサーなんで しょうか。あったかな缶コーヒーを配って まして、娘は缶コーヒーを初めて飲んだと 今日も話してました 平成の大合併で「馬籠宿」は、岐阜県に なりましたが、今度は岐阜県のスタートと して聖火がやってくるそうです。しかも 週末のようで、娘も見に行けると喜んで ますよ 結構、全都道府県のあちこちに聖火が まわるようなので、皆さんもお近くで ご覧になれるかもしれませんので、要 チェックです。それにしても馬籠宿は かなりの坂の宿場町なのですが 馬籠宿の一番下側でセレモニーがあって ラストは、宿場の一番上のはずれにある 展望台って、あの坂を上るんだろうか? 箱根駅伝の山の神クラスの人じゃないと きつそうだけど、どんなんだろう 皆さん、時間前には下山されてお土産屋を のぞいたり、のんびりしたり・・・・再び バスに乗って、お昼を食べに福井市方面へ 戻ります それにしても、日本の田舎町と言った 風情があり、なかなかのんびりとした 素敵な町ですね 私も周囲を山に囲まれた田舎町で生まれ 育ち、今も住んでますので、こういった 風景は親近感もわきます あの山はなんていうんだろう。4月に なっても白いまま・・・。今年の春は 遅くまで寒かったので、恵那山も白い 時期が長かったです 走行中のバスのからの風景写真ですが なかなか良い感じで撮れました 遠くに見える銀色に輝く丸いのが、勝山の 世界三大恐竜博物館とも言われる福井県立 恐竜博物館だそうです。見に行きたいなぁ~ 富山城、高岡城、金沢城、丸岡城、大野城 と、5つのお城をまわりました。残す所は あと二つ、どこのお城でお花見が出来るの だろう。続く             平成31年4月6日に越前大野城で撮影 ​ にほんブログ村 ​ ​​​​​​​​​

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