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 殿上人日記

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2020年01月29日
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カテゴリ:滋賀、奈良の旅


​元号の「令和」は、奈良時代に大伴家持が編纂を​
した「万葉集(まんようしゅう)」から選ばれて
注目をされたが、天皇や貴族、防人、庶民などと
様々な人たちの歌は4500首にものぼると言う




その中に「鹿」を題材にしたものは68首もある
そうだが、その多くは秋が深まる頃になってきて
雄鹿の求愛で鳴く声が、織り込まれているそうだ
百人一首に選ばれた猿丸太夫の有名な鹿の歌だが
古今和歌集に詠み人知らずとされたものだったとか




奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき

ユーチューブに奈良公園の雄鹿の鳴き声があったんで
載せておきます。↓ 確かに悲しげにも聞こえます


さてさて奈良の正倉院展を見に、昨年11月14日に
姉と出かけた日帰りバス旅行。興福寺を見学した後に
やってきたのは「若草山」の麓です




若草山(三笠山)は、真冬の山焼きでも有名ですが
二月堂のお水取りともども見た事はないです。標高は
342メートルで、山頂には鶯塚古墳がありますが
登ったこともありません




若草山の山頂からの夜景は、新日本三大夜景(他には
山梨県笛吹川フルーツ公園と、北九州の皿倉山)が
選ばれているそうだ。じゃ新のつかない三大夜景と
なると函館山、神戸摩耶山、長崎稲佐山だそうです




さてさて、そんな若草山の麓にあるお食事処の
「春日野」で少し早めのランチだ。今回の旅は
午後の正倉院見学などにたっぷり時間がとって
あるのも魅力的だ。人によっては春日大社とか
参拝した人もいたみたい(入館後はフリータイム)




ヘルシーそうなお食事を食べたら、お土産売り
場でお買い物タイム。お店の前は若草山なので
のんびり眺めているのもいいだろうし




というか、鹿もいっぱいいるし。集合時間
までは飽きることなく時間をつぶせそう




お店の中には入ってこないけど、かわいい白い
斑点の残る鹿が水を飲んでいた。この白い斑点が
鹿の子(かのこ)模様で、夏場のカモフラージュ
らしく、雄雌を問わず大人の鹿にも出るらしい




ここでも鹿のエサやりが観光客に大人気のようだ




こうゆう石垣があると鹿との距離感もあって
良かったかも。私は前にバッグから出ていた
ガイドブックを鹿にかまれて、取り戻した
経験がある。ご注意を




こんな愛らしい目をして見上げられたら、そりゃ
鹿せんべいを与えたくなるだろうな。でも横から
体のでかい鹿に奪われたりもして・・・




おじぎをしている鹿もいたし、赤信号で人と
待ち青信号になったら、人と一緒に横断歩道を
渡る鹿(偶然?)も見たし




やっぱ、頭や方にも乗られるハトのエサやりの
方がきついかなぁ~




なんだかんだでバスに乗車する時間になったので
次の見学場所へバスで移動。車窓からはポスト・
カードのような光景




やっぱ歩かずにピンポイントで見学場所に移動
出来るのは、お年寄りには便利な観光手段だし
時間的にもとても有効にまわれる。お昼過ぎに
出かけた先は




東大寺や、奈良の大仏を作った事でも有名な
「聖武天皇(しょうむてんのう)」の御陵
(ごりょう)である。正倉院は東大寺の蔵な
訳だが、聖武天皇や、妃の光明皇后のゆかりの
品々も収められている事からの参拝であろう




奈良にはかなり来た事があるけど、ここまで
来たのは初めてだ。トラピックス(阪急交通)
さん、なかなか良いコースでした♪ 右の方に
行けば光明皇后の御陵もあるが、流石に聖武
天皇の御陵のみの参拝だ。




聖武天皇だが、文武天皇(天武&持統系列)と
藤原不比等の娘の宮子の間に生まれたが、幼く
して父を亡くし、病弱だった事と外祖父である
不比等の勢力が盤石になるのを待ち、中継ぎの
女帝らを挟み24歳で即位をした




天平年間は災害や、疫病(天然痘)が多発した為
聖武天皇は仏教に深く帰依し、各地に国分寺建立や
東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出した。娘に譲位
(孝謙天皇)して太上天皇となった。天平勝宝4
(752)年に東大寺大仏の開眼法要。天平勝宝6
(754)年には唐から鑑真が来日をして、皇后や
天皇とともに手厚く出迎えたそうだ




天平勝宝8(756)年に崩御し、聖武の七七忌
(四十九日法要)に於いて、光明皇后は東大寺
盧舎那仏に聖武遺愛の品を追善供養のため奉献
その一部が正倉院に伝存しているのだ。今回の
東京と奈良での正倉院展では聖武天皇の愛蔵品
なども並ぶスペシャル版であった




父の文武天皇(天武と持統女帝の孫)が亡くなり
幼なかった首王子(聖武)が即位するまで中継ぎで
あった元明女帝(天武の娘、文武の母、聖武の祖母)や
次の元正女帝(元明の娘、文武の姉、聖武の伯母)と
いった近しい人たちの天皇陵も近くにあるようだ




最近になって愛子様のご誕生や、他の王室などで
男女を問わず長子が王位を継ぐ傾向にある事から
女帝論が出てきているが、そもそも日本において
何人も女帝が存在し、その多くは彼女らのように
次期後継男子が幼かったりでの中継ぎであるか




藤原不比等の娘である光明皇后と、聖武天皇の娘の
孝謙女帝や、二代将軍徳川秀忠の娘の東福門院和子と
後水尾天皇の娘の明正女帝のように時の権力者である
母親の実家の意向を受けての即位もあった。後桜町
女帝(桜町天皇の娘)が、江戸中期に女帝にもなり
女性天皇が認められなくなったのは最近の話だ




女帝の特徴としてはもともとが天皇の妻であったか
天皇の娘で生涯独身であったかという点で、女帝の
他に、女系天皇(天皇の娘の血統が天皇を継ぐ)も
議論をされている。まぁ私の生きているうちにどう
こうなるものでもないのかな?




そうこうしているうちに、東大寺の門前に戻って
きました。東大寺の近くの大きな駐車場でバスを
降りて、今度は東大寺大仏殿の北側に建っている
「正倉院」の見学です。そこまでは20分近くは
かかるのかな?




テレビで鹿せんべいを売るおばちゃんが
怖いことを鹿たちは知っていると言って
いたけど、店先のは厳重装備だ




というか、ほんとお店の中には鹿は入って
こないし。時間があればせんとくんと記念
撮影がしたかったなぁ~




奈良らしいガシャポン。外国人観光客や
修学旅行生などにも人気だろう。息子とか
修学旅行で、鹿のふん(チョコ菓子)を
土産に買ってきて喜んで食べていたし




土産物屋の前で鹿がそそうをすると、さっと
お店の人が片付けてくれていた




鹿もそそうをするので、観光客も気を
付けるようにと、立て看板にイラスト
入りで注意喚起がされていた。と言う
訳で東大寺を横切り正倉院へと向かい
ます。日記は続きます~! ではでは




          2019年11月14日に奈良市で撮影

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最終更新日  2020年01月29日 13時44分53秒
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