殿上人日記

2020/05/26(火)04:37

ハートにわん丸君の犬山の御城下で、からくりを満喫

愛知、三重の旅(56)

​ ​国内での新型コロナの感染数もかなり減って 多くの自治体で、自粛も徐々に解除がされて 観光施設なども営業を再開したところもあり 斎藤道三ラブな岐阜の大河館や岐阜城も行く 事が出来ますが、犬山城は閉鎖中です このあたりの違いはクラスター中心で、ここ最近 感染が出ていない岐阜県と、それよりは多い愛知 県の違いなんでしょう。ところで世間では愛知は 違った意味で有名になりました。コロナの陽性を 知っていて、人にわざとうつしてしまった男性 (亡くなられた)のニュースは衝撃的だった 俺はコロナだ!と放言して、業務を妨害する 男性のニュースも、多くは愛知県内だったり して・・・(汗) ゴールデンウィーク中に 田植えがあって、今年は転勤で息子が愛知県に 行ってしまったので、帰省はさせたくないし 苗を渡す手伝いを私がする事になった ところが愛知県住みの旦那の弟が、帰省 したいという。田んぼが大変だろうから 手伝いたいのかと思ったら、暇だからと いうそうで(汗)そんな訳で私が田植えの 応援をしなくても済んだけども。愛知の 車が来たら、近所の人が嫌がるのでは? なんて思ったけど 逆に車を見て久しぶりだからとしゃべりに きたりで。それでも気を使って念の為にと 家の中には入らずに、昼は野外で食べると いうので、舅や姑も外で一緒に食べてるし (汗) せっかくの気遣いも意味なし 中津川市は感染者がないままだし、新型 コロナも、テレビの向こうの話みたいな どこか他人事のような部分があるんじゃ ないかと思う。もともと家からどこかに 行くというのも、私の車でいつもの病院と 床屋位だし このままおさまればいいが、寒くなってきて 第二波とか来たら嫌だなぁ。冷え込んだ経済 活動も、スグには戻るように思えないし。先が 見通せないので不安が募りますよね。ご商売を されている方は猶更だと思います 犬山にちなんで、どこもかしこもご城下は わんこです。わん丸君というらしいです 特技は肉球ハイタッチ。そのちょんまげを 触ると良い事があるんだとか そして、ご城下で目につくのがハートだ これは後から出てきますが、お城のすぐ 近くにある三光稲荷の絵馬がピンク色の ハートなので、それにあやかって もう、あっちを見ても こっちを見てもハートです 10年前に来た時には、しけた田舎町 だった犬山は、昨今には若い婦女子が 集まる行楽地になってました お城からまっすぐ伸びた町筋には 新しい飲食店が、たち並んでいて 楽しくお食事を楽しんでたり 2月上旬に名古屋駅前に泊まる機会が あったんですが、その時にもホテルの 近くで名古屋モーニングを食べてたら 他の地方からやってきていた女子大生 たちがモーニングを食べながら 今日は犬山に行くと楽しそうに話して ましたし。地元以外でも犬山の知名度は かなり上がっている模様 まぁ、うちの場合も久々にお城ではなくて 地元の情報番組で犬山をよく取り上げる ので、どんな街になったのか一度、見に 行きたいなってノリで出かけた訳ですし 飛騨高山のお醤油味のシンプルなみたらし だんごがあったので食べてみました。年に 1度は出かけていた高山も新型コロナもあり ご無沙汰です 同じ岐阜県とはいえ、飛騨地方に岐阜ナンバーで 出かけるのは躊躇しちゃいます。感染者もいない 中津川市ですけども、車のナンバーはクラスターの 起きた地域と同じなので 今日も久しぶりに名古屋に行きたいと、娘とも 話してました。デパートとかも再開をしている そうですが、違った意味でそちらに出かけるのも 躊躇しちゃいます。人ごみはまだ怖いですから 普段から都会暮らしの方とは、またズレた感覚 なのかもしれない さてさて、こちらのしぶい建物は旧磯部住宅と いいまして、平成16年に犬山市に寄贈をされ 保存整備の上で、無料での一般公開がされて います。元は柏屋という呉服屋さんで、国の 登録有形文化財に指定されていますよ なにやら由緒ありげな燈籠が街中に ありました ↑このような由来だそうです。木曽福島に そういえば、山村代官屋敷ってあったし ここ犬山も尾張藩だけど、木曽も尾張藩で あるから関係も深いのかな。山村甚兵衛は 代々、山村家の当主が名乗っていたそうだ 犬山城の真下にあるのが「針綱神社」で、主祭神は 尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)と 言いまして、尾張氏の祖先神で尾張国一宮に鎮座する 真清田神社の御祭神でもある天火明命の十四世孫に あたり、父の尻調根命(尾綱根命)と共に針綱神社に 祀られています 熱田神宮、(はだか祭りの)尾張大國霊神社、津島 神社、(今は岐阜だけど)千代保稲荷神社と共に尾張 五社に選ばれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除 安産、長命の神として濃尾の総鎮守とされている 犬山城を築城した織田信康(信長の叔父)が安産を 祈願して、自ら彫り上げた木製の狛犬が奉納された そうだ。さて日本で犬の名が付いた自治体はここ だけだそうだが、その由来は、犬を使って狩りを していたからとか、小野に山が多かったので小野山 (おのやま)がいぬやまとなったとか 大縣神社の祭神の大荒田命は、針綱神社の祭神の一人 玉姫命の父親にあたり、大縣神社からは針綱神社が 戌亥(いぬい)の方角になり、いぬいがいぬやまに なったなんて説も。その脇には「三光稲荷神社」が ありましてウィキペディアによりますと >創建時期は不明。かつては三狐山(三光山)に >鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていた >という。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神 >とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、 >明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社と >なる。 >1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転 >する。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社 >ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した >存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を >併記している。 かわいらしい桜のおみくじと、ハートの絵馬 またも由緒ありげな燈籠があり ↑このような由来のものであった。しまった~ 下調べなく出かけて、めぼしい写真を撮って ブログを書くにあたって、ネットでどのような ものだったのか調べているだけなので 今になって、三光稲荷では嬉しい倍返しを してくれる神社であったのを知った次第だ 拝殿前の銭洗池で、お金を洗うと倍返しに なるそうで、清められたお金を持っている だけでも運が良くなるそうだ さてさて、これは飛騨高山でも見かける 蔵ですね。お祭りの山車でもしまわれて いるのかもしれません こちらは、えらく最新式の蔵のようでして ピカピカな「どんでん館」は、前回で紹介 した共通券を使って、安く見学ができます 犬山祭についてウィキペディアで紹介すると >犬山祭(いぬやままつり)とは、愛知県犬山市 >にて、毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に行わ >れる、針綱神社の春季祭礼である。2006年 >(平成18年)3月15日には「犬山祭の車山行事」 >として国の重要無形民俗文化財に指定されている >また車山(山車)13輌は、1964年(昭和39年)に >愛知県の有形民俗文化財に指定されている。2016年 >(平成28年)12月1日には、「山・鉾・屋台行事」 >としてユネスコ無形文化遺産に登録された。市内に >あるどんでん館には4輌の車山が常設展示されており、 >祭礼以外でも間近で車山を見ることができ、祭りの >雰囲気を味わえる。 >針綱神社の祭礼に対して、1635年(寛永12年)より >下本町、魚屋町からの練り物が出されたことに >始まったとされている。1641年(寛永18年)には、 >同・下本町により「車山」が出され、からくりが >奉納された。 >車山は、1644年(寛永20年)より魚屋町、後には >1649年(慶安2年)の頃、犬山城主成瀬隼人正正虎に >よって奨励されたこともあり、他の城下各町村に >おいても出されるようになった。「車山」とは他 >地域の祭における山車や曳山のことで、他では >2層が多いが、犬山では3層の構造となっている。 >これは「犬山型」とも呼ばれ、下層がお囃子所、 >最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と >呼ばれて最上層のからくりを動かす層となって >いる1日目を「試楽(しんがく)」、2日目を >「本楽(ほんがく)」と呼ぶ。 >城下町であった13の(縦横の通りの1ブロック毎に >下本町、中本町、魚屋町、寺内町などの名称がある) >各町より、犬山では「車山」と書いて「やま」と >呼ばれる13輌の山車が曳き回される。「試楽」では、 >車山が針綱神社へ向かい、からくりを奉納する。 >その後1年分を表す365個の提灯に載せ変え、早い >町内では18時30分から21時30分ごろまで提灯に >火を点して町内を巡る。夜の部については「夜車山 >(よやま)」と呼び分けている。「本楽」は針綱 >神社で神事が行われ、13町の車山と共に3町(内田、 >坂下大本町、鵜飼町)の練り物も同神社へ集結する。 >また、曳き手(手古衆)達が力を合わせ >車山の一方を持ち上げ一気に半回転する >ことは「どんでん」と呼ばれる。そんな 訳で「どんでん館」では本物の山車を見物 することが出来る その次にはからくり展示館(文化資料館 別館)も見学をしに行きました。なんだか 門からして、いい感じです からくりと言うと、やっぱり茶運び人形が有名 ですよね。からくりについてウィキペディアで 紹介させていただくと >語源については、「糸を引っ張って動かす」と >いう意味の「からくる」という動詞の連用形の >名詞化といわれ、16世紀後半頃から用例が確認 >されている >日本のからくりについての記録は、『日本書紀』の >斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古の >もので、この指南車についてはこれより古く『三国 >志』にも記述がある。これは台車の上に立つ人形が >車輪の差動を利用し、車がどの方向に進んでも常に >南の方向を指し示すというものである。 >平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武 >天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を >作ったという説話が記載されている。また巻二十四 >第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済 >河成を驚かせるため、四方に扉がある堂を作り、 >いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ違う >場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されている。 山車からくりは >祭礼の際に曳かれる山車・車楽などに、からくり >人形を載せたものである。山車の内部に囃子の演奏 >者と一緒にからくり操作者が乗り込み、曳行時や >宮入り時に囃子の演奏に合わせてからくり人形を >操作し、披露・奉納する形が一般的である。 >元和5年(1619年)に名古屋東照宮祭が始まって >以来、名古屋を中心とする中京圏に集中的に分布 >し、主に愛知県と岐阜県に跨って特色ある祭礼 >文化を形成している。享保15年(1730年)に >7代尾張藩主になった徳川宗春は「民と共に世を >楽しむ」政策を実行し、8代将軍徳川吉宗の質素 >倹約策で自粛されていた東照宮祭の豪華に復活させ、 >他の祭や遊興を盛大に行う事を奨励し、活動の >場を失っていた、京都の玉屋庄兵衛をはじめと >する、全国のからくり人形師達を名古屋に招いて >からくり人形師達が尾張地方に移住した事に >より、名古屋を中心とする中京圏で、からくり >文化が発展し根付いた。 >名古屋中心部のものは大部分が第二次大戦の戦災で >失われたが、岐阜県高山市の高山祭、美濃市の美濃 >まつり、愛知県犬山市の犬山祭、津島市の尾張津島 >秋まつり、半田市の亀崎潮干祭など、戦災を免れた >山車が周辺地域には多く残っており、現在でも各社 >氏子の地元住民が、山車に乗り込んでからくり人形を >操る姿が見られる。 >他にも京都祇園祭の蟷螂山が、御所車の上に >乗ったカマキリのからくりで有名である。また >江戸の山王祭・神田祭においても、山車の人形に >からくりを施したものがあったという といった訳で、犬山祭りを次には見てみたいものだ        2020年1月25日に愛知県犬山市で撮影       新型コロナの感染節の為に、観光施設などが臨時       休業をしている場合があります。お出かけになる       時にはご確認を にほんブログ村 ​

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