殿上人日記

2020/07/07(火)08:44

軍艦島と長崎出島。大型客船も接岸中の2月の旅

旅のいろいろ(114)

​ ​ 今年2月上旬に娘と出かけた長崎の旅だが 2日目の​朝を迎えた。高台のホテルから 長崎の港街を見下してろしてみた。今日も 良い天気のようだ 冬の旅行は寒いけど、お天気の方は良い 場合の方が多い。夏から秋は台風の心配 などもあるし飛行機だって飛ばない危険 などもある 昨夜、長崎ランタンフェスティバルで 歩いた長崎市街の中心地のあたり ホテルの展望台には、無料の双眼鏡が 設置をしてあったので、とりあえずは 覗いてみる 昼食も終えて、団体バスで長崎市街へと なかなか景色の良いホテルだった フリータイムだったら、路面電車とかにも 乗ってみたいところだけども。赤信号で とまっているうちに、その奥にある大きな 鳥居に気が付いた どうやら国の重要無形民俗文化財にも指定を されている「長崎くんち」が有名な諏訪神社の ようだ。通称は鎮西大社、お諏訪さま、おすわ さんとも呼ばれている 坂ばかりの長崎の街。景色は良いだろうけど 家からの往来は、坂道を歩いたりするのかな 宅配とかも 下車観光は無かったけど、車窓からは 長崎出島を見ることが出来た。いつもの ようにウィキペディアにより紹介すると >出島(でじま)は、1634年江戸幕府の外人 >流入防止政策の一環として長崎に築造された >人工島。 >扇型で、面積は3,969坪(約1.5ヘクタール)。 >1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、 >1641年から1859年までオランダ東インド >会社(AVOC、アムステルダムに本部のある >Vereenigde Oostindische Compagnie)を >通して対オランダ貿易が行われた。 >明治以降は、長崎港の港湾整備に伴う周辺の >埋立等により陸続きとなり、扇形の人工島で >あった頃の面影は失われたが、1996年(平成 >8年)より、江戸当時の姿への復元を目指す >出島復元整備事業計画が長崎市により進め >られている 街角には自衛隊のヘリコプター そして埠頭には大型客船。ネットで調べると 昨夜の大型客船は既に出航して、それと違う 大型客船が接岸しているようだ。昨夜のと同じ イタリアの会社の「コスタ・ベネチア」だ 昨年3月に就航 >処女航海はトリエステから東方見聞録の著者 >マルコ・ポーロがたどったとされる航路を >たどり、2019年4月29日に東京都の東京港 >(大井水産物埠頭)に入港した(ウィキペディアより) 上海を拠点としているらしい 長崎の造船業は幕府によって安政4(1857)年 日本初の艦船修理工場の「徳川幕府長崎鎔鉄所」が 設立したのがはじまりである。三菱重工長崎造船所 には、かつては戦艦武蔵を建造をした船台と30万 トンドックがあり、護衛艦などの建造・修理改造が されている(写真・奥) 昭和47(1972)年に完成した三菱重工最大 規模の香焼工場は長さ1,000メートルのドックを フルに生かした建造法でLNG船、LPG船などを効率 よく建造しており、後に乗員によって新型コロナの クラスターが起きた「コスタ・アトランチカ」が 停泊をしていた 長崎港を上見ると、まるで鶴が羽を広げた ような形に見えることから「鶴の港」とも 呼ばれているそうだ。そういえば以前に やっていた写真サイトで、長崎の人が大型 客船の写真をいつも紹介してたし 女神大橋について、ウィキペディアにより説明すると >長崎市内の慢性化した交通渋滞の緩和と、長崎港の >両岸に分散している港湾施設の連携強化・物流の >効率化を図る事を目的として建設された。愛称は >「ヴィーナスウィング」。 >長崎港に大型の客船が出入りすることを考慮して、 >水面から非常に高い場所を人や車が通行する斜張橋の >形式を取っており、世界最大級の客船クイーン・メリー >2などもこの下を通過出来ている。また、夜間はライト >アップされ、観光都市長崎の新たなランドマークと >しても期待されている。 団体バスの座席は毎日ずれるので、初日は 運転席の反対側の一番前に、娘と座って 正面の写真なども撮れたが 今回はバスの後方で、座席が空いている所は 自由に座っていいというので、娘と別れて 座った 長崎市街からは郊外にある観光先へは、まず 娘の方が海側になったが、観光後に戻る時に 今度は私の方が海側となる予定。海側の写真を 娘に取って貰った事も2度、3度。進行方向が かわるから見える景色も違ってくる お~。目的地が見えてきたという事で娘に 写真を撮って貰った。海上に浮かぶ小さな 島だが、1つはなにやら人工的な・・・ 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、 造船、石炭産業」の構成遺産の一つとして 世界文化遺産にも登録された「軍艦島」だ 正式名称は「端島(はしま)」といい、長崎県 長崎市(旧・西彼杵郡高島町)にある島で、明治 から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えてきた 1960年代には、東京以上の人口密度を有して いたそうである。 昭和49(1974)年に鉱山は閉山となり 島民が島を離れ無人島となった。島には日本 初となる鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が 廃墟として取り残されているそうだ。遠くから 見るとまるで軍艦のようであるので、軍艦島と 呼ばれている 軍艦島に上陸をするツアーなどもあるけど 今回の旅はあくまでも長崎ランタンフェス ティバルと、あそことここと・・。軍艦島は 長埼半島の野母崎から、望む事となったが お天気に恵まれよく見れて良かった 長崎半島(野母半島)は、最大幅6kmで、長さ 22kmの半島で、西岸は香焼を境にして長崎港と 五島灘。東岸は天草灘・橘湾に面しており、南の 東シナ海につながっています 五島灘には香焼島、横島、沖之島・伊王島、 黒島・野島、高島・中ノ島・端島などの島が 点在をしており、東シナ海を北上する対馬 海流の影響が強くあり、気候は温暖で年間 降水量も約2,000mmと多いそうですよ 最近も長崎、佐賀方面で豪雨があった ばかりです。うちのあたりでは3月末 あたりから咲く水仙が、こちらでは もう終わりがけ 最盛期の1月に来れば、このような一面の 水仙の香りがたちこめているようだ。その 時期にしか見れない観光場所は、なかなか 見に行くチャンスがない 奥の方にあるのは白い灯台? ここは野母埼総合運動公園なんだけど これはなんだろう? よくわかんない です 空を見上げると、気持ちよく飛ぶ鳥 打ち寄せる白波の音も心地よい ここには軍艦島資料館があって、時間がまだ あったので有料だが、中を見学する事にした 中には軍艦島の暮らしぶりがパネルや、残さ れた物や、映像などを使ってよくわかるように なっていた 展示室は撮影禁止だったが、入り口にあった これは館員に聞いたところ、撮影しても良い というのでパチリ。長崎といえばこの御方と さだまさし氏 長崎に次に来たら、軍艦島にも渡ってみたい ものだし 駐車場には、水仙のマンホールのふた 早咲きのピンク色の桜の花も満開だった 帰りの車窓は、私の方が海側で夫婦岩の 向こうに軍艦島。長崎市内に戻ったら 次は市内の観光だ。ではでは次回に続く          2020年2月9日に長崎市で撮影 にほんブログ村 ​​ ​

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