殿上人日記

2020/08/13(木)09:57

いよいよ、これが最後。博多の名物グルメと太宰府天満宮

旅のいろいろ(114)

​ ​ 2月上旬に娘と出かけた長崎旅行、ついに​ 最後の観光地へと向かいました。いやぁ~ 本当に中身の充実した旅でした。日程を 見てこれは行きたい!と、目を輝かせた 団体旅行でした 途中、遠くに巨大な観音像が見えた 福岡県久留米市の成田山分院に立つ 62メートルの救世慈母大観音像で 胎内めぐりも出来るそうだ そしてやってきたのは大宰府(だざいふ) 車窓から政庁跡が見えた。古代において 大和朝廷が東アジア諸国との外交、交易 軍事上、重要な拠点であるこの地に出先 統治機関を設置していたのだ 天智天皇が母の斉明天皇の追善の為に発願 したという観世音寺は、たび重なる火災や 風害により、創建当時の堂宇や仏像は失われ 往時の面影は残されていない。しかし国宝の 梵鐘は、妙心寺と同じ木型を用いて鋳型を 造った兄弟鐘と推定され日本最古級のものだ 道真は「都府の楼には纔に瓦の色を看る 観音寺にはただ鐘の声をのみ聴く」との事 天平勝宝5(753)年、仏舎利を携え来日に 成功をした鑑真が、太宰府を訪れこの地で 初めての授戒を行ったそうである 「戒壇院」は西戒壇として、中央戒壇(東大寺) 東戒壇(下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」の 1つである。本堂内の戒壇には天竺(インド)、 唐(中国)大和(奈良)の土が納められている との事だ また大宰府政庁跡のあたりには、令和で有名に なった坂本八幡宮がある。かつては太宰帥の 大友旅人の邸宅があり、そこで開かれた歌会の 様子が万葉集に残されており、そこから令和 という元号が生まれたそうである。とは言え 今回はスルーです 個人旅行であれば大宰府政庁跡や、坂本八幡宮 戒壇院、そして水城などもまわってみたいけど 今回は団体旅行だしね。とか言いながらも以前 個人旅行で大宰府に来た時も、↑あたりは行く 事もなかった。九州国立博物館が目的だったし その個人旅行でも出かけた、福岡に来たらまず 外せない「太宰府天満宮」が、今回の旅行での 最後の観光先である。2月上旬という事もあり 前に来た時には見れなかった、梅の花が今回は 見頃で嬉しかった。やっぱ旅行はタイミングが 重要だ 太宰府天満宮についてウィキペディアでは >右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に >左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の >大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の >延喜3年(903年)に同地で死去した。その >死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると >葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、 >これはそこに留まりたいのだという道真の >遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の >境内に味酒安行が廟を建立、天原山庿院 >安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象 >など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年 >(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。 >これらのできごとを「道真の祟り」と恐れて >その御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を >奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の >墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に >竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である >それでも「道真の祟り」は収まらず、延喜23年 >(923年)には皇太子保明親王が21歳で死去。 >狼狽した朝廷は、延長と改元したうえで、4月に >道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正 >二位の位階を追贈した。 >しかしそれでも「祟り」が沈静化することは >なく、保明の遺児慶頼王が代わって皇太子と >なったものの、延長3年(925年)には慶頼も >わずか5歳で死去した。そしてついに延長8年 >(930年)6月、醍醐天皇臨席のもとで会議が >開かれていた、まさにその瞬間、 >貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、死傷者が >出る事態となった(清涼殿落雷事件)。天皇は >助かったが、このときの精神的な衝撃がもとで >床に伏せ、9月には皇太子寛明親王(朱雀天皇)に >譲位し、直後に死去するに至った。 >承平元年(931年)には道真を側近中の側近と >して登用しながら、醍醐と時平に機先を制せ >られ、その失脚を防げなかった宇多法皇も死去 >している。わずか30年ほどの間に道真「謀反」に >かかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣 >1名以下の高級貴族が殺害されたことになる。 >猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には >太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、 >道真への御霊信仰は頂点に達した。ついに >正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・ >皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も >併用されるに至った >寛和2年(986年)、道真の曾孫菅原輔正に >よって鬼すべ神事が始められるようになった。 >寛弘元年(1004年)、一条天皇が初めて >北野天満宮へ行幸されて、太宰府へも勅使を >つかわせて以来、士庶の崇敬を広く集めた >菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との >政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることと >なった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木の >うち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・ >桜の木・松の木との別れを惜しんだ。その時、 >梅の木に語りかけるように詠んだのが  >東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅花  >(うめのはな)主なしとて春を忘るな            >道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が >遠い所へ去ってしまうことを知ってからと >いうもの、悲しみのあまり、みるみるうちに >葉を落とし、ついには枯れてしまったという >しかし梅と松は、道真の後を追いたい >気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。 >ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡 >板宿近くの後世「飛松岡」と呼びならわ >される丘に降り立ち、この地に根を下ろした >一方、ひとり残った梅だけは、見事その日 >一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んで >ゆき、その地に降り立ったという。太宰府 >天満宮の神木で、樹齢1000年を超えると >される白梅で根本は3株からなる。太宰府 >天満宮に植えられた梅のなかではいちばん >先に咲き始めるとされる。 >飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館) >跡に建立された榎社の境内にあったが、 >太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植 >されたといわれている。このほか、後代に >道真を祭神とする神社に株分けされたものが >各地に現存する。 >太宰府天満宮での御神酒は梅酒である。 >また参道には梅ヶ枝餅と呼ばれる餡入りの >焼き餅を販売している店が並んでおり、 >製作している風景も楽しめる。小豆餡を >薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った >鉄板で焼く焼餅である >出来上がると中心に軽く梅の刻印が入る >ようになっている。その名称は太宰府 >天満宮の祭神である菅原道真の逸話に >由来しており、梅の味や香りがする訳 >ではない 参拝の後にぱくりと食べてみました 道真は幼少より詩歌に才を見せ、11歳で 初めて漢詩を詠んだ程の秀才で、祖父の 菅原清公以来の私塾、菅家廊下を主宰し 朝廷における文人社会の中心的な存在で あった事から、学問の神様とされている 九州だという事で、熊本のくまモンの グッズなども置かれていた。 2020東京オリンピックスタジアムでもある 新国立競技場を設計した隈研吾氏により「自然 素材による伝統と現代の融合」というコンセプトで 設計されたスターバックス大宰府天満宮表参道店 筑紫庵本店では大宰府バーガーという ものがあったが、人が並んでいたので 集合時間もあるので、購入をする事が 出来なかった なにぶん、団体バスの新潟や静岡組の人は 夕刻の飛行機の時間があるので、大宰府の フリータイムは駐車場から、天満宮参拝を する位で、買い食いの時間は残されてない 色んな観光地を効率よく回る場合には かなりタイトな時間、設定にもなって くるというのに、すぐ前に座っていた ご近所さんでのオヤジ数人グループが 3日目は朝からお酒にも酔っぱらってて バス内は声が大きくうるさくて、添乗員 さんに注意されていたが こちらは佐世保バーガーを諦めたという のに、フェリーの下船後にトイレだけを 済ませてスグにバスへと言われてたのに 脇の売店で唐揚げをお買い上げで、数分 以上は待たされ ここ大宰府でもみんなバスに乗り込んで いて集合時間を過ぎているのに、あぁ~ 今度はソフトクリームを買ってるよ。今 GOTOキャンペーンで沖縄旅行や、都会 から田舎にへの帰省も、多くの人は人の 事まで慮って我慢をしているというのに 好き勝手をしている人がいるのを不満に 思う人も多いのではないだろうか。本来 ならば、大宰府の後に土産物屋に寄ると いうのも時間が押していて、すっとばし 福岡空港で新潟、静岡組を下ろしました 新幹線組の方はまだ時間があるそうで みんなで寄るはずだった土産物屋さんに GO。新幹線の中で食べるといって娘に ねだられて、博多グルメを購入 無事にJR博多駅に到着しました。もう 暗くなってきましたが利用する新幹線 まだ先なので1時間以上は時間があり 一度解散をする事になりまして ここで夕飯を食べようと、グルメエリアを うろちょろしまして、ケンミンショーでも やってましたが、博多はうどんが名物だと 聞いていたので 因幡うどんうどん博多デイトス店で、私は ごぼう天うどん。噂どおりぶよんぶよんな 麺だ 娘はほろ酔いセット。小鉢3皿とお酒が ついて650円。他に天ぷらを頼んで 二人でつついて、集合時間までのんびり する事が出来た 夜7時半に新幹線に乗り込み、名古屋に 到着するのは午後11時近くで、終電も 間に合うとは思うけど、そのまま名古屋 駅前の前泊したホテルに泊まり、次の日 名古屋でショッピングをして帰りました 新幹線の中では先程、買ってきた博多 名物の鶏なんこつ天をおつまみにして 娘はビール。私は博多、小倉駅内限定 販売の能古島甘夏チューハイをごくっ お土産は初日の道の駅で買った、ド・ロ様 そうめんと、パスタは切り出しで格安価格 他に棚田かりんとう 長崎市内の土産物屋で、中華菓子の よりより。おいしかったので大袋を 買えば良かった。あとカステラ屋で 特売品 富士山の箸置きは、有田ポーセリン パークで貰いました。あとキーホルダーと 根付を旅の土産に・・・ 2月8日からの3日間(早朝出発、深夜 帰着の為に名古屋で前、後泊しました) 娘と出かけた旅行はこんな感じでした 費用は確か7万円位だったと思います と、ホテル代と名古屋までの交通費で プラス一人1万円 前から行きたいと思っていた長崎ランタン フィスティバル、ハウステンボスのイルミ ネーションとチューリップ、柳川のさげもん そして大宰府天満宮の飛び梅の花と、その 時期だからこそ楽しめる内容でした 5月末から合計13回に渡って、長崎 &福岡旅行のブログ日記にお付き合い 下さり、ありがとうございました。完         2020年2月10日に福岡県で撮影 にほんブログ村 ​​​

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