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 殿上人日記

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滋賀、奈良の旅

2018年10月11日
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カテゴリ:滋賀、奈良の旅


東京オリンピック&パラリンピックに向けて、日本の
アーティストが集って、東京の「今」を象徴する
音楽をNHKワールドJAPANから、世界に発信
するという「SONGS OF TOKYO」のペア
入場整理券は無事に届きました。田舎なので届く
のも遅めだったのかな




一夜と二夜に分かれていて、私の行くのは二夜で
石川さゆり、内田真礼、関ジャニ∞、ゴールデン
ボンバー、DA PUMP、乃木坂46、三浦大知と
いったメンバーが登場しますが、なんと言っても
今年大ヒットのDA PUMPの「U.S.A.」は実際に
見てみたかったし、石川さゆりの生歌も楽しみ~




フェルメール展の日時指定チケットも購入しました
2000年もフェルメールが幾つもやってきた年で
大阪市立美術館日蘭交流400周年記念特別展覧会で
聖プラクセディス、リュートを調弦する女、地理学者
真珠の耳飾りの少女、天秤を持つ女5点。アムステルダム
国立美術館所蔵17世紀オランダ美術展では恋文も見た




2008年のフェルメール展光の天才画家とデルフトの
巨匠たちは、マルタとマリアの家のキリスト、小路
ディアナとニンフたち、ヴァージナルの前に座る若い女
ワイングラスを持つ娘、リュートを調弦する女、手紙を
書く婦人と召使いの7点とパワーアップしており、無論
私も出かけてました~↓

「旅の始まりはいつも突然に。いざゆかん、東京CITY!」




そして今回はそれを上回る9点(入れ替えもあり現在は
8点展示)が来日。しかも日本初公開作品もあると
いうのだから、これは見に行くしかない。雑誌やTV
などでも紹介をされている今回のフェルメール展では
牛乳を注ぐ女、マルタとマリアの家のキリスト、手紙を
書く婦人と召使い、ワイングラス、真珠の首飾りの女
手紙を書く女、リュートを調弦する女、赤い帽子の娘
(~12月下旬)、取り持ち女(1月上旬~)が来日




この他にも時折、日本に来日するフェルメール
だけど、残されている作品は35点しかなくって
その中でも人気なのが、青いターバンが印象的な
「真珠の耳飾りの少女」で映画化もされている


真珠の耳飾りの少女 [ スカーレット・ヨハンソン ]




今回は、運よくフェルメール展は見れるけど
今年の上野はこの後も、ルーベンスやムンク
などの展覧会も予定されているので、あぁ~
そっちも見たいのになぁ・・・。年末年始の
あたりでもう一度、上京できればいいのだが




さてさて写真の方は5月上旬に出かけた日帰り
バス旅行無料招待で出かけた、彦根の後半戦だ
かなりの土砂降りだったので、早々に彦根城を
諦めやってきたのは、夢京橋キャッスルロード
だけども、やっぱ観光もしておきたい




で、ネットで調べた「弘誓山宗安寺」はまだ
拝観をした事がなかったので、この機会にと
やってきました。土砂降りの中で・・・・




今回はこういった案内板をこまめに撮影してる
ので、詳しい事は↑看板をお読み下さい。あの
映画やドラマではイケメンが演じる石田三成の
佐和山城の表門とは♪ もう妄想ムード突入




最近は映画「関ケ原」の岡田准一が演じていた
けど、小栗旬や山本耕史、田中圭、萩原聖人
及川光博などなど。かつては石坂浩二、近藤
正臣、奥田瑛二、真田広之なども演じたそうだ




徳本行者であるが、ウィキペディアによると
>文化13年(1816年)6月22日から7月1日まで
>信州松本に滞在し、生安寺を中心に化益を執り
>行い、受けた人は28,000人を超えた。その
>影響もあり、松本市内には善光寺の等順を
>上回る七十三基の徳本名号塔が存在している

どこかで見た訳だ




井伊家にかかわりのあるお寺ではあるが、江戸期の
「朝鮮通信使」の宿泊所でもあり、当時の部屋も
残されており、パネルで通信使の説明などもあった
ウィキペディアによれば




>室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗
>王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利
>義満によって派遣された日本国王使に対して信
>(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まり
>である。15世紀半ばからしばらく途絶え、安土桃山
>時代に李氏朝鮮から秀吉に向けても派遣された。




>しかし、その後の文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)に
>よって日朝間が国交断絶となったために中断されて、
>江戸時代に再開された。江戸幕府の外交政策において、
>朝鮮は琉球王国と並んで正式な国交のある通信国と
>されていた。(中略)通信使は将軍の代替わりや
>世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として
>派遣されるようになった




拝観料を支払って中も見学が出来て、貴重な寺宝が
拝見できるのだが、石田三成が戦の前に祈りを捧げ
「危険な目に遭う時にお地蔵さんが現れ、身代わりと
なって助けてくれる」という、身代わり地蔵として
拝んだ石田地蔵尊




更には1メートル程の高さの厨子に、小さな金色の
阿弥陀仏が安置された、石田三成ゆかりの千体仏も
実際の歴史的な人物に、ゆかりのある仏様だけに
なかなか、そこからは離れられそうもない。




本尊である「阿弥陀如来立像」は、鎌倉時代の作で
大坂夏の陣の際に、井伊家家臣の所藤内が大坂城の
仏間より拝持したものだそうで、淀君の念持仏と
いわれているそうだ




徳川幕府の大政奉還が決定した後に、彦根藩の足軽級
武士がここ宗安寺に集まり、新政府支持で結束をした
そうである。官軍に参加して若くして亡くなった藩士の
お墓もあった




大坂夏の陣で、井伊直孝勢に討ち取られた、豊臣の
家臣である「木村重成」の首塚もあった。秀吉の
元で長年にわたり活躍をして知行も18万石まで
出世をしながら、秀次事件で秀次を弁護した事で
連座の罪に問われて、自害を命じられた木村重茲の
息子である




連座で長男の高成も切腹させられ梟首された他に
娘も磔にかけられたというが、幼少であった重成は
罪を問われず、母の宮内卿局(一説には右京大夫局)が
豊臣秀頼の乳母となった事から、重成は幼少から
秀頼のお小姓として仕えた。ウィキメディアによれば




>秀頼の信頼が厚く、元服すると豊臣家の重臣となり
>重要な会議などにも出席するようになる。慶長4年
>(1599年)12月17日、豊臣姓を与えられる(中略)
>大坂冬の陣では後藤基次とともに今福砦攻防戦を
>展開し、徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めた




>真田丸の戦いにも参加する。また、和議にあたっては
>秀頼の正使として岡山で徳川秀忠の誓書を受け、その
>進退が礼にかなっているのを賞された。慶長20年5月
>大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として長宗我部
>盛親とともに八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣




>八尾方面には長宗我部盛親、若江方面には重成が展開し、
>藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙した。藤堂軍の右翼を
>破った重成は、散開していた兵を収拾し昼食を取らせると
>敵の来襲を待ち構えた。その後、敵陣へと突撃を開始
>するも、井伊軍との戦闘の末に戦死した。井伊家家臣の
>安藤重勝に討たれたとも、庵原朝昌に討たれたが朝昌は
>その功を重勝に譲ったともいわれる。




>首実検でその首級が家康に届けられると、頭髪に香が
>焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたという
>逸話が残っている。その後、首は重勝が密かに彦根
>まで持ち帰り、安藤一族の菩提寺である宗安寺に
>埋めたとされ、同寺院には木村重成の首塚がある




>なお、慶長20年(1615年)1月7日に大蔵卿局の姪の
>青柳を妻に迎え、八尾・若江の戦い前後に青柳と別れの
>盃を交わしたという。重成の死後、妊娠していた青柳は、
>近江の親族によって匿われ男児を出産後に出家した。
>そして、重成の一周忌を終えると青柳は20歳で自害した
>という




戦国最強のイケメンとも言われ、真田丸では仮面ライダー
俳優の白石隼也が演じていたそうだが、身長も大変高く、
体格もがっちりしており、顔は色白で眉は黒々とし、目は
キリリとしているなど。女装をしていても誰も気づかな
かったなんて逸話もあるそうだ




ひこにゃんのモデルはというと、彦根藩の二代目藩主の
井伊直孝にゆかりのある1匹の白猫をモデルとしている
関東の豪徳寺で直孝がにわか雨にあって、大木の下で
雨宿りをしていると、手招きをする白猫を見て近寄ると
直後に大木に雷が落ち、白猫のおかげで難を逃れたと
喜び、招き猫発祥伝説でもあるそうだ




かつては第一公設市場が置かれ、彦根の台所と呼ばれ
地元の人々に親しまれてきた場所が、四番町スクエアと
して生まれ変わったそうで、色んなお店があった




そして先程の夢京橋キャッスルロードの東側に
並行するように、お寺が連なった風情のある
町並みがあった




彦根には何度も来た事があるが、この通りは初めて
こんな落ち着いた通りもあるのか




佐和山麓から彦根城築城の際に、ここに移転をした
来迎寺の木造阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財に
指定をされている




1603(慶長8)年に、初代彦根藩主の井伊直政が創建
したと云われる大信寺の石垣は、彦根城の築城の時の
残石なんだとか。直政は関ヶ原の戦いの軍功により
18万石にて近江国北東部に封ぜられ、三成の居城でも
あった佐和山城に入城をしが、中世的な古い縄張りや
三成の居城であったのを嫌い、新たに築城を考えた




しかし関ヶ原の戦傷が癒えず死去。家督を継いだ子の
井伊直継が幼少であったので、家老の木俣守勝が家康と
相談し直政の遺志を継いで、1603(慶長8)年に現在の
彦根山(金亀山)に彦根城の築城を決めたそうだ




公儀御奉行3名により、尾張藩や越前藩など7か国15大名
(15大名とも言われる)が手伝いを命じられた天下普請で
1606(慶長11)年の二期までの工事が完了し、天守完成を
持って直継が入城。その後も彦根藩のみの手により、1622
(元和8)年に彦根城が完成をしたそうだ




それに伴い、彦根城の城下町の町割りが本町地区
(夢京橋界隈)から始まり、外からは攻めにくい道
(鍵の手、どんつき、、狭い、迷う)が作られた
西国と東国を結ぶ交通の要所にある彦根は、徳川
幕府にとって特別の場所でもあり、信頼熱い井伊に
任された訳だし




桜田門外で暗殺された井伊大老も輩出をした、幕府
きっての彦根藩が、官軍となり討幕に加わったという
のも、色んな大人の事情でもあったんだろうな




彦根城の周囲には、お寺以外にも武家屋敷なども
連なっていたようだ




このお宅にも看板があるのだが、雨がひどく帰りに
見に行こうと思いながら忘れてしまって、なんだかの
ゆかりのあるお宅らしい




今回は洋風のお土産にしたけど、彦根の和菓子屋で
有名な「いと重菓舗」は創業200余年を迎える老舗で
大老 井伊直弼の御用達「埋れ木」は、以前に食べた
事がある。雨には降られてしまった彦根だが、初めて
出かけた寺もあるし、それなりに楽しむ事が出来た。




       平成30年5月7日に滋賀県彦根市で撮影

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最終更新日  2018年10月11日 19時22分04秒
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2018年10月04日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


​今年もあちこち出かけているので​、ここで
まだ紹介してない行楽もいっぱい。今回は
今年の春5月初旬に一人で出かけた、例の
日帰りバス旅行無料招待で、出かけた先は
この手の旅行で、うちのあたりから人気の
行先だ




まずはお決まりの一般販売はしていない
という高価な宝石&健康グッズ販売店に
立ち寄って90分。興味がなく売り場に
いたくなかったらゆっくりできる休憩所も
あるので、早々にそちらに移動




今回も販売前の説明トークで、宝石のクイズが
あって、クイズに当たった上に、5月は誕生月
だからわかったと言うと、小さなキャンドルも
いっぱい貰った。私は買った事など勿論ないが
ここに立ち寄る事で成り立つ無料招待なんだろな




もう10年位は、同様の旅行が続いているし
今年など春先の伊勢に、今回の彦根、今月は
もう一つ秋の旅も当選しており、何度もある
という事は実際にお買い上げになっている方
などもおいでになるのだろうか。あくまでも
自己責任なんだけどもね




宗教もだけど、人には全く価値がないとか
効果などないと思っても、人によっては
それが生きがい、救われたなんて事もある
から、他人の生き方には口も出せない。で
うちの次兄家族とか、長兄嫁などは某有名
新興宗教(別の)に入っているけど、選挙
頼まれる位で、特に無関心でいたりする




実家は曹洞宗永平寺&津島神社系で
うちは臨済宗妙心寺&諏訪神社系。姉の
ところは浄土真宗西本願寺(神社は?)と
いうように既存仏教で、子供の頃から
京都や奈良の寺社仏閣が大好きなんで
特にこうゆうもんだと




無料招待の基本料理。これにお金を追加
した方は、左上のお肉が近江牛にパワー
アップするようだ




この前にも一つ観光があったけど、写真
枚数の関係で後半にまわして、先に彦根
フリータイムの紹介をしますが、今日は
あいにくの天気で。お天気までは事前に
判らないし運が悪かったとしか・・・・




彦根城のすぐ前で解散&集合なんだけど
こんな天気だし、何度も出かけているので
彦根城&ひこにゃんはパス。今回はお城の
近くの夢京橋キャッスルロードあたりへ




添乗員さんお勧めの漬物屋さんまで
連れて行ってもらって、お茶などを
貰って、ここで解散。私もお土産に
赤こんにゃく味噌漬を購入




雨だしのんびり午後のスイーツでもと
ネットで調べ、地元の老舗のケーキ屋
「三中井」さんに出かけてみた




ショーケースには美味しそうなケーキが
いろいろと並んでいたが




ここで人気だというロールケーキの
オリンピアを食べてみた。その土地
ならではのものを食べるのも行楽の
醍醐味だ




さっきよりは雨がゆるくなったようだ
このあたりで20年近く前に、王様の
旅という、2泊3日のペア滋賀旅行に
当選をして旦那と近江牛ランチを食べた
のが懐かしい




新幹線のグリーン席に乗ったのは、後にも
先にも、その時ただ一度だった。しかも滋賀
県内はタクシーチャーターで、京近江最上階
だだっ広いVIP室で、食べきれないような
極上の食事をさせて貰って。。。。




あの頃は懸賞もハガキで応募をするタイプで
応募もさほどなかったのか、よく当たったが
ネットで簡単に情報も得られて、応募出来る
昨今は当選も難しくなったようで、ここ数年
よほどの場合以外は懸賞から遠ざかってきる




そんな中で、この勝手知ったるこの手の
旅行の応募はせっせと行っている。あと
NHKの歌番組の公開収録、メールで当選と
通知があって、今年も渋谷に行けるのかと
喜んでいたが、昨日あたりには届いている
らしい入場整理券が、今日も来なかったし
明日も来ないようならNHKに問い合わせを
するか・・・




ここまでの素敵な洋館は全国区になった
クラブハリエ&たねやの彦根の美濠の舎
(みほりのや)です。ここでケーキでもと
迷いましたが、先程のオリンピアを食べ
ました。彦根だし地元の老舗で・・・




紹介を前後しましたが、彦根市街に出る
前に多賀大社に参拝に行きました。ここも
先程、紹介をした王様の旅で参拝をして
以来の来訪になります。王様の旅は旅の
観光先、食事、宿泊先などプランニングを
自分で行って、だいたいその通りになる
旅行でした




まだ当時はデジタルカメラが出ていなくて
(もしくは出たばかりで)、フィルムのもの
だったので今のようにバシャバシャ撮れずに
記念写真じみたものが少ししか残せなった
のが残念でした。あと10年早くデジタル
普及してくれてたら・・・




デジタルカメラが普及して、程なくブログ
サービスが出来た事で、このような行楽の
ブログも始める事が出来た訳で、これを
始めてブログに時間をとられる事もまた
懸賞を熱心にやらなくなった理由の一つ
かもしれないです




それに娘が大学や就職で、一人暮らしを
始めて、信州や静岡など微妙に遊びにも
行ける距離だったので、私も入り浸って
そこから行楽に出かけたりもしていたし
懸賞をする暇もなかったし




無料の日帰り旅行も高齢者の参加者が
多いので、こういった有名な神社仏閣が
行先になることが多く、写真をパシャ
パシャしてばかりでも、しっかりと参拝
させていただきました




多賀大社についての概略は、↑の看板を
ご覧ください。自分で書くのが面倒なので
今回はしっかり立て看板を撮影してきた




「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢
お多賀の子でござる」との事で、伊勢も
行ったばかりだし、これは丁度良かった
御祭神のイザナギ・イザナミは伊勢神宮の
御祭神アマテラス大神の親にあたるので




多賀大社は豊臣秀吉からの信仰が篤く、母
大政所の延命を祈願し叶った事から、米
一万石を寄進しており、その一万石で反橋
などが造営されたので、太閤橋とも呼ばれて
いるそうだ




上からはこんな景色




振り返ると、こんな感じ




横から見た場合は、こんな感じです




あきませんわ。こうやって日記を書いて
いても、頭の中はNHKの入場整理券が
まだ届かないという事ばかり。いっそ
事前の当選メールが無ければ、こんな
心配もいらないのに。普通はどっちか
だけなんだけど。当選メールか、当選
通知




今どきの売れている音楽アーティストの
パフォーマンスも楽しみだけど、それを
理由に東京に行ける=フェルメール展が
見れるという図式で、フェルメール展の
高価な前売チケットを買うのは、ちゃんと
NHKの入場整理券が届いてからと決めて
いるので




ホテルは3日前位までならキャンセル料は
必要ないので、応募した時点で渋谷で予約
しているが、何事も確実にしたいので早く
届いてもらわないと、フェルメール展の
チケットが買えない・・・・




それにしても棚から牡丹餅はこの事か
同行予定の姉もテレビでフェルメールの
特集を見たようで、楽しみにしているし
書店にもフェルメールを特集した雑誌
などもあるので、人気のほどが伺わる
だけあってチケット代も2500円って




本当はね。京都の国立博物館で開催
されている日本刀の展覧会も行きたい
でもでも、このように出歩いている中
京都に日本刀を見に行きたいとも言えず
東京だってフェルメール単品じゃ無理だ




旦那的にNHK歌番組収録>>フェルメール
みたいな感じで、しかも姉が歌番組を見るの
楽しみにしているから♪などと、姉を引き
合いに出してこそOKも貰えるというもの
もう来週の事なのに、まだ入場整理券が
届いてないので、旦那にも言ってないし




あまり間際にしたくないので、そんな
こんなで次の行動を早く取りたいので
やきもきしている訳だ。ところで今回は
フォーク番組の収録ではなく、東京五輪
がらみの音楽番組で、当世の東京の流行
歌手が幾組も登場するそうである




NHKホールの利用で、客席は3千人以上入れる
みたいだが1当選でペア入場なので、当選数は
半分。応募は1夜、2夜合計で1万人を超えて
みたいだ。憧れの紅白歌合戦に比べたらかなり
低いハードルだし。一度くらい渋谷で大晦日を
過ごしてみたいもんだ




そうそう一般のコンサートなども最近は
転売防止で、本人確認が増えつつあるが
NHKの主要の公開収録でも、運転免許証
などで当選者本人であるかを確認をして
入場させている

おっ、しゃもじの絵馬だ




お多賀杓子については、写真にも簡単な
紹介があるが、これがおたまじゃくしの
名の由来らしい




大きなしゃもじが看板の門前のお店
では、名物の「糸切り餅」が売られて
いた。やっぱ大きな神社やお寺の前に
和スイーツは定番だ




流石に歴史ある神社だけに、名物も
なにやら歴史じみている




旅行自体が無料だったので、高価な宝石は
買わなかったが、食べれるお土産は気合も
入った




先程の多賀大社門前の糸切り餅と、お隣で
地元のお酒を




彦根の赤こんにゃく味噌漬と、クラブ
ハリエのバームクーヘン




そして恒例となった途中の養老サービス
エリアでのお土産は、滋賀県には関係の
無い桑名の安永餅と、名古屋城での武将
イラストの入ったコカ・コーラ




彦根で、土砂降りの中で観光した先は次回
紹介させていただきます。勝手ながら固有
名を挙げての宗教関係のコメントは、お控え
願いますように




     平成30年5月7日に滋賀県で撮影

  PS.入場整理券無事に届きました。5日午後0時

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最終更新日  2018年10月05日 12時19分45秒
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2015年08月02日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


名古屋を中心とした中部地方は八丁味噌を食べたり
独自の食文化を展開しているが、様々な文化風習で
東日本と西日本の境界に位置し、エスカレーターは
東日本と同じなので、関ヶ原を超えて関西に行くと
逆に並ぶ人たちを見て、あぁ関西に来たなと認識を
する




家の建て替えの準備などで忙しいとか言いながらも
宿泊代の半額近くを国が援助してくれて安く泊まれる
ふるさと割で、滋賀県大津市の高級温泉旅館の予約が
とれたので、姉と二人で7月下旬に電車旅に出かけた




京都は姉と毎年のように出かけており、京都で宿が
取れず琵琶湖ホテルに泊まった事があるが、今回は
大津の奥屋敷の雄琴温泉。姉は初めて、私は三度目の
宿泊となる。早めに「びわ湖花街道」さんに着くと
冷茶でおもてなし




お部屋は8畳の一番リーズナブルなタイプにしたのに
平日で空室があった為なのか広い部屋を用意してくれて
いて好感度アップ♪ 今回は宿泊代(2人)4万以上で
2万円をふるさと割で割引して貰える。とかいって姉が
スポーンサーでいつものように奢って貰ったのだけど




正面に見えるのは、ずっと前に懸賞の招待旅行で旦那と
泊まった京近江(高い建物の別館の方)だ、最上階で
4つも部屋があって、露天風呂なんかもあって、食べ
きれないほどの料理が並んだ宿だ




気さくなお嬢さんがお部屋に案内してくれて、お茶出し
この宿って、若い娘さんたちがはきはきと働いていて
なかなかフレンドリーな感じが良い




浴衣も自分で選べ、赤い方は姉が選んだ。姉は大きな
もの(寺とか)、派手なものなどが好きなタイプだし
温泉も平日で空いているのか、人も少なくてのんびり
出来る。やっぱ夏でも温泉へGO!




夕食は個室に用意してくれるとの事で、時間になった
ので出かけると、皆さん、こちらで写真を撮られますよ
と宿の方にすすめられた内庭で姉と記念写真を撮って
貰うが、ここでは非公開で~す




やっぱ年寄りはテーブル席がナイスです。風情のある庭
なども眺められ、女性に人気の宿だけに隙がないなぁ




色んなお料理のプランもあった中で、やっぱり滋賀県に
きたのだから「近江牛」これしかないと私がチョイス
したのは特選近江牛懐石で、いろんな近江牛のお料理が
食べれるようだ


 

ここは日本酒の冷酒でもぐびぐび行きたいところだけど
ささやかにレモン酒でカンパーイして、あとは日本茶で
ぱくぱく


 

お酒より近江牛。夏場のお料理なのでお肉にもよく火が
通されており、臭みなども全くない美味しいお肉だし




きたぁ~~~。お宿自慢の近江牛の水晶プレート焼き
お~~、美味しそうなお肉だし


 

タレもあったが、シンプルに塩で食べるのが美味しかった


 

早めにご飯も用意して貰う。近江は米どころ


 

そして、名ばかりのミニしゃぶしゃぶかと思ったら
普通に野菜もお肉も普通しゃぶしゃぶで、少なそうに
見えるが、一切れ一切れが大きな近江牛(一人前)♪


          

しかしデザートは別腹。ちゃんと食べれるから不思議だ




朝食も近江名物の食材なども使われており


 

ここの生玉子がおすすめみたいだけど、私はゆで玉子派
なのでパス。おなかいっぱいで向かった先はいつもの京都




関西に来て思うのは、というか東京に行くと感じるのは
あくまで私と姉の個人的な見解ですが、60代の姉は
東京へ行くと必ず、2、3度は電車で若い男性などから
席を譲られるんですわ。ほとんど立ったことが無い位に
頻繁に(見た目?) 私は譲られた事がない(ホッ)




でも関西とかはそうゆうのは期待できない(中部も同様)
目の前の優先席で学生とか若い子が平然と足組んで座って
いて、1年前に脳梗塞を起こして心不全の薬も飲んでる
姉なので、座らせてあげたいけど「かわって」とも言い
づらく立たせたまま。姉との旅行は東京の方が気が楽だ




昨日一昨日と二日間もかかって、30年近くため込んだ
書類を1つ一つチェックして処分をした。新婚当時の
旦那の手取り15万位。残業なしで12万なんて時も
今も残業なしなので手取りは期待が出来ず、今だ娘の
ガソリン代や、ケータイ代、息子の保険代なども払い
それを指摘すると怒り出す始末




というか保険代・・・ありえないし。年払いとかもあり
表立ってこなかったが、こうやっていちいち書類を見れば
旦那のメイン保険、旦那のがん保険、旦那や家族の保険
私の保険、息子の保険、家の保険、複数台の車の任意保険
とかで月に7万円位は保険につぎ込んでない?




このうち終身保険や満期払戻金のある貯蓄型もあるけど
払い込んだトータルの半分位しか戻らない模様。絶対に
がんの家系じゃないのに、がん保険ももう100万以上
払い込んでいるし、普通に貯金をした方が良いと思うん
だけど。「これだけしか貯金がないかよ」と旦那は貯金
総額を聞いてがっかりしてたけど、これって保険貧乏?




少し誤算がありました。工務店の社長さんが所有している
アパートを安く貸してくださるそうで、探す必要もないし
敷金礼金&不動産屋の仲介料も必要が無いと喜んでましたが
ネット環境がないようで、数カ月の為に導入するのもどうかと
思いまして、でも数カ月もネットが出来ないのも。スマホも
ないし




月に一度は顔を出す娘の所や、実家とかネットも出来ますが
地域のフリースポットも電源まで無料で使用できる所すら
あるようなので、そういった所でブログとか更新したいと
思いますので、今までも少ない方ですが今後は、月に
何度かしか顔を出せなくなりますのでご承知下さいませ

              平成27年7月23日、滋賀県で撮影

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最終更新日  2015年08月02日 06時55分51秒
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2013年12月12日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅



旦那が海外出張で家にはいなかった、この夏。これは
チャ~ンス!とばかりに、青春18切符や高速バスを
駆使して前から行きたかったあそこやここや。中でも
夏の8月のお盆は、こちらは旧盆7月で関係ないとは
言え行事もあったりで、なかなか思うように出来ない


  

てな訳で青春18切符を利用して、名古屋から関西本線
使ってやってきたのは、野放しの野生動物が街中を闊歩
ゆるキャラすら頭に角が生えている、ここは古都、奈良で
ございまするよ~




天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

阿倍仲麻呂のうたでも有名ですが、今回の奈良行きでは
夏の宵を月ではなくって大文字送り火や、春日大社での
中元万燈籠、東大寺大仏殿万灯会をハシゴしてぜ~んぶ
楽しんでしまおうという趣向です




毎年8月15日。終戦記念日に行われる奈良の大文字は
昭和35年に奈良県出身の戦没者3万人弱の霊を慰める
為に始まり、今では世界平和も祈念しているのだとか


 

大文字の点火前、飛火野で戦没者の慰霊祭が東大寺による
仏式と、春日大社による神式で遺族の方や関係者の出席の
もと共に行われる。こういった戦争慰霊祭に参加させて
いただくのは初めての事である




多くの人が見守る中で、いよいよ大文字に点火をするが
火力強く、望遠レンズを持参していなかったのでなんか
大の字がつぶれてしまった~。でも↓光源のある所では
大文字がよくわかった




大の字は火床が108あり、第一画が109メートルで
第二画が164メートル、第三画が128メートルもあり
日本最大級の送り火だそうで「宇宙を意味し煩悩の
焼却と、諸霊に供養する清祥心を表す」ものだそうです




大文字も無事に見れたので、全部をまわるには要領良く
まわらないとと早足で春日大社に向かうと、縁結びでも
有名な夫婦大国社から、春日大社の境内に入る片側
通行になっていた




春日大社であるが、平城京に遷都がされた710年に
うちの旦那が(少女漫画で)好きになった藤原不比等が
藤原氏の氏神の鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山
(三笠山)に遷し祀り、春日神としたのが始まりだ


 

全国に千社程存在する春日神社の総本社で、武甕槌命が
白鹿に乗ってきた事から「鹿」を神の使いとし、ユネスコ
世界遺産には「古都奈良の文化財」として登録をされた




かつては毎晩、約3千基の燈籠に火が灯されていたのが
今では2月の節分と、8月14、15両日の夜に限って全ての
燈籠にに火が入ります




前からこれが見たかったんだけど、日にちが限られて
行こう行こうと思ってただけで年月は流れ・・・次は
お水取りかっ


 

やっぱ、今度こそは行くぞみたいな硬い意志がないと
いつか行きたいなんて言っていても、なかなか実現は
出来ない。それは行楽に限らず何にでもあてはまる




なんて言っている間に、時間も進み残すところは東大寺
大仏殿万灯会! みんな同じ日で一緒に見れるのは嬉しい
けれど、どれもが火を灯すものなんでトータル3時間程と
時間が限られている


      

もたもたしていたら、ろうそくの火も消えてしまうよ~と
ライトアップ(電気)で、迫力のある仁王像もそそくさと
大仏殿へいっそげ~~! 




東大寺の大仏様を初めて見上げたのは、小学校6年生の
修学旅行で、東大寺、興福寺、春日大社、法隆寺、次の
日には清水寺、金閣寺、二条城って感じだったかな


 

今ならごく普通に、日帰りでも行けてしまう身近な奈良
だけど当時の私には、一生に一度行けるかみたいなすごい
ところ!という感じで。それでも今でも大仏様ほど感動を
与える仏像は出会えていない




東大寺は金光明四天王護国之寺ともいうそうで、奈良時代
聖武天皇が建立をした国家的な寺で、盧舎那仏(大仏)を
本尊とし、開山は良弁だ


 

当時は大仏殿(金堂)を中心に、東西の七重塔など大伽藍が
並んでいたが、源平合戦や、戦国期の兵火で焼失をしており
大仏も蓮華座(台座)などの一部分が当初のもので、あとは
再興されたものだ


      

盧舎那仏とは蓮華蔵世界(華厳経での世界観)の中心に位置を
しており大宇宙そのものを象徴している仏なのだとか。今夜は
正面の唐破風下の観相窓が開かれて、大仏の輝く御顔を外から
拝する事が出来た




何と元旦の午前0時から午前8時までと、お盆の万灯供養会の
午後7時から午後10時までしか開かない窓なので、とっても
貴重な事なのだ




万灯供養会だが、お盆の時期に帰省が出来ない人にも御先祖の
供養が出来るようにと、昭和60年より始まった新しい行事だそうで
大仏殿の正面にある広場に、灯が点った約2500基の灯籠が
幾つも並べられ幻想的な光景が望める


      

いかがですか? こんな(ちょっと慌ただしいけど)幻想的な
光景を楽しむ事が出来る奈良の宵。来年の8月15日は貴方も
行かれてみませんか? 次の日には京都で大文字ハシゴだって
出来ますよ




いつもであれば観光客もいなくなり、暗闇に包まれる
この界隈も、いつまでも賑やかなので、何が起こったん
だろうかと鹿も参道で当惑をしているようだった


      

近況

今週は真面目に主婦業にいそしんでいましたが、今日の寒さでは
とってもコタツから出れそうにもないです。夏に台所を大掃除し
今回は居間から、例の床が落ちて大工が直した部屋、仏間と
頑張りました。残すところは寝室と、玄関。さて明日からまた
頑張るぞ~~!




               平成25年8月15日に古都、奈良で撮影






最終更新日  2013年12月13日 08時18分03秒
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2012年05月18日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅
 
       女高野の石楠花19

 長谷寺の牡丹が出てくるのなら、コース的には
 ここが出てきてもおかしくはないと、言うのが
 更に山奥(三重県側)にある室生寺の石楠花
 (シャクナゲ)であり、この時期だけの有料の
 長谷寺間の直通バスがあり、それを利用してみた


 女高野の石楠花1

 直通バスとは言え、山道くねくねで1時間近くは
 かかったかなぁ~。その年の気候もあるとは思うが
 かつてGWに出かけた時は、長谷寺の牡丹は盛り
 だったけど、室生寺の石楠花は終わりかけて残念
 だったし、同時に咲くと言う訳でもないようだ


       女高野の石楠花17

 今年のお花はどうかなぁ~~と思ったら、アラ見事
 花の見頃にジャストミート! いやぁ~姉の希望で
 長谷寺の牡丹も、室生寺の石楠花もベストな開花を
 見る事が出来て、ほんとラッキーだった


 女高野の石楠花12

 華やかな大きな牡丹ももちろん美しいが、可憐な花が
 幾つもボンボンのように固まった、石楠花の花もまた
 愛らしいものだ。この花って、とっても透明感があり
 まじ、やべぇ~~し!


       女高野の石楠花2

 このお寺も山の斜面を利用して、いくつかのお堂を
 石段を登りながら参拝するのだが、その石段の脇に
 可憐な石楠花が花咲いて、今が一番華やかな山の寺


 女高野の石楠花3

 さて室生寺のレクチャーでも。え? 長谷寺の説明
 しなかったのに? あちらは大寺で源氏物語の舞台
 にもなる程、中身が濃いので後半戦を紹介したいと
 思いまして


       女高野の石楠花11

 やっぱり花は季節ものですから、先に花ネタを。。と
 イベントネタと共に、いつも優先で紹介をしている
 うちに一般のネタは、お蔵入りの危険性高し?


 女高野の石楠花14

 真言宗室生寺派の大本山である室生寺(むろうじ)は
 かつては女人禁制だった高野山に対し、女性の参拝が
 許されていたので「女人高野」と呼ばれる優美な寺だ


       女高野の石楠花4

 奈良時代、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の為
 室生の地で延寿の法を修すと、竜神の力によって見事
 回復したので、興福寺の僧である賢憬(けんきょう)が
 朝廷の命により寺院を造る事になった

 この木に垂れさがる縄は、龍の姿を模したものだとか


 女高野の石楠花20

 江戸時代になって興福寺の法相宗から独立し、長谷寺が
 総本山の真言宗豊山派となるが、50年ほど前に独立し
 真言宗室生寺派の大本山となった。う~む、真言宗って
 単純に高野山が総本山って訳でもないんだ・・・・


       女高野の石楠花23

 真言宗で検索をすると、宗派の中でも分派が多いそうで
 古くに、大日如来の本地法身説の教学(古義)による
 古義真言宗と、大日如来の加持身説の教学(新義)に
 よる新義真言宗に別れて、今では約50もの宗派がある
 そうで・・・・


 女高野の石楠花22

 さて室生寺の話に戻ると、都からも遥かに遠い山奥に
 存在したので、内乱とか焼き討ちなどにも遭う心配が
 なかった為、平安時代前期よりの貴重な建物や仏像が
 平成の世に残されている


       女高野の石楠花15

 賢憬の死去により、寺の造営は弟子にあたる興福寺の
 修円に引き継がれ、その当時までさかのぼれる伽藍で
 屋外にある木造五重塔としては、法隆寺の五重塔に
 次いで、日本で2番目に古いという五重塔が名高い


 女高野の石楠花18

 この塔は、国宝や重要文化財指定で屋外にある木造の
 五重塔の中で日本最小である。高さは16メートル程
 初重の1辺の長さは2.5メートルの小型の塔だそうで
 その創建は800年頃、修円が室生の竜神を封じ込めた
 「宝瓶」が塔の最上部の九輪の上にあるという


       女高野の石楠花21

 1998年9月の台風7号の暴風で、塔の脇にあった杉が
 倒れて塔の西北側の屋根を直撃して、大被害を受けたが
 心柱など塔の根幹部は無事であった。その復旧がなされ
 創建当時の美しい姿を取り戻していた

  
 女高野の石楠花5

 山岳寺院に多い懸造(かけづくり)の金堂は、平安時代
 前期(9世紀後半)の建立で、鎌倉時代に大修理を受け
 外陣の礼堂部分は江戸時代に、全面的に建て替えられて
 いるという


       女高野の石楠花24

 この堂内須弥壇上には、十一面観音立像、文殊菩薩立像
 本尊釈迦如来立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像といった
 美しい仏像が横一列に並び、その手前には十二神将立像が
 並んでおり、石楠花や五重塔同様に室生寺の見どころと
 なっている


 女高野の石楠花16

 かつて、京都の東寺の立体曼陀羅の仏像を姉や姪に見せ
 たいと出かけたら仏像修理で、幾つもの仏像が無くって
 情けない有様だったが、今回は大丈夫。日本有数の国宝
 &重文の仏像群を、姉に見せる事が出来て大満足だ
 

       女高野の石楠花13

 それにしても、室生寺独特で「室生寺様」とも称される
 平安時代前期の仏像はどれも美しく、中でもぽっちゃりと
 たおやかなお顔をされた十一面観音立像は、私の仏像
 ランキング・ベスト10に悠々と入る美しさで見飽きない


 女高野の石楠花9

 というか。このように日本有数の国宝や重文を平成の世に
 残す寺院だけに、この修復はなんだか外国からのお客様に
 見せるのも忍びない。こういった文化財の保存とか個人や
 一寺社では厳しいのだろうなぁ


       女高野の石楠花6

 享保12年(1727)の造立銘がある、「軍荼利明王
 (ぐんだりみょうおう)」の石仏。密教では宝生如来の
 教輪転身とされており、様々な障碍を除いて下さるとか

 木や金属の仏様も良いが、このような屋外の石仏もまた
 自然に溶け込んでいて好きだったりする


 女高野の石楠花7

 う~~む、赤いマントとお帽子がキュートだ。何気に
 石仏(いしぼとけ)さんも素朴で良い感じだ。この脇
 からは石段が更に山上に続いて、奥の院へと続くのだ
 姉がダウンで今回は・・・・いや、今回もパス


       女高野の石楠花8

          平成24年4月30日に奈良県で撮影







最終更新日  2012年05月18日 19時02分50秒
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2012年05月16日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅
 
      長谷寺の牡丹14

 と言う訳で娘の所へ行ってきました。富士山は
 見えたかですって? その写真はまたこの次に
 まだ春の季節物、花写真があるのでそれを先に
 したいと思いますが・・・・


 長谷寺の牡丹18

 今年は飯田周辺の桜のお花見が充実をしていて
 まだまだ紹介したい所ですが、その間にも他の
 春の花もあるので、他の今年の桜写真などを
 見たい方は、下記の写真サイトでご覧ください

       フォト蔵「空帆」の写真ページ 


      長谷の牡丹

 さて、まだ何も紹介をしていない姉に誘われての
 関西旅行。当初は3日目の予定は、未だ出かけた
 事が無かった歴史溢れる「堺」と、朝ドラで注目を
 されている「岸和田」をまわるつもりで、ガイドブック
 なども購入し、ここへ行こうとか準備も万端だ


 長谷寺の牡丹17

 ところがBIGな大好きな姉が、地味に街歩きとかを
 一緒にするだろうか・・・という不安が的中。電話では
 堺と岸和田でOKといっていたのに、大阪城公園に
 面したホテルの一室で、姉が唐突に言いだしたのが


      長谷寺の牡丹19

 「そういえば。鎌倉の長谷寺(浄土宗)には行った事が
 あるけど、本家本元の奈良の長谷寺(真言宗豊山派)には
 まだ行った事が無いし、近くの女高野の室生寺も一度は
 行ってみたいなぁ・・・」


      長谷寺の牡丹11

 そう思って、次の日の朝に大阪は勿論、京都や、奈良へ
 アクセスが良い京橋のホテルにして助かった~。勿論!
 帰りの新幹線の切符だって取ってない。だって京都から
 なのか、もしかしたら奈良から近鉄電車利用になるかも
 しれないと思っていたので


 長谷寺の牡丹3

 BIGな観音像と、山の斜面を利用した広大な長谷寺を
 見逃すはずが無いと思った。しかも一年の中でも一番!
 華やかな牡丹の時期なんだし、電話で娘にネットで開花
 情報を調べてもらうが、まさに見頃のようだ


      長谷寺の牡丹1

 私は過去に3度、長谷寺&室生寺に出かけ、牡丹の花も
 見てるけど、ここは姉孝行だ。また堺や岸和田も行く機会も
 あるだろうと急きょ、予定変更とあいなった


 長谷寺の牡丹15

 最初に長谷寺に行った時も牡丹のシーズンで、勿論、花も
 綺麗だったけど、中日ドラゴンズの帽子をかぶった少年が
 いて、「へ~、近鉄電車で名古屋圏からの利用者も多いん
 だなぁ~」などと思い、青い帽子が脳裏に焼き付いている


      長谷寺の牡丹5

 だいたい人の記憶なんて、そんなもんだ。とびきり綺麗な
 風景を見ても、美味しいものを食べても、楽しい思いをした
 としても、ちょっと変だな? それは無いよなんて心の隅に
 ひっかかったような些細な事が印象に残っていたりもする


      長谷寺の牡丹10

 今回の富士山周辺でも美しい花と富士のコラボ。カレンダー
 みたいな光景を目にして。沢山の人が訪れていたのだけど
 フェミニンなお洋服を着た、綺麗な若いお嬢さんが「マジ
 やっべぇ~~。やっばくねぇ~~コレ?」と、大きな声で
 やばいを連呼・・・


 長谷寺の牡丹6

 いや、たぶん。風景よりも日本語の将来がやべぇ~~し
 なんて訳で、私もこんな華やかな牡丹の花咲く長谷寺の
 様子を一言で表現するならば、やべぇ・・・・?


      長谷寺の牡丹16

 子どもすら敬語が使える渡る世間に鬼ばかりが終了した
 今、一番、美しい言葉を使っているのはサザエさん一家
 かなぁ・・・。あぁ! ドラえもんのスネちゃまのママも
 ざ~~ます言葉を使っていたっけ!


 長谷寺の牡丹20

 今や、TVの報道レポーターすらも容疑者とか犬にすら
 敬語を使ったり、なんとかNOWみたいにインターネット
 から派生したような専門用語も日常的に使われているし


      長谷寺の牡丹9

 きゃりーぱみゅぱみゅのように、正式名称が「きゃろらいん
 ちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」というような
 落語のネタみたいなタレントも


 長谷寺の牡丹8

 大人には判らないような、自分たちだけに通じる隠語遊び
 それもまた楽しいのであるのかもね。ざ~~ますもご同様!
 今見てるTVでも、女子高校生が「やっば~~~!」


      長谷寺の牡丹4

          平成24年4月30日に奈良県で撮影






最終更新日  2012年05月16日 14時44分06秒
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2010年10月08日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅

      キラキラと魅惑的な翡翠 

  10月の誕生石とされる「蛋白石(たんぱくせき)」の
  石言葉は希望、無邪気、潔白で、乳白色の地に
  虹色の輝き(遊色効果)を放つものは「虹色石」と
  呼ばれるそうである  


 翡翠の原石 

  って、なんのこっちゃと思われるかもしれないが
  「オパール」。地球からの贈り物は主に火成岩か
  堆積岩のすき間に、珪酸分を含む熱水が充填を
  して含水珪酸鉱物として、生成をされるそうだ


      貝殻の化石が翡翠に 

  埋没をした貝殻や樹木などや、恐竜や哺乳類の
  歯の化石のアパタイトから、珪酸分に入れ替わって
  オパール化する事もあるそうだ↑


 ゴージャスな翡翠 
                     本来は縦の写真です

  前回の招待旅行は絨毯という事で、つまらなかったけど
  今回はゴージャスなオパール。しかも幸運の石だから
  どうぞ撮影してください(説明&販売会場は不可)と
  いうものだから、なんだか楽しいし


      希少価値の高い翡翠 

  高価なオパールなどは到底買えないが、手ごろな価格の
  オーストラリアの物産品もあったので、手作り石鹸を1つ
  しかも沈香の香りをするものを購入した。出口付近では
  千円均一で干した果物(あんず、プルーン他)などが
  あって、奥様方が列を成して飛ぶように売れていたし


 お昼にはこだわりの牛しゃぶしゃぶ

  お昼ご飯は彦根のドライブインで、こだわり牛の
  しゃぶしゃぶって事は・・・近江でもなく黒毛でも
  ないし国産かどうかも? でも、こだわっただけ
  あって、普通に美味しかったし


 琵琶湖のお魚になってみようかな

  近江八幡のフリータイムを終えてから、琵琶湖に
  面した今度は巨大な土産物屋さんにGO! 私は
  初めてだったが、お隣の奥様は3度目らしくって
  琵琶湖へのバス旅行では、定番スポットらしい
  

 色とりどりの魚のダンス? 

  事前にインターネットで、ここの情報を調べたところ
  戦国武将のお宝が展示され、無料で見学が出来ると
  あったので、お~~!! 信長様の? 武田勝頼の~!
  なんて感じで所縁の鎧や武具を拝見した(写真不可)


 琵琶湖大橋

  そして午後も遅くなって、守山市と対岸の大津市を
  結ぶ「琵琶湖大橋」を渡る。、船の航行に支障が無い
  ように、橋の中間部は水面より最大で26メートルも
  高くしているそうだ


      琵琶湖の中に鳥居

  私が一人でも、この招待バス旅行に来たかった
  理由が、琵琶湖の湖面から突き出した鳥居を見て
  みたかったから。今の鳥居は昭和56年に再建を
  されたもので、高さ12メートル、本柱の間隔は
  7.8メートルあるそうだ

  
 琵琶湖を望む白髪神社 

  琵琶湖の西岸にあたる、高島市鵜川に鎮座をする
  「白髭神社」は、近江国の最っとも古い神社であり
  垂仁天皇の御世に、倭姫命によって社殿を創建され
  天武天皇の勅旨で、比良明神の号を賜ったそうだ


 鳥居の向こうにまた鳥居 

  祭神の猿田彦大神は、延命長寿、子授け、開運招福の
  神様として人気が高い。全国にある白鬚神社の総社で
  あり、沖島を背景に琵琶湖に浮かぶ鳥居が印象的な
  事から、近江の厳島と呼ばれているそうだ


      白髭神社 

  謡曲「白鬚」の舞台でもある。帝の勅使が近江の
  白鬚明神に参詣をすると、明神をはじめとし、天女
  竜神が現れ、比叡山の縁起を語るというものとか

  また源頼朝が鰐口(わにぐち)を奉納、足利将軍も
  たびたび参拝をし、戦国武将らに広く信仰をされて
  いたそうだ


 琵琶湖のほとりの神社の灯篭

  本殿や若宮社、伊勢両宮、八幡三社は、豊臣秀吉の
  遺命を受けた豊臣秀頼と、ご生母淀殿が寄進をした
  もので、片桐且元を奉行となり播磨の大工の手に
  よって造営されたそうだ


 紫式部の歌碑

  紫式部の歌碑があった

     三尾の海に網引く民のひまもなく
              立居につけて都恋しも

  歌人の与謝野寛と晶子夫妻は

     しらひげの神の御前にわくいずみ
             これをむすべば人の清まる

  最後に松尾芭蕉で

     四方より 花吹入れて 鳰の湖


 今回のバス旅行はご招待 

  こうして夜には無事に帰宅をした。ブログのお友達で
  京都で同様の旅行をされた方の日記もまた、魅力的で
  あった。お財布のひもが固くて、断れる勇気のある
  奥様であれば、ご参加するのも面白いかも。ただし
  同行者の追加料金は、高めなので注意が必要だが


 あれもこれもを食べ歩き 

  食べ歩きで貰ったけど、食べきれなかったもので
  ひこにゃんのレアチーズは息子、羊羹は姑への土産

  コアラはオパールの即売会場で貰ったもので、無論
  食べられない


 お土産は250円 

  ラッキーなことに、お昼を食べたドライブインで在庫の
  調整から、ひと月近くも賞味期限があるお菓子の土産が
  250円というので3箱お買い上げ。真中のが↑前述の
  香りのよい石鹸だ


 トマトのサイダーって・・・

  帰りの高速の養老サービスエリア(岐阜県)で、静岡の
  ものだが、ヘンなサイダーがあったので娘に土産に購入
  まっ、普通に飲めた


 琵琶湖の鳥居 

           平成22年9月15日に滋賀県で撮影

    前回の日記にも沢山のコメントを頂戴し有難うございました
    日記更新を先にさせていただきましたが、お返事を兼ねさせて
    いただき、皆さんのブログには本日中に伺わせていただきます







最終更新日  2010年10月08日 14時02分02秒
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2010年10月06日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅

      八幡伝統的建造物群保存地区1

  以前に紹介をしたばかりの、ご招待バス旅行だが
  実はまだまだ続きがあったのだが、優先をしたい
  日記があったので、後回しになってしまった


      八幡伝統的建造物群保存地区4 

  前回のおさらい。時代劇ロケで有名な八幡掘や
  ヴォーリズの洋館なども残された、レトロな街
  しかし、近江八幡で一番おススメな街並みは
  この「新町通り」であろう


 八幡伝統的建造物群保存地区2 

  江戸時代を思わせるような、古式ゆかしい街が
  「新町通り」とは皮肉なものだが、その木戸から
  ちょんまげ姿の町人が現れても何ら違和感がない


      八幡伝統的建造物群保存地区3 

  八幡掘でも紹介をしたが、豊臣秀次により城下町
  として誕生した「近江八幡」は、東海道、中山道
  更には北国街道が交差した、交通の要衝であった
  近江国の地の利を生かして発展を続けた


      八幡伝統的建造物群保存地区5 

  さて、現在でいうところの滋賀県各地の「近江商人」は
  大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人であるそうで
  最初は京都や美濃、伊勢、若狭といった近隣国で
  主に行商を行っていたが、次第に活動範囲や商いの
  内容を拡大させていった


 八幡伝統的建造物群保存地区8 

  江戸時代になると京都の他に、大坂や江戸といった
  大都市に進出し、蝦夷(北海道)とも商いをする者も
  現れて、名のある大企業として今も名を残している


      八幡伝統的建造物群保存地区7 

  ウィキペディアによれば、高島屋、大丸、西武グループ
  伊藤忠商事、丸紅、ヤンマー、日清紡、東洋紡、日本生命
  東レ、ワコール、西川産業、武田薬品などである


 酒游舘。八幡伝統的建造物群保存地区6 

  売り手よし、買い手よし、世間よしという「三方よし」の近江
  商人の持つ高い倫理性や社会貢献は、自分たちだけが
  良ければ的な経営方針になりがちな、最近の大企業なども
  見習ってほしい


      八幡伝統的建造物群保存地区9 

  更に「しまつしてきばる」という、倹約につとめて無駄を
  はぶいて、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に
  働いて収入の増加をはかるという、日常の心構えなどは
  楽して儲けようという昨今の流れに警鐘を与えているのかも


  八幡伝統的建造物群保存地区10

  そんな近江商人が残したのが新町通りであり、切妻造桟
  瓦葺、平入の木造建築が基本で、正面の構えは格子や
  出格子、虫籠窓からなり、道路に面する庭には見越しの
  松を配している

 八幡伝統的建造物群保存地区11

  近江八幡では中二階建の建物が多く、軒下の壁に貫を
  見せる「貫見せ」があり、他に例の少ない独特の意匠だ

  バスの隣席の奥さま連れなので、自分の世界に入り込む
  事は遠慮して・・・・次のスポットへ!


      近江牛の肉屋で有名な「かね吉」のコロッケ 

  あの無料招待のバス旅行は、食べ歩きもお楽しみの一つで
  ここでは、近江牛の肉屋で有名な「かね吉」のコロッケが
  無料でいただけた。ぱくん!


      近江八幡といえば丁稚羊羹 

  次に近江八幡の名物の丁稚羊羹も、創業は文久3年の老舗
  「和た与」でバスのお土産で無料でいただけた。何故に
  丁稚かというと、お休みで田舎の親元に帰る丁稚が土産に
  持ち帰っていたからだ
  

      丁字麩の「吉井」で最中 

  更には、丁子麩にあんこや黒ゴマをはさんだ最中なんかも
  貰えたものなのだから、食べ歩き旅行というのも楽しい


   近江八幡の楽しい瓦の壁 

  近江八幡には、お地蔵さんのお堂や小祠が多くある

  地蔵信仰とは「地蔵三教」を基としており、平安時代に
  浄土宗によって普及をしたそうである。六道輪廻において
  苦しむ衆生を救って下さる仏であり、子供らの守り仏と
  しても有名である


      百日紅の花咲く近江八幡 

  かなり以前に京都に出かけた時に、お地蔵さんの祠の前に
  シートを敷き、沢山の子供たちがお菓子を食べている
  ところに出くわした事がある。地蔵菩薩の縁日の24日で
  お盆期間中の旧暦7月24日を中心とした3日間の地蔵盆


      近江八幡のお地蔵さん 

  寺院などに祀られている地蔵菩薩ではなく、道祖神信仰と
  結びついた、路傍や街角(辻)のお地蔵さんを祀るお祭りで
  特に近畿地方で盛んであるそうだ

  新町の街角に立派な「お願い地蔵尊」があった


 近江八幡のマンホールの蓋 

  1時間半のフリータイムだったが、コンパクトに
  観光スポットのある近江八幡。なかなか見どころ
  一杯。楽しい街歩きだった  


      あきんど通り 

           平成22年9月15日に近江八幡で撮影









最終更新日  2010年10月06日 22時09分58秒
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2010年09月21日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅

 近江八幡の八幡掘2

  9月も半ば、随分と秋らしくなってきた15日に
  よく全国的にもやっている「バス旅行1名招待」が
  中津川の日帰り温泉で応募をして当選をした

  同行者は実費負担(結構、お高い)ながら、二人で
  参加をする人も多いけど、もったいないから一人で
  出かけた先は、3度目の来訪となった「近江八幡」


      近江八幡の八幡掘1 

  ここもまた時代劇のロケで超有名で、「八幡堀」沿いに
  白壁の土蔵や旧家が立ち並び、掘割が縦横に巡らされて
  いる為、江戸の深川の情景に使われる事が多いそうだ


 近江八幡の八幡掘3 

  以前に一人で出かけた同様の招待旅では、お一人様は
  一番後ろにずらりという感じで、イマイチだったけど
  今回はバスの前方の座席で、お隣のお一人様の年配の
  奥さんも気さくで二人で一緒に行動どころか、バスの
  中でもおしゃべりが弾んだ  

  やはり「旅は道連れ世は情け」。同行者や案内人の善し
  悪しでがらりと印象も変わる。今回のガイドさん兼用の
  添乗員さんもはきはきして、なかなか手際も良かった


       近江八幡の八幡掘4 

  豊臣秀吉の甥である豊臣秀次の八幡城のもとで城下町が
  栄える原因となった、町の一大動脈であった「八幡掘」も
  交通の発達で舟運が衰微し、堀は水は汚れ雑草が繁茂し
  荒廃し、埋め立て話も出る始末だったのを、地元有志が
  たちあがり行政も動かして、再生に向けての取り組みが
  行われて、今の姿となったのだ


 近江八幡の八幡掘5 

  小田原征伐の軍功により、秀次は百万石の太守として
  尾張清洲城に移り、京極高次が八幡城主となるが後に
  大津城に移り八幡城は廃城となった。奇遇にも、同年
  秀次は秀吉の逆鱗に触れて高野山で自刃。一族も惨殺

  その弔いに秀次の母とも(秀吉の姉)が嵯峨野の村雲に
  創建をした「瑞龍寺(村雲御所)」が、昭和37年に
  ここ八幡山城の本丸跡に移築をされた
  

       ヴォーリズの旧八幡郵便局 

  そんな秀次ゆかりの近江八幡は、青い目の近江商人とも
  称された「ヴォーリズ」の街でもある

  米国人のウィリアム・メレル・ヴォーリズは、英語教師として
  来日後に、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸け
  ヴォーリズ合名会社(近江兄弟社)の創立者の一人として
  メンソレータム(メンターム)を日本に普及させた人物だ


 ヴォーリズの旧八幡郵便局 

  街のあちらこちらには、彼の手がけた洋館も残されており
  この建物は「旧・八幡郵便局」。大正10(1921)年に
  竣工して以来、昭和35(1960)年まで郵便局の局舎と
  して使用され、今ではギャラリーとして活用されている


       ヴォーリズの旧八幡郵便局 

  
  昭和16(1941)年に日本に帰化し、華族の一柳末徳子爵の
  令嬢であった妻の満喜子夫人の姓と、米国より来て留まったので
  米来留で、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗ったそうだ

  太平洋戦争終戦時には、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと
  近衛文麿との仲介工作に尽力し、「天皇を守ったアメリカ人」と
  言われている


 ヴォーリズの旧八幡郵便局 

  また10年ほど前に、ヴォーリズの昭和11(1937)年の建築である
  滋賀県の豊郷町立豊郷小学校の校舎の解体計画が持ち上がり
  破棄と保存を巡って、全国ニュースで取り上げられたのも記憶に
  新しい。ちなみに旧校舎は耐震工事完了後に、町立図書館なども
  入った複合施設として再出発したそうだ 


       近江八幡教会

  同志社大学や関西学院大学のキャンパスのように、数多くの国の
  登録文化財に指定をされたような建物はともかく、今後も解体と
  保存の問題は起きてくるかもしれない

  「近江八幡教会」は、かつては大正期のヴォーリズの建築だったが
  火災で焼失をしてしまって新たに建て直されている


       近江八幡教会牧師館

  大正13(1924)年頃に建てられたらしい「旧・近江兄弟社
  地塩寮」は、今は日本基督教団の「近江八幡教会牧師館」には
  芙蓉が咲いていた


 近江兄弟社アンドリュース記念館

  そんなヴォーリズの最初の建物が、この教会や牧師館と隣り合う
  「アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)」である
  ヴォーリズの大学時代の親友で、若くして亡くなってしまった
  アンドリュースの家族により贈られた資金を基に、ヴォーリズが
  貯金の全てを捧げて、自らが設計をしたという


 近江兄弟社アンドリュース記念館 

  昭和19(1944)年に作られた建物は、改修も行われて
  昨年8月に国の登録有形文化財に指定をされて、その名称も
  アンドリュース記念館となった。ヴォーリズも住んでいた
  時期もあるそうだ


       日牟禮八幡宮

  「日牟禮(ひむれ)八幡宮」は、誉田別尊(ほんたわけのみこと)
  息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の
  三柱がご祭神で、古くから近江商人の信仰を集め、徳川家康も
  関ヶ原の戦い後に、武運長久の祈願を込めて参詣し、後には
  家光や家綱も御朱印を残しているとか


 日牟禮八幡宮 

  その歴史は古く、うちの旦那が大好き(少女マンガの影響)で
  息子に「フヒト(別の名になりましたが)」と名づける!と
  騒いでいた、大政治家の藤原不比等も参拝しての詠んだ歌

     天降りの神の誕生の八幡かも ひむれの杜になびく白雲


       近江八幡日牟禮ヴィレッジ たねや 

  バームクーヘンの「クラブハリエ」でも全国的に名高い「たねや」は
  江戸時代には材木商をしていた家系で、穀物類・根菜類の種子を
  商う「種屋」をしていた。明治になって七代目が京都の和菓子屋で
  修行をして、栗饅頭や最中を製造販売する和菓子店となった


       近江八幡日牟禮ヴィレッジ たねや 

  更にヴォーリズのすすめで、八代目が昭和26(1951)年に
  洋菓子の製造を始め、これがクラブハリエの基となったそうである

  近江八幡の八幡山の元には日牟禮ヴィレッジがあり、たねやと
  クラブハリエのお店もあって、たねやで大きな梅のかき氷で一服


       近江八幡日牟禮ヴィレッジ たねや 

  かき氷を頼んだけど、お茶とお菓子(一人1個)も下さったので
  かき氷で頭がキーンとなった時に、熱いお茶ですぐに収まったのは
  有難い


 鳥居の向こうに白雲館 

  八幡宮の鳥居の向こうの「白雲館」は、明治10(1877)年に
  擬洋風建築で建てられた学校で、1994年に解体修理された
  際に創建時の姿に復元されて、今では観光案内所となっている

  まだまだ近江八幡の旅は続く


       近江八幡の小道

           平成22年9月15日に近江八幡で撮影






最終更新日  2010年09月22日 14時59分05秒
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2008年10月23日
テーマ:旅の写真(2641)
カテゴリ:滋賀、奈良の旅

      彦根城13

 彦根城1

 天守とは、戦国時代以降に城の象徴的存在となり
 ドラマなどでも、暴れん坊将軍も天守から、江戸の
 ご城下を見下ろしていたりもする。殿主、殿守
 天主などの字も使われ、明治前後より使われた
 俗称の「天守閣」が今では有名だ
 

      彦根城6

 いくさの時に、見張りや篭城をしたりするのもの
 なので太平な江戸時代には、物置や空家のような
 建物となっており、他に二条城のような豪華な
 御殿が建てられていた


      彦根城5

 明治政府の廃仏毀釈で全国の仏閣、仏像など
 貴重な遺産が破壊され、海外に流出をされて
 しまったように、廃藩置県がおこなわれ、更に
 明治6年の廃城令によって、日本の城の多くが
 もはや不要であると、殆どが破却されてしまった
 

 彦根城12

 江戸時代には170余もあった天守閣が、全国で
 20城(首里城はのぞく)しか残らず、さらには
 西南戦争などの内乱や、第二次大戦時では米軍は
 これを軍事施設とみなしたので、本土爆撃で焼失
 戦後にも松前城天守を焼失させ、現在ではわずかに
 12城が残るだけとなった


      彦根城8

 その中でも、建築的に優れた4つのお城が国宝に
 残りの8城も、重要文化財に指定をされている

 国宝指定の姫路城、松本城、犬山城、彦根城は
 地域的にも近いので、今までに複数回、天守閣に
 登っており、どれもが大好きな城である


      彦根城10

 徳川四天王であった井伊直政は、関ヶ原の戦いの
 軍功によって、近江国北東部18万石を与えられ
 子の直継の代になって、彦根山(金亀山)に築城を
 はじめたそうだ


 彦根城9

      彦根城7


 徳川幕府による西国への重要な備えとしての役割を
 担い、その工事は公儀御奉行が付けられた天下普請で
 他大名の手助けや、近隣の長浜城、佐和山城、大津城
 などの遺材を転用をしているという


      彦根城11

 彦根城は、東映京都撮影所や京都映画撮影所から
 近いことと、付属の遺構をよく遺している城郭な為
 姫路城ともども時代劇のロケも多く、「武士の一分」や
 「大奥」などでも使われているが、なんでも姫路城が
 江戸城で、彦根城は地方大名の城になっている設定が
 多いらしい


 彦根城2

 ほかに例がなく、国の重要文化財に指定をされた
 馬屋の建物は、21頭も馬を収容ができたそうで
 槻御殿やお浜御殿などの下屋敷に、馬場あって
 馬の調教が行われていいた


      彦根城15

 武門で名をはせていた彦根藩は、太平の世になっても
 兵法家や武術家を多数召し抱え、藩内で武術が学ばれ
 「新当流」「大坪流」「大坪本流」「八条流」など馬術の
 流儀が普及をし、藩士も修練を怠らなかったそうだ


 彦根城17

 彦根藩四代藩主の井伊直興により建立をされた
 彦根藩の下屋敷「槻御殿」が、建物部分を楽々園
 庭園部分を玄宮園として公開をしている


 彦根城16

 現存する建物の十倍にも及ぶ建物が建ち並んだ
 壮大な御殿であったそうだ。「御書院」の他に
 「地震の間」や「楽々の間」が当時の大名の暮らし
 ぶりを物語っていた


 彦根城18

 中国の宮廷にあった庭園の「玄宮」から命名を
 された「玄宮園」は、数寄屋建築「八景亭」の名
 から、中国の瀟湘八景か、または近江八景を取り
 入れて作庭されたとも伝えられている


      彦根城19

 10年近く前に、懸賞で滋賀県内に2泊3日で
 自宅からの交通費はもちろん、宿泊場所や観光先
 食事までもが全てタダで、思うままという旅行に
 当選した時に、一泊目にセレクトをしたのがこの
 今は料理旅館となってる「八景亭」であった

 今思うと床の間を背に、私が上座に・・・だって
 お庭の景色が見渡せるもの~。武者隠しもあった


 ひこにゃん22

 彦根には、この井伊氏の彦根城の他にすぐ
 東には佐和山城跡がある。鎌倉時代の豪族
 佐保氏が城を築き、戦国時代には浅井氏の
 支城となっており、織田信長が落とし配下の
 丹羽長秀が入城をした

 のちには石田三成が城主となり、大規模な
 改修工事を行い、「三成に過ぎたるもの
 二つあり、島の左近(軍師)と佐和山の城」と
 言われたほどだ


      彦根城3

           彦根城の前にあるのは、城ポスト

 関ヶ原の戦いで、三成軍を破った東軍方は
 小早川秀秋を先鋒にし、佐和山城を総攻撃し
 三成の父や妻など大半の者は討ち死にした

 そんなこんなで、ひこにゃんのライバルには
 「みつにゃん」と「しまさこにゃん」もいるのだ


      彦根城4

           平成20年8月23日に彦根市で撮影










最終更新日  2008年10月24日 20時58分35秒
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