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 殿上人日記

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滋賀、奈良の旅

2020年02月04日
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カテゴリ:滋賀、奈良の旅


昨年11月14日に、姉と名古屋から日帰りバス
旅行で出かけた奈良旅行。興福寺、若草山で
食事、聖武天皇陵、東大寺正倉院とまわって
目的だった、奈良国立博物館での「第71回
御即位記念正倉院展」である




2時30分前には到着し、中には一緒に団体口
から入るが、その後はフリータイムで午後5時
までに東大寺近くの駐車場のバスに集合をする
事になっているので、早めに切り上げ大仏殿や
春日大社などに出かけた人もいるそうだ




10月下旬に始まった奈良での正倉院展も
11月14日の最終日を迎え、御即位記念
で、その日はなんと無料で入場が出来ると
いうのだ。本来ならば必要だった団体料金
1000円は、既にバスの中で返金をして
貰っていたので、土産の奈良漬に化けた




若い時には、毎年のように正倉院展に
出かけていた時期があるので、有名な
宝物もいろいろ見てきたが、今だ見て
なかったのが、↑聖武天皇が愛蔵した
鳥毛立女屏風、全六扇である。これが
見たくて奈良まで来たようなものだ




天皇陛下の御即位記念もあり、10月に
見た東京や、今回の奈良の正倉院展では
普段にもまして、天武帝後の歴代天皇が
愛用した「赤漆文欟木御厨子」など特別な
所蔵品の展示がされており見応えがあった

公式ホームページ「御即位記念 第71回 正倉院展」




正倉院展の会場は、奈良国立博物館の「新館(西新館・
東新館)」を利用しているが、こちらのクラシカルな
建物は、奈良国立博物館の「なら仏像館」でこちらも
無料で見学をすることが出来た。飛鳥時代から鎌倉
時代に至る仏像を中心にして、国宝、重要文化財を含む
常時百体近くの仏像が展示され、国内の博物館では
最も充実した仏像の展示館だ




その建物は、明治27(1894)年に完成をした、奈良で
最初の本格的な洋風建築で、宮内省内匠寮技師であった
片山東熊が設計。フレンチルネサンス高揚期の様式を
とっており、玄関まわりの装飾は意匠的に優れており
明治中期の欧風建築として代表的な建物だ。昭和44
(1969)年に「旧帝国奈良博物館本館」として国の
重要文化財に指定がされた




東京の国立博物館の常設展示品は、撮影禁止の
マークがない展示品はどれも撮影が出来るが
奈良国立博物館の仏像などの「常設展示品」は
撮影が禁止されている




しかし昨秋から、青銅器館の常設展示品のみ
撮影が出来るようになったそうだ。やはり
来場者のSNSの影響はかなり期待できる
ようで、若い来場者を増やしたいそうだが・・・




果たして渋い青銅器の写真を、ネットに
挙げたとしても、それに反応するのは
三国志好きとか、かなりマニアックなの
かもしれないが。




これらは「坂本コレクション」といい
まして古美術商の坂本五郎氏から寄贈
された古代中国の青銅器の数々である




青銅器についてウィキペディアで紹介をしよう

>中国の青銅器では、中国の古代文明を象徴する
>遺物である青銅器(銅と錫の合金で作られた
>器物)について概観する。複雑な器形と文様
>高度な鋳造技術を特色とする中国の古代青銅器は
>世界各地で愛好され、中国国内のみならず、欧米や
>日本など国外の美術館にも多数収蔵されている




>青銅とは銅を主成分として錫(および鉛)を含む
>合金を指すが、青銅器の使用以前に錫を含まない
>自然銅を使用していた文化を銅器時代または金石
>併用時代と称する場合もある。古代のエジプトや
>西アジアの文明は、おおむね紀元前4000年紀の
>半ばには青銅器時代に入っているが、




>中国の青銅器時代は殷(紀元前1600年頃 - 紀元前
>1050年頃)から西周時代(紀元前1050年頃 - 紀元前
>771年)を経て、春秋時代(紀元前770年 - 紀元前
>453年/403年)まで継続し、春秋時代と次の戦国時代の
>交代期あたりに鉄器時代に入ったとみなされている




>青銅製の器物はその後も秦・漢時代までは引き続き
>製作されるが、中国を統一した秦は、周の制度を
>徹底的に否定したため、従来のような礼器の製作は
>終わり、青銅で作られる器物は燭台、香炉といった
>日常生活用品が主体となった。それもやがて衰退
>していくが、例外的に作り続けられたのは銅鏡で
>ある。青銅製の鏡は他に適当な代替材料がなかった
>ため、18世紀に至るまで作り続けられた




>青銅器は当時においては貴重品であり、鋳造には
>貴重な金属原料と燃料、多くの労働力と高度な
>技術とを要したため、青銅器を所持できる者は
>強大な権力をもった支配者層に限られていた。
>「鼎の軽重を問う」という成句が示すように、
>青銅器は権威の象徴であり、宗教的機能とともに、
>器の所持者の地位を象徴する政治的・社会的
>役割をも担うようになっていった




>青銅製の酒器や食器には互いに形態を異にする
>数多くの器種があり、それぞれに「爵」「尊」
>「壺」「鼎」などの器名がついている。
>中国古代青銅器の特色は、器形とともに、その
>表面を覆い尽くす複雑精緻な文様にある。これらの
>文様モチーフの大部分は、龍、鳳などの想像上の
>動物と、虎、象、羊などの実在の動物を含む
>動物文である




>なかでも殷周時代の青銅器の主文様として
>多くみられるものは饕餮文(とうてつもん)と
>呼ばれる、突出した2つの眼を特色とする
>獣面文である。当時の人々の鬼神崇拝、自然
>への畏怖、動物のもつ強大な力に対する崇拝が
>こうした動物モチーフの背景にあったとされる




>古代中国の青銅器コレクションとしては、日本
>では、白鶴美術館、根津美術館、泉屋博古館、
>奈良国立博物館、中華人民共和国では、上海
>博物館、中国歴史博物館、台湾では、国立故宮
>博物院、中央研究院歴史語原研究所、アメリカ
>では、Freer Gallery (USA) が著名である。




こういった銘文なども書かれていて、その文字を
見ているだけでもワクワクしてくる。といった
訳で、最初に以前程は混んではいない正倉院展を
見てから、なら仏像館で仏像と青銅器などを見て
まだ時間がかなりあったので、無料だしもう一度
正倉院展を見に行った




時刻は午後4時をまわっていた事もあるのか、人が
さっきよりかなり減っているし。さっきは人の後ろに
並んで順番に見た鳥毛立女屏風だって、誰もいない
かぶりつきで見ることが出来る! あれもこれもと
もう一周してみた。これも無料日だったからこそ




そうこうしているうちに、そろそろバスに戻る
時間になったので、名古屋に着くのは夜になる
だろうしと、柿の葉寿司をバスで食べるように
姉がおごってくれた




ところが途中のトイレ休憩で立ち寄った
三重県のドライブインで




松坂牛肉弁当や、津ぎょうざや、肉巻きなどが
どれも半額になっていたので、土産に購入した




パンも割引になっていたので、またまた購入




そして奈良で買ったお土産はこんな感じです
純鹿セーム革は旦那の老眼鏡のレンズふきに
喜ばれました。あさりは三重県で買ったもの
ですが・・・




更に家の近くに戻ってきて、夜のスーパーが
半額だったので、ここでもお安い食材を購入
いやぁ、最後まで楽しませてもらった一日で
あった




念願だった鳥毛立女屏風も独り占め状態で
見る事も出来たし(しかも無料で)、コース
的にも満足が出来る、秋の奈良の旅だった




          2019年11月14日に奈良市で撮影

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最終更新日  2020年02月04日 19時35分03秒
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2020年02月01日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


と​いった訳で、11月14日に姉と出かけた
日帰りのバス旅行。早朝に名古屋を出発し
興福寺、若草山の麓で昼食、聖武天皇陵を
まわり、次にやってきたのは奈良と言えば
東大寺



そしてそびえるのは南大門だ。大華厳寺の
扁額は横幅4.5メートル(15尺)、高さ
1.65メートル(5.5尺)、重さ500kgの
木曽産の総檜材で、文字は聖武天皇の写経
から集字したものだそうです




天平創建時ものは平安時代に大風で倒壊し
鎌倉時代に、東大寺を復興した重源上人が
再建。正治元(1199)年に上棟し、建仁
3(1203)年に、門内に安置する仁王像と
ともに竣工した。団体客も仁王を見上げて
いた




入母屋造、五間三戸二重門で、屋根裏まで
達する大円柱18本は、21メートルにも
及んでおり、門の高さは基壇上で25.46
メートルと日本で最大の山門であるそうだ
さて仁王さんとは、仏教の護法善神(守護神)
である天部の一つである金剛力士の事だ




サンスクリットでは「ヴァジュラパーニ」と
いい仏敵を退散させる武器である金剛杵を持つ
ものを意味しており、開口の阿形(あぎょう)
像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像を一対
とし寺院の表門などに安置されている




東大寺南大門の金剛力士(仁王)像は、造高
8メートルもあり、像内の納入文書から運慶が
総指揮にあたり、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)
らが、小仏師多数を率いて、約2か月で造立を
した事がわかった




それにしても沢山の人だ。海外からのお客さんも
多くを占め、日本を代表する観光地の一つだろう
ウィキペディアで東大寺を紹介させていただくと

>東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町に
>ある華厳宗大本山の寺院。




>金光明四天王護国之寺(きんこうみょう
>してんのうごこくのてら)ともいい、奈良
>時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして
>建立した寺である。「奈良の大仏」として
>知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊
>とし、開山(初代別当)は良弁である




>奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、
>東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を
>含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の
>兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は
>台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残す
>のみであり、




>また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭
>(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、
>間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の
>寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を
>集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた
>寺院であり、




>聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立
>させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と
>位置付けされた。東大寺は1998年12月に
>古都奈良の文化財の一部として、ユネスコ
>より世界遺産に登録されている

今回は大仏を見に来たわけではないので
>外側から覗いただけです




>一方、正史『続日本紀』によれば、神亀5年
>(728年)第45代の天皇である聖武天皇と
>光明皇后が幼くして亡くなった皇子の菩提の
>ため、若草山麓に「山房」を設け、9人の
>僧を住まわせたことが知られ、これが
>金鐘寺の前身と見られる。




>金鐘寺には、8世紀半ばには羂索堂、千手堂が
>存在したことが記録から知られ、このうち
>羂索堂は現在の法華堂(=三月堂、本尊は不空
>羂索観音)を指すと見られる。天平13(741)年
>には国分寺建立の詔が発せられ、これを受けて
>翌天平14(742)年、金鐘寺は大和国の国分寺と
>定められ、寺名は金光明寺と改められた。




>大仏の鋳造が始まったのは天平19(747)年で
>このころから「東大寺」の寺号が用いられる
>ようになったと思われる。(中略)東大寺では
>大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、
>菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいる。




大仏殿の裏手にはかつて講堂があった。天平勝宝
8(756)年頃に完成をしたといい、本尊は千手
観音。脇侍としては虚空菩薩、地蔵菩薩があったが
平重衡らによる南都焼き討ちなど、室町期に至る
まで3度の焼失。3度目の焼失以降は再建される
事もなく、今は礎石が残されるばかりだ




溢れるばかりの観光客の行きかう大仏殿
付近よりも、こういった裏手の方がのんびり
出来て好きです。姉は仏像が好きなので
三月堂も好きですが、今日は時間がないので
行けません。またの機会に




そうこうしている間に正倉院に到着しました
柵のところまで行く事が出来ます。またまた
ウィキペディアで正倉院について説明すると

>756年(天平勝宝8歳)6月21日、光明皇太后は
>夫である聖武太上天皇の七七忌に際して、天皇
>遺愛の品約650点、及び60種の薬物を東大寺の
>廬舎那仏(大仏)に奉献したのが始まりである。




>光明皇太后はその後も3度にわたって自身や聖武
>天皇ゆかりの品を大仏に奉献し、これらの献納品は
>正倉院に納められた。献納品目録である献物帳も
>正倉院に保管されている。献物帳は五巻からなり
>それぞれ『国家珍宝帳』『種々薬帳』『屛風花氈
>等帳』『大小王真跡帳』『藤原公真跡屛風帳』と
>通称されている




>正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)
>南倉(なんそう)に区分される。北倉は主に聖武天皇
>光明皇后ゆかりの品が収められ、中倉には東大寺の
>儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品などが収め
>られていた。また、950(天暦4)年、東大寺羂索院の
>の双倉(ならびくら)が破損した際、そこに収められて
>いた物品が正倉院南倉に移されている




>南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会
>(かいげんえ)に使用された物品なども納められて
>おり、1185(文治元)年の後白河法皇による大仏
>再興の開眼会に宝物の仏具類が用いられた。その
>ほか、長い年月の間には、修理などのために宝物が
>倉から取り出されることが度々あり、返納の際に
>違う倉に戻されたものなどがあって、宝物の所在
>場所はかなり移動している。




>「献物帳」記載の品がそのまま現存しているわけで
>はなく、武器類、薬物、書巻、楽器などは必要に
>応じて出蔵され、そのまま戻らなかった品も多い。
>刀剣類などは藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)の
>際に大量に持ち出され、「献物帳」記載の品とは
>別の刀剣が代わりに返納されている。




>建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の
>品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8歳)前後とみる
>のが通説である。759年(天平宝字3年)以降、宝物
>出納の記録が残っていることから、この年までに建立
>されていたことがわかる。当初の正倉院の建物構成に
>ついてはわかっておらず、記録によれば、平安末期
>には現存する宝庫1棟を残すのみであったらしい。




>校倉造の宝庫は長年、宝物を守ってきたが、1952
>(昭和27)年に鉄筋コンクリート造の東宝庫、1962
>(昭和37)年には同じく鉄筋コンクリート造の西
>宝庫が完成し、翌1963(昭和38)年、宝物類は
>そちらへ移された。現在、宝物の大部分は西宝庫に
>収納、東宝庫には修理中の品や、西宝庫に収納
>スペースのない、大量の染織品が収納されている
>現在、勅封はこの宝庫に施されている。




>「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産として
>登録されるにあたり、当該文化財が所在国の法律に
>よって保護の対象となっていることが条件である
>ことから、正倉院の建物も正倉院正倉として1997年
>(平成9年)5月19日、文化財保護法による国宝に
>指定された




>管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に
>上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は
>毎年変更され約70点のみである。よって代表的な
>宝物を見るには複数年の見学が必要になる。学芸員が
>手作業で点検と陳列を慎重に行うがそれに前後約40日の
>時間を必要とするため、開催期間は約2週間程度と短い。




>なお、帝室博物館の流れを汲む東京国立博物館に
>於いても5年に1回、正倉院展の時期に行われる
>展覧会で同院の収蔵物が展示される

東京で5年に一度、正倉院展をやっていた事は知ら
なかった。今年はどちらも見れて良かったが




かなり前にも正倉院展の時に、正倉院を
見学させて貰ったが、この銀杏がとても
綺麗だったのを覚えている




大仏殿の金色に輝く鴟尾(しび)が見えてきた。
>鴟尾とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる
>飾りの一種である。訓読みではとびのおと読む。
>沓(くつ)に似ていることから沓形(くつがた)
>とも呼ばれる。




>寺院・仏殿などによく用いられる。後漢以降、
>中国では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が
>見られ、これが中国などの大陸で変化して3世紀
>から5世紀頃に鴟尾となったと考えられている。
>唐時代末には鴟尾は魚の形、鯱(海に住み、よく
>雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化
>していった




>瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝え
>られたと考えられている。火除けのまじないに
>したといわれている。 ウィキペディアより転載

という訳でポストもこんな感じです。いよいよ次は
奈良国立博物館での正倉院展の見学です。続く!




          2019年11月14日に奈良市で撮影

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最終更新日  2020年02月01日 08時56分17秒
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2020年01月29日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


​元号の「令和」は、奈良時代に大伴家持が編纂を​
した「万葉集(まんようしゅう)」から選ばれて
注目をされたが、天皇や貴族、防人、庶民などと
様々な人たちの歌は4500首にものぼると言う




その中に「鹿」を題材にしたものは68首もある
そうだが、その多くは秋が深まる頃になってきて
雄鹿の求愛で鳴く声が、織り込まれているそうだ
百人一首に選ばれた猿丸太夫の有名な鹿の歌だが
古今和歌集に詠み人知らずとされたものだったとか




奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき

ユーチューブに奈良公園の雄鹿の鳴き声があったんで
載せておきます。↓ 確かに悲しげにも聞こえます


さてさて奈良の正倉院展を見に、昨年11月14日に
姉と出かけた日帰りバス旅行。興福寺を見学した後に
やってきたのは「若草山」の麓です




若草山(三笠山)は、真冬の山焼きでも有名ですが
二月堂のお水取りともども見た事はないです。標高は
342メートルで、山頂には鶯塚古墳がありますが
登ったこともありません




若草山の山頂からの夜景は、新日本三大夜景(他には
山梨県笛吹川フルーツ公園と、北九州の皿倉山)が
選ばれているそうだ。じゃ新のつかない三大夜景と
なると函館山、神戸摩耶山、長崎稲佐山だそうです




さてさて、そんな若草山の麓にあるお食事処の
「春日野」で少し早めのランチだ。今回の旅は
午後の正倉院見学などにたっぷり時間がとって
あるのも魅力的だ。人によっては春日大社とか
参拝した人もいたみたい(入館後はフリータイム)




ヘルシーそうなお食事を食べたら、お土産売り
場でお買い物タイム。お店の前は若草山なので
のんびり眺めているのもいいだろうし




というか、鹿もいっぱいいるし。集合時間
までは飽きることなく時間をつぶせそう




お店の中には入ってこないけど、かわいい白い
斑点の残る鹿が水を飲んでいた。この白い斑点が
鹿の子(かのこ)模様で、夏場のカモフラージュ
らしく、雄雌を問わず大人の鹿にも出るらしい




ここでも鹿のエサやりが観光客に大人気のようだ




こうゆう石垣があると鹿との距離感もあって
良かったかも。私は前にバッグから出ていた
ガイドブックを鹿にかまれて、取り戻した
経験がある。ご注意を




こんな愛らしい目をして見上げられたら、そりゃ
鹿せんべいを与えたくなるだろうな。でも横から
体のでかい鹿に奪われたりもして・・・




おじぎをしている鹿もいたし、赤信号で人と
待ち青信号になったら、人と一緒に横断歩道を
渡る鹿(偶然?)も見たし




やっぱ、頭や方にも乗られるハトのエサやりの
方がきついかなぁ~




なんだかんだでバスに乗車する時間になったので
次の見学場所へバスで移動。車窓からはポスト・
カードのような光景




やっぱ歩かずにピンポイントで見学場所に移動
出来るのは、お年寄りには便利な観光手段だし
時間的にもとても有効にまわれる。お昼過ぎに
出かけた先は




東大寺や、奈良の大仏を作った事でも有名な
「聖武天皇(しょうむてんのう)」の御陵
(ごりょう)である。正倉院は東大寺の蔵な
訳だが、聖武天皇や、妃の光明皇后のゆかりの
品々も収められている事からの参拝であろう




奈良にはかなり来た事があるけど、ここまで
来たのは初めてだ。トラピックス(阪急交通)
さん、なかなか良いコースでした♪ 右の方に
行けば光明皇后の御陵もあるが、流石に聖武
天皇の御陵のみの参拝だ。




聖武天皇だが、文武天皇(天武&持統系列)と
藤原不比等の娘の宮子の間に生まれたが、幼く
して父を亡くし、病弱だった事と外祖父である
不比等の勢力が盤石になるのを待ち、中継ぎの
女帝らを挟み24歳で即位をした




天平年間は災害や、疫病(天然痘)が多発した為
聖武天皇は仏教に深く帰依し、各地に国分寺建立や
東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出した。娘に譲位
(孝謙天皇)して太上天皇となった。天平勝宝4
(752)年に東大寺大仏の開眼法要。天平勝宝6
(754)年には唐から鑑真が来日をして、皇后や
天皇とともに手厚く出迎えたそうだ




天平勝宝8(756)年に崩御し、聖武の七七忌
(四十九日法要)に於いて、光明皇后は東大寺
盧舎那仏に聖武遺愛の品を追善供養のため奉献
その一部が正倉院に伝存しているのだ。今回の
東京と奈良での正倉院展では聖武天皇の愛蔵品
なども並ぶスペシャル版であった




父の文武天皇(天武と持統女帝の孫)が亡くなり
幼なかった首王子(聖武)が即位するまで中継ぎで
あった元明女帝(天武の娘、文武の母、聖武の祖母)や
次の元正女帝(元明の娘、文武の姉、聖武の伯母)と
いった近しい人たちの天皇陵も近くにあるようだ




最近になって愛子様のご誕生や、他の王室などで
男女を問わず長子が王位を継ぐ傾向にある事から
女帝論が出てきているが、そもそも日本において
何人も女帝が存在し、その多くは彼女らのように
次期後継男子が幼かったりでの中継ぎであるか




藤原不比等の娘である光明皇后と、聖武天皇の娘の
孝謙女帝や、二代将軍徳川秀忠の娘の東福門院和子と
後水尾天皇の娘の明正女帝のように時の権力者である
母親の実家の意向を受けての即位もあった。後桜町
女帝(桜町天皇の娘)が、江戸中期に女帝にもなり
女性天皇が認められなくなったのは最近の話だ




女帝の特徴としてはもともとが天皇の妻であったか
天皇の娘で生涯独身であったかという点で、女帝の
他に、女系天皇(天皇の娘の血統が天皇を継ぐ)も
議論をされている。まぁ私の生きているうちにどう
こうなるものでもないのかな?




そうこうしているうちに、東大寺の門前に戻って
きました。東大寺の近くの大きな駐車場でバスを
降りて、今度は東大寺大仏殿の北側に建っている
「正倉院」の見学です。そこまでは20分近くは
かかるのかな?




テレビで鹿せんべいを売るおばちゃんが
怖いことを鹿たちは知っていると言って
いたけど、店先のは厳重装備だ




というか、ほんとお店の中には鹿は入って
こないし。時間があればせんとくんと記念
撮影がしたかったなぁ~




奈良らしいガシャポン。外国人観光客や
修学旅行生などにも人気だろう。息子とか
修学旅行で、鹿のふん(チョコ菓子)を
土産に買ってきて喜んで食べていたし




土産物屋の前で鹿がそそうをすると、さっと
お店の人が片付けてくれていた




鹿もそそうをするので、観光客も気を
付けるようにと、立て看板にイラスト
入りで注意喚起がされていた。と言う
訳で東大寺を横切り正倉院へと向かい
ます。日記は続きます~! ではでは




          2019年11月14日に奈良市で撮影

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最終更新日  2020年01月29日 13時44分53秒
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2020年01月27日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


さてさて今回からは新シリーズ。とは
言っても、昨年の「11月14日」​に
姉と出かけた、日帰りバス旅行の話を
したい。NHKのうたコンの収録録画の
観覧が当たって、10月下旬に東京へ
姉と出かけて




そのついでに、上野の東京国立博物館で
開催していた御即位記念特別展「正倉院の
世界」を堪能したのは、このブログでも
紹介をさせて貰ったけど、やはりここは
毎秋に、奈良で行われている正倉院展にも
行きたくなるというものだ




独身の頃には毎年のように出かけていた
正倉院展もここ最近はご無沙汰だったし
何せ、こちらも御即位記念で普段は展示
されないようなスペシャルな宝物を見る
事が出来るというのだから行くしかない




ネットで検索をすると名古屋駅から1万円
以下で、日帰りバスツアーも出ているので
姉とそれで奈良へ正倉院展を見に行く事に
したのだが、いかんせん朝早い出発なので
始発電車に乗車するのは、どちらも嫌なので
名古屋駅近のビジネスホテルで前泊を決めた




リニアモーターカー駅の着工も近い
名古屋駅は再開発なども始まっており
いつもビルの工事が行われ、10年後
にはどんな有様になっているんだろう
名物のナナちゃんのいる場所も変わる
かもしれないし




姉とは夕刻に名古屋駅で合流する事に
していたが、せっかく名古屋に行くの
だからと私の方は家の事も終えてから
昼過ぎには一人で名古屋に出てきた




前回の日記で紹介をした付近にある
洋食家ロンシャンJR名古屋駅店で
体に良さそうなランチをいただいた




こんな、名古屋駅にはかわいいケーキを
食べれるお店もあるけど写真だけで




11月半ばだったので、名古屋駅周辺も
クリスマスモードで




駅前には、おっきなクリスマスツリーも




真っ白なシックなクリスマスツリーも
見物をして・・・夕刻に近づいたので




デパートで開催していた東北の物産展で
山形のお蕎麦を食べる事にした。何でも
庄司屋は創業150年の老舗らしい




日本各地のそば処は、もともとは信州
諸藩のお国替えで広がったようでして
出羽山形へは伊那の高遠藩から保科氏
出羽鶴岡には松代藩の酒井氏が入った
そうだ




今回のバス旅行の前泊に使った名古屋
駅近のホテルです。姉と泊まる場合に
限らず禁煙ルームはお約束。しかもこの
ホテルは全室禁煙なのが有難いし




更に大浴場が完備してあるのもポイントの
一つだ。なかなかに小じゃれたお部屋で
ぐっすり眠る事が出来ましたよ




お部屋からの名古屋の眺めはこんな
感じでした。前回の円頓時商店街にも
近い立地です




といった訳で、名古屋駅から朝出発の団体
バスに姉と揺られて、西へと向かいまして




やってきたのは奈良で~す。久々です
結構、好きで以前は何度も出かけてた
場所なのですが、娘が都会が好きなので
最近はご無沙汰です




高台には、今までに2度泊まった事が
あるクラシカルな奈良ホテルも、車窓
から見えました




そして池越しに興福寺の五重塔。今回の
最初の訪問地は、この興福寺になります




ご本尊である釈迦如来坐像(江戸期の再興)も
安置され、寺の中心的な建物である中金堂は
たびたびの火災で焼失し、江戸末期に小さめの
仮堂が建てられ、現在の国宝館に収められて
いる仏像はそこに安置されていたそうですが




それが老朽化も進んできたので、本来の
創建当時の中金堂の姿に建て直すことと
なり発掘調査などもした上で、2018年
10月に落慶されたピッカピカのお堂だ




内部は撮影不可だが、興福寺のご本尊の
釈迦如来坐像(江戸期に再興)の他にも
国宝の四天王像(南円堂にあった)とか
薬王菩薩像と薬上菩薩像(重文)なども
安置されていた




さて興福寺についてウィキペディアで
いつものように、聞きかじりしますね

>興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市
>登大路町(のぼりおおじちょう)にある
>南都六宗の一つ、法相宗大本山である
>日本の仏教寺院。南都七大寺の一つに
>数えられる




>藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原
>不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺で
>あり、古代から中世にかけて強大な勢力を
>誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所で
>ある。「古都奈良の文化財」の一部として
>世界遺産に登録されている。




>藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、
>鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇
>8年(669年)に山背国山階(現・京都府京都市
>山科区)で創建した山階寺(やましなでら)が
>当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇
>元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の
>高市郡厩坂をとって厩坂寺と称した。




>和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、
>鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に
>移転し「興福寺」と名付けた。この710年が
>実質的な興福寺の創建年と言える。中金堂の
>建築は平城遷都後まもなく開始されたものと
>見られる。




>その後も、天皇や皇后、また藤原家によって
>堂塔が建てられ、伽藍の整備が進められた。
>不比等が没した養老4年(720年)には「造
>興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来
>藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の
>手で進められるようになった。




>慶応4年(1868年)に出された神仏分離令は、
>全国に廃仏毀釈を引き起こし、春日社と一体の
>信仰(神仏習合)が行われていた興福寺は
>大きな打撃をこうむった。一時は廃寺同然と
>なり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末
>だった。




>五重塔は250円(値段には諸説ある)で
>買い手がつき、買主は塔自体は燃やして
>金目の金具類だけを取り出そうとしたが
>延焼を心配する近隣住民の反対で火を
>付けるのは取りやめになったという




バーミヤン遺跡の大仏がダイナマイトで
破壊をされる映像はショッキングだったが
明治の廃仏毀釈においても、日本の貴重な
文化財がかなり破壊をされている。そして
お城もね・・・・(泣)




中金堂に入場してからは、集合時間まで
フリータイムだったので、せっかくだから
と、別料金の東金堂や国宝館に並ぶ数々の
仏さまも拝見をしてきた。阿修羅王像も♪




奈良と言えば東大寺の大仏と、鹿だが
ウィキペディアによると、その由来は

>7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂
>された『万葉集』では奈良の鹿の歌が
>詠まれ、このころは純粋に野生の鹿
>だった




>同時期の767年には春日大社が創建され、
>その由来で主神の建御雷命が鹿島神宮から
>遷る際に白鹿に乗ってきたとされ、神鹿
>(しんろく)と尊ばれるようになる。氏社
>参詣の藤原氏からも崇拝の対象となり、
>人間が鹿に出会うと神の使いとして輿から
>降りて挨拶した。




>やがて神仏習合で事実上の大和国守護だった
>興福寺からも神鹿として厳重に保護され、
>傷つけた場合は処罰処刑や連座追放の対象と
>なる。しかし、住民とのトラブルが多く、
>(中略)共存が困難で様々の事件が起きた
>半割の木の丸い方を道路に向けた鹿に害を
>与えない奈良格子など町屋の様式にも影響
>している。




こういった事情から、人に害を与えないよう
「鹿の角伐り」も始まったそうだ。紆余曲折
あったが、1957(昭和32)年に奈良市一円の
鹿が、「奈良のシカ」として国の天然記念物に
指定され、今ではマスコット的な存在として
観光客や修学旅行生から可愛がられている




奈良のいたるところにシカ、シカ、シカ




奈良県庁は、東京オリンピックのメイン
スタジアムだった旧国立競技場の設計を
行った片山光生の設計で建てられたそうで
寺院伽藍の配置をイメージしたそうだ




そのすぐ横には、テレビでも話題になってた
渋滞緩和を狙って45億円もかけ、乗り降り
専用の新設のバスターミナルだけど、想定の
半分以下の利用にとどまっているそうだ。




バスターミナルで乗客を決まった時間に
乗り降りさせるだけで、バスは遠くの専用
駐車場まで行くのがネックのようだ。今回の
団体バスは、興福寺拝観時は興福寺専用の
昼食は昼食場所の、正倉院は東大寺のという
ように、それぞれの専用駐車場を使っていた




仏さまに鹿の角とは!と、登場当時は
クレームもついたせんとくんは、今も
奈良県のマスコットとして活躍をして
いる。旅は続く! ではでは・・・・




       2019年11月14日に名古屋市と奈良市で撮影

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最終更新日  2020年01月28日 08時19分23秒
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2018年10月11日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


東京オリンピック&パラリンピックに向けて、日本の
アーティストが集って、東京の「今」を象徴する
音楽をNHKワールドJAPANから、世界に発信
するという「SONGS OF TOKYO」のペア
入場整理券は無事に届きました。田舎なので届く
のも遅めだったのかな




一夜と二夜に分かれていて、私の行くのは二夜で
石川さゆり、内田真礼、関ジャニ∞、ゴールデン
ボンバー、DA PUMP、乃木坂46、三浦大知と
いったメンバーが登場しますが、なんと言っても
今年大ヒットのDA PUMPの「U.S.A.」は実際に
見てみたかったし、石川さゆりの生歌も楽しみ~




フェルメール展の日時指定チケットも購入しました
2000年もフェルメールが幾つもやってきた年で
大阪市立美術館日蘭交流400周年記念特別展覧会で
聖プラクセディス、リュートを調弦する女、地理学者
真珠の耳飾りの少女、天秤を持つ女5点。アムステルダム
国立美術館所蔵17世紀オランダ美術展では恋文も見た




2008年のフェルメール展光の天才画家とデルフトの
巨匠たちは、マルタとマリアの家のキリスト、小路
ディアナとニンフたち、ヴァージナルの前に座る若い女
ワイングラスを持つ娘、リュートを調弦する女、手紙を
書く婦人と召使いの7点とパワーアップしており、無論
私も出かけてました~↓

「旅の始まりはいつも突然に。いざゆかん、東京CITY!」




そして今回はそれを上回る9点(入れ替えもあり現在は
8点展示)が来日。しかも日本初公開作品もあると
いうのだから、これは見に行くしかない。雑誌やTV
などでも紹介をされている今回のフェルメール展では
牛乳を注ぐ女、マルタとマリアの家のキリスト、手紙を
書く婦人と召使い、ワイングラス、真珠の首飾りの女
手紙を書く女、リュートを調弦する女、赤い帽子の娘
(~12月下旬)、取り持ち女(1月上旬~)が来日




この他にも時折、日本に来日するフェルメール
だけど、残されている作品は35点しかなくって
その中でも人気なのが、青いターバンが印象的な
「真珠の耳飾りの少女」で映画化もされている


真珠の耳飾りの少女 [ スカーレット・ヨハンソン ]




今回は、運よくフェルメール展は見れるけど
今年の上野はこの後も、ルーベンスやムンク
などの展覧会も予定されているので、あぁ~
そっちも見たいのになぁ・・・。年末年始の
あたりでもう一度、上京できればいいのだが




さてさて写真の方は5月上旬に出かけた日帰り
バス旅行無料招待で出かけた、彦根の後半戦だ
かなりの土砂降りだったので、早々に彦根城を
諦めやってきたのは、夢京橋キャッスルロード
だけども、やっぱ観光もしておきたい




で、ネットで調べた「弘誓山宗安寺」はまだ
拝観をした事がなかったので、この機会にと
やってきました。土砂降りの中で・・・・




今回はこういった案内板をこまめに撮影してる
ので、詳しい事は↑看板をお読み下さい。あの
映画やドラマではイケメンが演じる石田三成の
佐和山城の表門とは♪ もう妄想ムード突入




最近は映画「関ケ原」の岡田准一が演じていた
けど、小栗旬や山本耕史、田中圭、萩原聖人
及川光博などなど。かつては石坂浩二、近藤
正臣、奥田瑛二、真田広之なども演じたそうだ




徳本行者であるが、ウィキペディアによると
>文化13年(1816年)6月22日から7月1日まで
>信州松本に滞在し、生安寺を中心に化益を執り
>行い、受けた人は28,000人を超えた。その
>影響もあり、松本市内には善光寺の等順を
>上回る七十三基の徳本名号塔が存在している

どこかで見た訳だ




井伊家にかかわりのあるお寺ではあるが、江戸期の
「朝鮮通信使」の宿泊所でもあり、当時の部屋も
残されており、パネルで通信使の説明などもあった
ウィキペディアによれば




>室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗
>王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利
>義満によって派遣された日本国王使に対して信
>(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まり
>である。15世紀半ばからしばらく途絶え、安土桃山
>時代に李氏朝鮮から秀吉に向けても派遣された。




>しかし、その後の文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)に
>よって日朝間が国交断絶となったために中断されて、
>江戸時代に再開された。江戸幕府の外交政策において、
>朝鮮は琉球王国と並んで正式な国交のある通信国と
>されていた。(中略)通信使は将軍の代替わりや
>世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として
>派遣されるようになった




拝観料を支払って中も見学が出来て、貴重な寺宝が
拝見できるのだが、石田三成が戦の前に祈りを捧げ
「危険な目に遭う時にお地蔵さんが現れ、身代わりと
なって助けてくれる」という、身代わり地蔵として
拝んだ石田地蔵尊




更には1メートル程の高さの厨子に、小さな金色の
阿弥陀仏が安置された、石田三成ゆかりの千体仏も
実際の歴史的な人物に、ゆかりのある仏様だけに
なかなか、そこからは離れられそうもない。




本尊である「阿弥陀如来立像」は、鎌倉時代の作で
大坂夏の陣の際に、井伊家家臣の所藤内が大坂城の
仏間より拝持したものだそうで、淀君の念持仏と
いわれているそうだ




徳川幕府の大政奉還が決定した後に、彦根藩の足軽級
武士がここ宗安寺に集まり、新政府支持で結束をした
そうである。官軍に参加して若くして亡くなった藩士の
お墓もあった




大坂夏の陣で、井伊直孝勢に討ち取られた、豊臣の
家臣である「木村重成」の首塚もあった。秀吉の
元で長年にわたり活躍をして知行も18万石まで
出世をしながら、秀次事件で秀次を弁護した事で
連座の罪に問われて、自害を命じられた木村重茲の
息子である




連座で長男の高成も切腹させられ梟首された他に
娘も磔にかけられたというが、幼少であった重成は
罪を問われず、母の宮内卿局(一説には右京大夫局)が
豊臣秀頼の乳母となった事から、重成は幼少から
秀頼のお小姓として仕えた。ウィキメディアによれば




>秀頼の信頼が厚く、元服すると豊臣家の重臣となり
>重要な会議などにも出席するようになる。慶長4年
>(1599年)12月17日、豊臣姓を与えられる(中略)
>大坂冬の陣では後藤基次とともに今福砦攻防戦を
>展開し、徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めた




>真田丸の戦いにも参加する。また、和議にあたっては
>秀頼の正使として岡山で徳川秀忠の誓書を受け、その
>進退が礼にかなっているのを賞された。慶長20年5月
>大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として長宗我部
>盛親とともに八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣




>八尾方面には長宗我部盛親、若江方面には重成が展開し、
>藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙した。藤堂軍の右翼を
>破った重成は、散開していた兵を収拾し昼食を取らせると
>敵の来襲を待ち構えた。その後、敵陣へと突撃を開始
>するも、井伊軍との戦闘の末に戦死した。井伊家家臣の
>安藤重勝に討たれたとも、庵原朝昌に討たれたが朝昌は
>その功を重勝に譲ったともいわれる。




>首実検でその首級が家康に届けられると、頭髪に香が
>焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたという
>逸話が残っている。その後、首は重勝が密かに彦根
>まで持ち帰り、安藤一族の菩提寺である宗安寺に
>埋めたとされ、同寺院には木村重成の首塚がある




>なお、慶長20年(1615年)1月7日に大蔵卿局の姪の
>青柳を妻に迎え、八尾・若江の戦い前後に青柳と別れの
>盃を交わしたという。重成の死後、妊娠していた青柳は、
>近江の親族によって匿われ男児を出産後に出家した。
>そして、重成の一周忌を終えると青柳は20歳で自害した
>という




戦国最強のイケメンとも言われ、真田丸では仮面ライダー
俳優の白石隼也が演じていたそうだが、身長も大変高く、
体格もがっちりしており、顔は色白で眉は黒々とし、目は
キリリとしているなど。女装をしていても誰も気づかな
かったなんて逸話もあるそうだ




ひこにゃんのモデルはというと、彦根藩の二代目藩主の
井伊直孝にゆかりのある1匹の白猫をモデルとしている
関東の豪徳寺で直孝がにわか雨にあって、大木の下で
雨宿りをしていると、手招きをする白猫を見て近寄ると
直後に大木に雷が落ち、白猫のおかげで難を逃れたと
喜び、招き猫発祥伝説でもあるそうだ




かつては第一公設市場が置かれ、彦根の台所と呼ばれ
地元の人々に親しまれてきた場所が、四番町スクエアと
して生まれ変わったそうで、色んなお店があった




そして先程の夢京橋キャッスルロードの東側に
並行するように、お寺が連なった風情のある
町並みがあった




彦根には何度も来た事があるが、この通りは初めて
こんな落ち着いた通りもあるのか




佐和山麓から彦根城築城の際に、ここに移転をした
来迎寺の木造阿弥陀如来坐像は、国の重要文化財に
指定をされている




1603(慶長8)年に、初代彦根藩主の井伊直政が創建
したと云われる大信寺の石垣は、彦根城の築城の時の
残石なんだとか。直政は関ヶ原の戦いの軍功により
18万石にて近江国北東部に封ぜられ、三成の居城でも
あった佐和山城に入城をしが、中世的な古い縄張りや
三成の居城であったのを嫌い、新たに築城を考えた




しかし関ヶ原の戦傷が癒えず死去。家督を継いだ子の
井伊直継が幼少であったので、家老の木俣守勝が家康と
相談し直政の遺志を継いで、1603(慶長8)年に現在の
彦根山(金亀山)に彦根城の築城を決めたそうだ




公儀御奉行3名により、尾張藩や越前藩など7か国15大名
(15大名とも言われる)が手伝いを命じられた天下普請で
1606(慶長11)年の二期までの工事が完了し、天守完成を
持って直継が入城。その後も彦根藩のみの手により、1622
(元和8)年に彦根城が完成をしたそうだ




それに伴い、彦根城の城下町の町割りが本町地区
(夢京橋界隈)から始まり、外からは攻めにくい道
(鍵の手、どんつき、、狭い、迷う)が作られた
西国と東国を結ぶ交通の要所にある彦根は、徳川
幕府にとって特別の場所でもあり、信頼熱い井伊に
任された訳だし




桜田門外で暗殺された井伊大老も輩出をした、幕府
きっての彦根藩が、官軍となり討幕に加わったという
のも、色んな大人の事情でもあったんだろうな




彦根城の周囲には、お寺以外にも武家屋敷なども
連なっていたようだ




このお宅にも看板があるのだが、雨がひどく帰りに
見に行こうと思いながら忘れてしまって、なんだかの
ゆかりのあるお宅らしい




今回は洋風のお土産にしたけど、彦根の和菓子屋で
有名な「いと重菓舗」は創業200余年を迎える老舗で
大老 井伊直弼の御用達「埋れ木」は、以前に食べた
事がある。雨には降られてしまった彦根だが、初めて
出かけた寺もあるし、それなりに楽しむ事が出来た。




       平成30年5月7日に滋賀県彦根市で撮影

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最終更新日  2018年10月11日 19時22分04秒
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2018年10月04日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


​今年もあちこち出かけているので​、ここで
まだ紹介してない行楽もいっぱい。今回は
今年の春5月初旬に一人で出かけた、例の
日帰りバス旅行無料招待で、出かけた先は
この手の旅行で、うちのあたりから人気の
行先だ




まずはお決まりの一般販売はしていない
という高価な宝石&健康グッズ販売店に
立ち寄って90分。興味がなく売り場に
いたくなかったらゆっくりできる休憩所も
あるので、早々にそちらに移動




今回も販売前の説明トークで、宝石のクイズが
あって、クイズに当たった上に、5月は誕生月
だからわかったと言うと、小さなキャンドルも
いっぱい貰った。私は買った事など勿論ないが
ここに立ち寄る事で成り立つ無料招待なんだろな




もう10年位は、同様の旅行が続いているし
今年など春先の伊勢に、今回の彦根、今月は
もう一つ秋の旅も当選しており、何度もある
という事は実際にお買い上げになっている方
などもおいでになるのだろうか。あくまでも
自己責任なんだけどもね




宗教もだけど、人には全く価値がないとか
効果などないと思っても、人によっては
それが生きがい、救われたなんて事もある
から、他人の生き方には口も出せない。で
うちの次兄家族とか、長兄嫁などは某有名
新興宗教(別の)に入っているけど、選挙
頼まれる位で、特に無関心でいたりする




実家は曹洞宗永平寺&津島神社系で
うちは臨済宗妙心寺&諏訪神社系。姉の
ところは浄土真宗西本願寺(神社は?)と
いうように既存仏教で、子供の頃から
京都や奈良の寺社仏閣が大好きなんで
特にこうゆうもんだと




無料招待の基本料理。これにお金を追加
した方は、左上のお肉が近江牛にパワー
アップするようだ




この前にも一つ観光があったけど、写真
枚数の関係で後半にまわして、先に彦根
フリータイムの紹介をしますが、今日は
あいにくの天気で。お天気までは事前に
判らないし運が悪かったとしか・・・・




彦根城のすぐ前で解散&集合なんだけど
こんな天気だし、何度も出かけているので
彦根城&ひこにゃんはパス。今回はお城の
近くの夢京橋キャッスルロードあたりへ




添乗員さんお勧めの漬物屋さんまで
連れて行ってもらって、お茶などを
貰って、ここで解散。私もお土産に
赤こんにゃく味噌漬を購入




雨だしのんびり午後のスイーツでもと
ネットで調べ、地元の老舗のケーキ屋
「三中井」さんに出かけてみた




ショーケースには美味しそうなケーキが
いろいろと並んでいたが




ここで人気だというロールケーキの
オリンピアを食べてみた。その土地
ならではのものを食べるのも行楽の
醍醐味だ




さっきよりは雨がゆるくなったようだ
このあたりで20年近く前に、王様の
旅という、2泊3日のペア滋賀旅行に
当選をして旦那と近江牛ランチを食べた
のが懐かしい




新幹線のグリーン席に乗ったのは、後にも
先にも、その時ただ一度だった。しかも滋賀
県内はタクシーチャーターで、京近江最上階
だだっ広いVIP室で、食べきれないような
極上の食事をさせて貰って。。。。




あの頃は懸賞もハガキで応募をするタイプで
応募もさほどなかったのか、よく当たったが
ネットで簡単に情報も得られて、応募出来る
昨今は当選も難しくなったようで、ここ数年
よほどの場合以外は懸賞から遠ざかってきる




そんな中で、この勝手知ったるこの手の
旅行の応募はせっせと行っている。あと
NHKの歌番組の公開収録、メールで当選と
通知があって、今年も渋谷に行けるのかと
喜んでいたが、昨日あたりには届いている
らしい入場整理券が、今日も来なかったし
明日も来ないようならNHKに問い合わせを
するか・・・




ここまでの素敵な洋館は全国区になった
クラブハリエ&たねやの彦根の美濠の舎
(みほりのや)です。ここでケーキでもと
迷いましたが、先程のオリンピアを食べ
ました。彦根だし地元の老舗で・・・




紹介を前後しましたが、彦根市街に出る
前に多賀大社に参拝に行きました。ここも
先程、紹介をした王様の旅で参拝をして
以来の来訪になります。王様の旅は旅の
観光先、食事、宿泊先などプランニングを
自分で行って、だいたいその通りになる
旅行でした




まだ当時はデジタルカメラが出ていなくて
(もしくは出たばかりで)、フィルムのもの
だったので今のようにバシャバシャ撮れずに
記念写真じみたものが少ししか残せなった
のが残念でした。あと10年早くデジタル
普及してくれてたら・・・




デジタルカメラが普及して、程なくブログ
サービスが出来た事で、このような行楽の
ブログも始める事が出来た訳で、これを
始めてブログに時間をとられる事もまた
懸賞を熱心にやらなくなった理由の一つ
かもしれないです




それに娘が大学や就職で、一人暮らしを
始めて、信州や静岡など微妙に遊びにも
行ける距離だったので、私も入り浸って
そこから行楽に出かけたりもしていたし
懸賞をする暇もなかったし




無料の日帰り旅行も高齢者の参加者が
多いので、こういった有名な神社仏閣が
行先になることが多く、写真をパシャ
パシャしてばかりでも、しっかりと参拝
させていただきました




多賀大社についての概略は、↑の看板を
ご覧ください。自分で書くのが面倒なので
今回はしっかり立て看板を撮影してきた




「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢
お多賀の子でござる」との事で、伊勢も
行ったばかりだし、これは丁度良かった
御祭神のイザナギ・イザナミは伊勢神宮の
御祭神アマテラス大神の親にあたるので




多賀大社は豊臣秀吉からの信仰が篤く、母
大政所の延命を祈願し叶った事から、米
一万石を寄進しており、その一万石で反橋
などが造営されたので、太閤橋とも呼ばれて
いるそうだ




上からはこんな景色




振り返ると、こんな感じ




横から見た場合は、こんな感じです




あきませんわ。こうやって日記を書いて
いても、頭の中はNHKの入場整理券が
まだ届かないという事ばかり。いっそ
事前の当選メールが無ければ、こんな
心配もいらないのに。普通はどっちか
だけなんだけど。当選メールか、当選
通知




今どきの売れている音楽アーティストの
パフォーマンスも楽しみだけど、それを
理由に東京に行ける=フェルメール展が
見れるという図式で、フェルメール展の
高価な前売チケットを買うのは、ちゃんと
NHKの入場整理券が届いてからと決めて
いるので




ホテルは3日前位までならキャンセル料は
必要ないので、応募した時点で渋谷で予約
しているが、何事も確実にしたいので早く
届いてもらわないと、フェルメール展の
チケットが買えない・・・・




それにしても棚から牡丹餅はこの事か
同行予定の姉もテレビでフェルメールの
特集を見たようで、楽しみにしているし
書店にもフェルメールを特集した雑誌
などもあるので、人気のほどが伺わる
だけあってチケット代も2500円って




本当はね。京都の国立博物館で開催
されている日本刀の展覧会も行きたい
でもでも、このように出歩いている中
京都に日本刀を見に行きたいとも言えず
東京だってフェルメール単品じゃ無理だ




旦那的にNHK歌番組収録>>フェルメール
みたいな感じで、しかも姉が歌番組を見るの
楽しみにしているから♪などと、姉を引き
合いに出してこそOKも貰えるというもの
もう来週の事なのに、まだ入場整理券が
届いてないので、旦那にも言ってないし




あまり間際にしたくないので、そんな
こんなで次の行動を早く取りたいので
やきもきしている訳だ。ところで今回は
フォーク番組の収録ではなく、東京五輪
がらみの音楽番組で、当世の東京の流行
歌手が幾組も登場するそうである




NHKホールの利用で、客席は3千人以上入れる
みたいだが1当選でペア入場なので、当選数は
半分。応募は1夜、2夜合計で1万人を超えて
みたいだ。憧れの紅白歌合戦に比べたらかなり
低いハードルだし。一度くらい渋谷で大晦日を
過ごしてみたいもんだ




そうそう一般のコンサートなども最近は
転売防止で、本人確認が増えつつあるが
NHKの主要の公開収録でも、運転免許証
などで当選者本人であるかを確認をして
入場させている

おっ、しゃもじの絵馬だ




お多賀杓子については、写真にも簡単な
紹介があるが、これがおたまじゃくしの
名の由来らしい




大きなしゃもじが看板の門前のお店
では、名物の「糸切り餅」が売られて
いた。やっぱ大きな神社やお寺の前に
和スイーツは定番だ




流石に歴史ある神社だけに、名物も
なにやら歴史じみている




旅行自体が無料だったので、高価な宝石は
買わなかったが、食べれるお土産は気合も
入った




先程の多賀大社門前の糸切り餅と、お隣で
地元のお酒を




彦根の赤こんにゃく味噌漬と、クラブ
ハリエのバームクーヘン




そして恒例となった途中の養老サービス
エリアでのお土産は、滋賀県には関係の
無い桑名の安永餅と、名古屋城での武将
イラストの入ったコカ・コーラ




彦根で、土砂降りの中で観光した先は次回
紹介させていただきます。勝手ながら固有
名を挙げての宗教関係のコメントは、お控え
願いますように




     平成30年5月7日に滋賀県で撮影

  PS.入場整理券無事に届きました。5日午後0時

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最終更新日  2018年10月05日 12時19分45秒
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2015年08月02日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅


名古屋を中心とした中部地方は八丁味噌を食べたり
独自の食文化を展開しているが、様々な文化風習で
東日本と西日本の境界に位置し、エスカレーターは
東日本と同じなので、関ヶ原を超えて関西に行くと
逆に並ぶ人たちを見て、あぁ関西に来たなと認識を
する




家の建て替えの準備などで忙しいとか言いながらも
宿泊代の半額近くを国が援助してくれて安く泊まれる
ふるさと割で、滋賀県大津市の高級温泉旅館の予約が
とれたので、姉と二人で7月下旬に電車旅に出かけた




京都は姉と毎年のように出かけており、京都で宿が
取れず琵琶湖ホテルに泊まった事があるが、今回は
大津の奥屋敷の雄琴温泉。姉は初めて、私は三度目の
宿泊となる。早めに「びわ湖花街道」さんに着くと
冷茶でおもてなし




お部屋は8畳の一番リーズナブルなタイプにしたのに
平日で空室があった為なのか広い部屋を用意してくれて
いて好感度アップ♪ 今回は宿泊代(2人)4万以上で
2万円をふるさと割で割引して貰える。とかいって姉が
スポーンサーでいつものように奢って貰ったのだけど




正面に見えるのは、ずっと前に懸賞の招待旅行で旦那と
泊まった京近江(高い建物の別館の方)だ、最上階で
4つも部屋があって、露天風呂なんかもあって、食べ
きれないほどの料理が並んだ宿だ




気さくなお嬢さんがお部屋に案内してくれて、お茶出し
この宿って、若い娘さんたちがはきはきと働いていて
なかなかフレンドリーな感じが良い




浴衣も自分で選べ、赤い方は姉が選んだ。姉は大きな
もの(寺とか)、派手なものなどが好きなタイプだし
温泉も平日で空いているのか、人も少なくてのんびり
出来る。やっぱ夏でも温泉へGO!




夕食は個室に用意してくれるとの事で、時間になった
ので出かけると、皆さん、こちらで写真を撮られますよ
と宿の方にすすめられた内庭で姉と記念写真を撮って
貰うが、ここでは非公開で~す




やっぱ年寄りはテーブル席がナイスです。風情のある庭
なども眺められ、女性に人気の宿だけに隙がないなぁ




色んなお料理のプランもあった中で、やっぱり滋賀県に
きたのだから「近江牛」これしかないと私がチョイス
したのは特選近江牛懐石で、いろんな近江牛のお料理が
食べれるようだ


 

ここは日本酒の冷酒でもぐびぐび行きたいところだけど
ささやかにレモン酒でカンパーイして、あとは日本茶で
ぱくぱく


 

お酒より近江牛。夏場のお料理なのでお肉にもよく火が
通されており、臭みなども全くない美味しいお肉だし




きたぁ~~~。お宿自慢の近江牛の水晶プレート焼き
お~~、美味しそうなお肉だし


 

タレもあったが、シンプルに塩で食べるのが美味しかった


 

早めにご飯も用意して貰う。近江は米どころ


 

そして、名ばかりのミニしゃぶしゃぶかと思ったら
普通に野菜もお肉も普通しゃぶしゃぶで、少なそうに
見えるが、一切れ一切れが大きな近江牛(一人前)♪


          

しかしデザートは別腹。ちゃんと食べれるから不思議だ




朝食も近江名物の食材なども使われており


 

ここの生玉子がおすすめみたいだけど、私はゆで玉子派
なのでパス。おなかいっぱいで向かった先はいつもの京都




関西に来て思うのは、というか東京に行くと感じるのは
あくまで私と姉の個人的な見解ですが、60代の姉は
東京へ行くと必ず、2、3度は電車で若い男性などから
席を譲られるんですわ。ほとんど立ったことが無い位に
頻繁に(見た目?) 私は譲られた事がない(ホッ)




でも関西とかはそうゆうのは期待できない(中部も同様)
目の前の優先席で学生とか若い子が平然と足組んで座って
いて、1年前に脳梗塞を起こして心不全の薬も飲んでる
姉なので、座らせてあげたいけど「かわって」とも言い
づらく立たせたまま。姉との旅行は東京の方が気が楽だ




昨日一昨日と二日間もかかって、30年近くため込んだ
書類を1つ一つチェックして処分をした。新婚当時の
旦那の手取り15万位。残業なしで12万なんて時も
今も残業なしなので手取りは期待が出来ず、今だ娘の
ガソリン代や、ケータイ代、息子の保険代なども払い
それを指摘すると怒り出す始末




というか保険代・・・ありえないし。年払いとかもあり
表立ってこなかったが、こうやっていちいち書類を見れば
旦那のメイン保険、旦那のがん保険、旦那や家族の保険
私の保険、息子の保険、家の保険、複数台の車の任意保険
とかで月に7万円位は保険につぎ込んでない?




このうち終身保険や満期払戻金のある貯蓄型もあるけど
払い込んだトータルの半分位しか戻らない模様。絶対に
がんの家系じゃないのに、がん保険ももう100万以上
払い込んでいるし、普通に貯金をした方が良いと思うん
だけど。「これだけしか貯金がないかよ」と旦那は貯金
総額を聞いてがっかりしてたけど、これって保険貧乏?




少し誤算がありました。工務店の社長さんが所有している
アパートを安く貸してくださるそうで、探す必要もないし
敷金礼金&不動産屋の仲介料も必要が無いと喜んでましたが
ネット環境がないようで、数カ月の為に導入するのもどうかと
思いまして、でも数カ月もネットが出来ないのも。スマホも
ないし




月に一度は顔を出す娘の所や、実家とかネットも出来ますが
地域のフリースポットも電源まで無料で使用できる所すら
あるようなので、そういった所でブログとか更新したいと
思いますので、今までも少ない方ですが今後は、月に
何度かしか顔を出せなくなりますのでご承知下さいませ

              平成27年7月23日、滋賀県で撮影

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最終更新日  2015年08月02日 06時55分51秒
コメント(70) | コメントを書く
2013年12月12日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅



旦那が海外出張で家にはいなかった、この夏。これは
チャ~ンス!とばかりに、青春18切符や高速バスを
駆使して前から行きたかったあそこやここや。中でも
夏の8月のお盆は、こちらは旧盆7月で関係ないとは
言え行事もあったりで、なかなか思うように出来ない


  

てな訳で青春18切符を利用して、名古屋から関西本線
使ってやってきたのは、野放しの野生動物が街中を闊歩
ゆるキャラすら頭に角が生えている、ここは古都、奈良で
ございまするよ~




天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

阿倍仲麻呂のうたでも有名ですが、今回の奈良行きでは
夏の宵を月ではなくって大文字送り火や、春日大社での
中元万燈籠、東大寺大仏殿万灯会をハシゴしてぜ~んぶ
楽しんでしまおうという趣向です




毎年8月15日。終戦記念日に行われる奈良の大文字は
昭和35年に奈良県出身の戦没者3万人弱の霊を慰める
為に始まり、今では世界平和も祈念しているのだとか


 

大文字の点火前、飛火野で戦没者の慰霊祭が東大寺による
仏式と、春日大社による神式で遺族の方や関係者の出席の
もと共に行われる。こういった戦争慰霊祭に参加させて
いただくのは初めての事である




多くの人が見守る中で、いよいよ大文字に点火をするが
火力強く、望遠レンズを持参していなかったのでなんか
大の字がつぶれてしまった~。でも↓光源のある所では
大文字がよくわかった




大の字は火床が108あり、第一画が109メートルで
第二画が164メートル、第三画が128メートルもあり
日本最大級の送り火だそうで「宇宙を意味し煩悩の
焼却と、諸霊に供養する清祥心を表す」ものだそうです




大文字も無事に見れたので、全部をまわるには要領良く
まわらないとと早足で春日大社に向かうと、縁結びでも
有名な夫婦大国社から、春日大社の境内に入る片側
通行になっていた




春日大社であるが、平城京に遷都がされた710年に
うちの旦那が(少女漫画で)好きになった藤原不比等が
藤原氏の氏神の鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山
(三笠山)に遷し祀り、春日神としたのが始まりだ


 

全国に千社程存在する春日神社の総本社で、武甕槌命が
白鹿に乗ってきた事から「鹿」を神の使いとし、ユネスコ
世界遺産には「古都奈良の文化財」として登録をされた




かつては毎晩、約3千基の燈籠に火が灯されていたのが
今では2月の節分と、8月14、15両日の夜に限って全ての
燈籠にに火が入ります




前からこれが見たかったんだけど、日にちが限られて
行こう行こうと思ってただけで年月は流れ・・・次は
お水取りかっ


 

やっぱ、今度こそは行くぞみたいな硬い意志がないと
いつか行きたいなんて言っていても、なかなか実現は
出来ない。それは行楽に限らず何にでもあてはまる




なんて言っている間に、時間も進み残すところは東大寺
大仏殿万灯会! みんな同じ日で一緒に見れるのは嬉しい
けれど、どれもが火を灯すものなんでトータル3時間程と
時間が限られている


      

もたもたしていたら、ろうそくの火も消えてしまうよ~と
ライトアップ(電気)で、迫力のある仁王像もそそくさと
大仏殿へいっそげ~~! 




東大寺の大仏様を初めて見上げたのは、小学校6年生の
修学旅行で、東大寺、興福寺、春日大社、法隆寺、次の
日には清水寺、金閣寺、二条城って感じだったかな


 

今ならごく普通に、日帰りでも行けてしまう身近な奈良
だけど当時の私には、一生に一度行けるかみたいなすごい
ところ!という感じで。それでも今でも大仏様ほど感動を
与える仏像は出会えていない




東大寺は金光明四天王護国之寺ともいうそうで、奈良時代
聖武天皇が建立をした国家的な寺で、盧舎那仏(大仏)を
本尊とし、開山は良弁だ


 

当時は大仏殿(金堂)を中心に、東西の七重塔など大伽藍が
並んでいたが、源平合戦や、戦国期の兵火で焼失をしており
大仏も蓮華座(台座)などの一部分が当初のもので、あとは
再興されたものだ


      

盧舎那仏とは蓮華蔵世界(華厳経での世界観)の中心に位置を
しており大宇宙そのものを象徴している仏なのだとか。今夜は
正面の唐破風下の観相窓が開かれて、大仏の輝く御顔を外から
拝する事が出来た




何と元旦の午前0時から午前8時までと、お盆の万灯供養会の
午後7時から午後10時までしか開かない窓なので、とっても
貴重な事なのだ




万灯供養会だが、お盆の時期に帰省が出来ない人にも御先祖の
供養が出来るようにと、昭和60年より始まった新しい行事だそうで
大仏殿の正面にある広場に、灯が点った約2500基の灯籠が
幾つも並べられ幻想的な光景が望める


      

いかがですか? こんな(ちょっと慌ただしいけど)幻想的な
光景を楽しむ事が出来る奈良の宵。来年の8月15日は貴方も
行かれてみませんか? 次の日には京都で大文字ハシゴだって
出来ますよ




いつもであれば観光客もいなくなり、暗闇に包まれる
この界隈も、いつまでも賑やかなので、何が起こったん
だろうかと鹿も参道で当惑をしているようだった


      

近況

今週は真面目に主婦業にいそしんでいましたが、今日の寒さでは
とってもコタツから出れそうにもないです。夏に台所を大掃除し
今回は居間から、例の床が落ちて大工が直した部屋、仏間と
頑張りました。残すところは寝室と、玄関。さて明日からまた
頑張るぞ~~!




               平成25年8月15日に古都、奈良で撮影






最終更新日  2013年12月13日 08時18分03秒
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2012年05月18日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅
 
       女高野の石楠花19

 長谷寺の牡丹が出てくるのなら、コース的には
 ここが出てきてもおかしくはないと、言うのが
 更に山奥(三重県側)にある室生寺の石楠花
 (シャクナゲ)であり、この時期だけの有料の
 長谷寺間の直通バスがあり、それを利用してみた


 女高野の石楠花1

 直通バスとは言え、山道くねくねで1時間近くは
 かかったかなぁ~。その年の気候もあるとは思うが
 かつてGWに出かけた時は、長谷寺の牡丹は盛り
 だったけど、室生寺の石楠花は終わりかけて残念
 だったし、同時に咲くと言う訳でもないようだ


       女高野の石楠花17

 今年のお花はどうかなぁ~~と思ったら、アラ見事
 花の見頃にジャストミート! いやぁ~姉の希望で
 長谷寺の牡丹も、室生寺の石楠花もベストな開花を
 見る事が出来て、ほんとラッキーだった


 女高野の石楠花12

 華やかな大きな牡丹ももちろん美しいが、可憐な花が
 幾つもボンボンのように固まった、石楠花の花もまた
 愛らしいものだ。この花って、とっても透明感があり
 まじ、やべぇ~~し!


       女高野の石楠花2

 このお寺も山の斜面を利用して、いくつかのお堂を
 石段を登りながら参拝するのだが、その石段の脇に
 可憐な石楠花が花咲いて、今が一番華やかな山の寺


 女高野の石楠花3

 さて室生寺のレクチャーでも。え? 長谷寺の説明
 しなかったのに? あちらは大寺で源氏物語の舞台
 にもなる程、中身が濃いので後半戦を紹介したいと
 思いまして


       女高野の石楠花11

 やっぱり花は季節ものですから、先に花ネタを。。と
 イベントネタと共に、いつも優先で紹介をしている
 うちに一般のネタは、お蔵入りの危険性高し?


 女高野の石楠花14

 真言宗室生寺派の大本山である室生寺(むろうじ)は
 かつては女人禁制だった高野山に対し、女性の参拝が
 許されていたので「女人高野」と呼ばれる優美な寺だ


       女高野の石楠花4

 奈良時代、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の為
 室生の地で延寿の法を修すと、竜神の力によって見事
 回復したので、興福寺の僧である賢憬(けんきょう)が
 朝廷の命により寺院を造る事になった

 この木に垂れさがる縄は、龍の姿を模したものだとか


 女高野の石楠花20

 江戸時代になって興福寺の法相宗から独立し、長谷寺が
 総本山の真言宗豊山派となるが、50年ほど前に独立し
 真言宗室生寺派の大本山となった。う~む、真言宗って
 単純に高野山が総本山って訳でもないんだ・・・・


       女高野の石楠花23

 真言宗で検索をすると、宗派の中でも分派が多いそうで
 古くに、大日如来の本地法身説の教学(古義)による
 古義真言宗と、大日如来の加持身説の教学(新義)に
 よる新義真言宗に別れて、今では約50もの宗派がある
 そうで・・・・


 女高野の石楠花22

 さて室生寺の話に戻ると、都からも遥かに遠い山奥に
 存在したので、内乱とか焼き討ちなどにも遭う心配が
 なかった為、平安時代前期よりの貴重な建物や仏像が
 平成の世に残されている


       女高野の石楠花15

 賢憬の死去により、寺の造営は弟子にあたる興福寺の
 修円に引き継がれ、その当時までさかのぼれる伽藍で
 屋外にある木造五重塔としては、法隆寺の五重塔に
 次いで、日本で2番目に古いという五重塔が名高い


 女高野の石楠花18

 この塔は、国宝や重要文化財指定で屋外にある木造の
 五重塔の中で日本最小である。高さは16メートル程
 初重の1辺の長さは2.5メートルの小型の塔だそうで
 その創建は800年頃、修円が室生の竜神を封じ込めた
 「宝瓶」が塔の最上部の九輪の上にあるという


       女高野の石楠花21

 1998年9月の台風7号の暴風で、塔の脇にあった杉が
 倒れて塔の西北側の屋根を直撃して、大被害を受けたが
 心柱など塔の根幹部は無事であった。その復旧がなされ
 創建当時の美しい姿を取り戻していた

  
 女高野の石楠花5

 山岳寺院に多い懸造(かけづくり)の金堂は、平安時代
 前期(9世紀後半)の建立で、鎌倉時代に大修理を受け
 外陣の礼堂部分は江戸時代に、全面的に建て替えられて
 いるという


       女高野の石楠花24

 この堂内須弥壇上には、十一面観音立像、文殊菩薩立像
 本尊釈迦如来立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像といった
 美しい仏像が横一列に並び、その手前には十二神将立像が
 並んでおり、石楠花や五重塔同様に室生寺の見どころと
 なっている


 女高野の石楠花16

 かつて、京都の東寺の立体曼陀羅の仏像を姉や姪に見せ
 たいと出かけたら仏像修理で、幾つもの仏像が無くって
 情けない有様だったが、今回は大丈夫。日本有数の国宝
 &重文の仏像群を、姉に見せる事が出来て大満足だ
 

       女高野の石楠花13

 それにしても、室生寺独特で「室生寺様」とも称される
 平安時代前期の仏像はどれも美しく、中でもぽっちゃりと
 たおやかなお顔をされた十一面観音立像は、私の仏像
 ランキング・ベスト10に悠々と入る美しさで見飽きない


 女高野の石楠花9

 というか。このように日本有数の国宝や重文を平成の世に
 残す寺院だけに、この修復はなんだか外国からのお客様に
 見せるのも忍びない。こういった文化財の保存とか個人や
 一寺社では厳しいのだろうなぁ


       女高野の石楠花6

 享保12年(1727)の造立銘がある、「軍荼利明王
 (ぐんだりみょうおう)」の石仏。密教では宝生如来の
 教輪転身とされており、様々な障碍を除いて下さるとか

 木や金属の仏様も良いが、このような屋外の石仏もまた
 自然に溶け込んでいて好きだったりする


 女高野の石楠花7

 う~~む、赤いマントとお帽子がキュートだ。何気に
 石仏(いしぼとけ)さんも素朴で良い感じだ。この脇
 からは石段が更に山上に続いて、奥の院へと続くのだ
 姉がダウンで今回は・・・・いや、今回もパス


       女高野の石楠花8

          平成24年4月30日に奈良県で撮影







最終更新日  2012年05月18日 19時02分50秒
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2012年05月16日
カテゴリ:滋賀、奈良の旅
 
      長谷寺の牡丹14

 と言う訳で娘の所へ行ってきました。富士山は
 見えたかですって? その写真はまたこの次に
 まだ春の季節物、花写真があるのでそれを先に
 したいと思いますが・・・・


 長谷寺の牡丹18

 今年は飯田周辺の桜のお花見が充実をしていて
 まだまだ紹介したい所ですが、その間にも他の
 春の花もあるので、他の今年の桜写真などを
 見たい方は、下記の写真サイトでご覧ください

       フォト蔵「空帆」の写真ページ 


      長谷の牡丹

 さて、まだ何も紹介をしていない姉に誘われての
 関西旅行。当初は3日目の予定は、未だ出かけた
 事が無かった歴史溢れる「堺」と、朝ドラで注目を
 されている「岸和田」をまわるつもりで、ガイドブック
 なども購入し、ここへ行こうとか準備も万端だ


 長谷寺の牡丹17

 ところがBIGな大好きな姉が、地味に街歩きとかを
 一緒にするだろうか・・・という不安が的中。電話では
 堺と岸和田でOKといっていたのに、大阪城公園に
 面したホテルの一室で、姉が唐突に言いだしたのが


      長谷寺の牡丹19

 「そういえば。鎌倉の長谷寺(浄土宗)には行った事が
 あるけど、本家本元の奈良の長谷寺(真言宗豊山派)には
 まだ行った事が無いし、近くの女高野の室生寺も一度は
 行ってみたいなぁ・・・」


      長谷寺の牡丹11

 そう思って、次の日の朝に大阪は勿論、京都や、奈良へ
 アクセスが良い京橋のホテルにして助かった~。勿論!
 帰りの新幹線の切符だって取ってない。だって京都から
 なのか、もしかしたら奈良から近鉄電車利用になるかも
 しれないと思っていたので


 長谷寺の牡丹3

 BIGな観音像と、山の斜面を利用した広大な長谷寺を
 見逃すはずが無いと思った。しかも一年の中でも一番!
 華やかな牡丹の時期なんだし、電話で娘にネットで開花
 情報を調べてもらうが、まさに見頃のようだ


      長谷寺の牡丹1

 私は過去に3度、長谷寺&室生寺に出かけ、牡丹の花も
 見てるけど、ここは姉孝行だ。また堺や岸和田も行く機会も
 あるだろうと急きょ、予定変更とあいなった


 長谷寺の牡丹15

 最初に長谷寺に行った時も牡丹のシーズンで、勿論、花も
 綺麗だったけど、中日ドラゴンズの帽子をかぶった少年が
 いて、「へ~、近鉄電車で名古屋圏からの利用者も多いん
 だなぁ~」などと思い、青い帽子が脳裏に焼き付いている


      長谷寺の牡丹5

 だいたい人の記憶なんて、そんなもんだ。とびきり綺麗な
 風景を見ても、美味しいものを食べても、楽しい思いをした
 としても、ちょっと変だな? それは無いよなんて心の隅に
 ひっかかったような些細な事が印象に残っていたりもする


      長谷寺の牡丹10

 今回の富士山周辺でも美しい花と富士のコラボ。カレンダー
 みたいな光景を目にして。沢山の人が訪れていたのだけど
 フェミニンなお洋服を着た、綺麗な若いお嬢さんが「マジ
 やっべぇ~~。やっばくねぇ~~コレ?」と、大きな声で
 やばいを連呼・・・


 長谷寺の牡丹6

 いや、たぶん。風景よりも日本語の将来がやべぇ~~し
 なんて訳で、私もこんな華やかな牡丹の花咲く長谷寺の
 様子を一言で表現するならば、やべぇ・・・・?


      長谷寺の牡丹16

 子どもすら敬語が使える渡る世間に鬼ばかりが終了した
 今、一番、美しい言葉を使っているのはサザエさん一家
 かなぁ・・・。あぁ! ドラえもんのスネちゃまのママも
 ざ~~ます言葉を使っていたっけ!


 長谷寺の牡丹20

 今や、TVの報道レポーターすらも容疑者とか犬にすら
 敬語を使ったり、なんとかNOWみたいにインターネット
 から派生したような専門用語も日常的に使われているし


      長谷寺の牡丹9

 きゃりーぱみゅぱみゅのように、正式名称が「きゃろらいん
 ちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」というような
 落語のネタみたいなタレントも


 長谷寺の牡丹8

 大人には判らないような、自分たちだけに通じる隠語遊び
 それもまた楽しいのであるのかもね。ざ~~ますもご同様!
 今見てるTVでも、女子高校生が「やっば~~~!」


      長谷寺の牡丹4

          平成24年4月30日に奈良県で撮影






最終更新日  2012年05月16日 14時44分06秒
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