おこげの釜飯に、国際市場。伽耶の面影
お昼時になってきたら、お腹もすいてきたので 国際市場やチャガルチ市場もある、釜山で一番の 歴史ある繁華街「南浦洞」に足を伸ばすことにした 実は、その前にも寄り道もしたのだが、画像的に 辛気臭いので、日記の後半で紹介をしておくので 興味がある方はどうぞ! 第二次大戦後に日本人が引き上げる際、戦時統制 物資を売り始めたのが、国際市場の始まりらしい 朝鮮戦争では、北部からの避難民が商売を始めて 闇市のような存在だった ここで土産物を買ったのだが、ソウルの市場より なんだか安い! え? 1000ウォン? 半額 じゃないの~。しかもお土産まで。おっちゃん感謝! お寺で、一心不乱で拝んでいた奥様方と違って ソウルのタプコル公園もだったが、お父さん達は 路上でも熱心にゲームに興じていた 下のは、中国将棋(象棋)が、朝鮮半島に伝わって ルールが変質した、韓国将棋(チャンギ )だ ネットで検索をして、目星をつけいていた韓定食の お店も、路地裏にあるのだが、写真入の地図で簡単に 見つけることが出来た。ソウルで食べた釜飯が 忘れられなくって、それをメインにした韓定食だか 次から、次へと出てくる。出てくる まだ、写真の他にも、おかわりのおかずのお皿も 出ての4人前なのだが、一人当たり10000ウォンで 日本円で1300円程度かな。しかもバイトなのかな? 店員さんがイケメンなんですがぁ~!! 釜飯のおこげは、お湯をついで、そぎ落として 食べるようになっていて、あっさりして美味しい 食事の前は、伽耶(かや)の遺跡である、街中の もっこっりした小山に広がる、福泉洞古墳群と そこから出土をした宝物などを、展示している 福泉博物館を見学をした 副槨がある木槨墓20基、木槨墓73基、甕棺墓4基 副槨がある竪穴式石槨墓8基、竪穴式石槨墓54基 土,肱2基、木棺墓8基、横口式石室墓1基の膨大な 古墳群から出土した遺物は、1万点もあるそうだ 伽耶(伽耶諸国)は、3世紀から6世紀かけてを 朝鮮半島の中南部において散在していた小国家郡で 古代日本とのつながりも大きい。奈良県の新沢千塚 古墳群は、伽耶から戦争を逃れて渡来した帰化人の お墓があるらしく、伽耶の製品が出土されている 古墳の背後にある慶尚道東莱城は、豊臣秀吉の朝鮮 出兵に際して、他の武将らが撤退した後も、宋象賢は 城に留まり、小西行長らと壮絶な死闘を繰り広げ 戦死をしたという・・・・ 平成19年2月21日撮影