お久しぶりです そしてご報告。
本当にお久しぶりです。毎日暑いですね。クーラーかけっぱなしですよ…。前回からパソコンの調子がやっぱりおかしくて、あの後壊れてしまったんです。で、新しいパソコンは買ったんですがなかなか一から設定する気力がなく…。スマホから書こうかなと思ったんですが、写真の貼り付けがいまいちサイズが分からず。季節は過ぎ、今にいたっちゃうわけです。遅れましたが、7月20日、7時57分。父が旅立ちました。本当に静かな旅立ちでした。私、前日の金曜日柄にもなく掃除をがんばっちゃったんですね。散らかった居間とトイレと洗面所をある程度片づけて、掃除機かけて。で、朝から頑張ったもので疲れてそのままバタンキューと寝てしまったんです。一応夕方5時にアラームかけてお父さんのお見舞い行こうとしていたのですが、全く気付かず。22時頃起きて、あー、今日お父さんのお見舞い行けなかったな…、と思いつつ、ご飯食べて、そのままスマホ見たり寝付けないでいました。手帳に記入したとき、お父さんが倒れてから今に至るまでずーっと日付に線を引いていたのですが、20日になぜかぴたっと引くのをやめてしまい・・・・。その日の朝でも線を引いていたのに。1月4日のお父さんが倒れた日の欄と記載を眺めていたら、携帯に電話がかかってきました。朝の6時前だと思います。最初、コンビニからだと思いました。オーナーさんからかな?と。でもこの時間、オーナーさんは帰宅している。電話を取ると、病院からでした。父の血圧が下がってきている、急変、危篤と思っていい、間に合わないかもしれないから、急いできて欲しいと。私は泣きながらお願いします、急いでいきます、と電話を切り、兄に電話。出張の多い兄ですが、偶然にも帰宅途中でした。父の事を伝え、すぐに伯母たちにも電話。伯母は急いでいても運転には気を付けて、大丈夫か、何度も言ってくれました。なんで金曜日にお見舞い行かなかったんだろう、泣きながら運転し急いで病院に駆けつけると、すでに兄が来ていて看護師さんからお話を聞いているところでした。もう内臓が機能を保てないこと、昨日高かった血圧がもう半分しかないこと、耳は聞こえてるから話しかけて、血圧戻る患者さんもいるから、そういわれました。兄と二人、お父さん、親父、声を掛け合いました。父は相変わらずすやすや寝ていて、でも明らかに息の仕方がおかしかった。ヒクっ、ヒクっというおかしな息をしていて、取り付けられた心電図も上が90を切ってました。今何を父に話しかけていいのかわからない、話しかけて血圧を戻させて、まだ頑張らせるのか?兄と2人、ほとんど黙ったままでした。私は父の手を握り、ここにいるよ、と話しかけるしかなく。看護師さんが来て、流動食点滴をするというので、消化できるのか聞いたら、消化は出来ないかもしれない、でも生きてる限り必要なものだから、ゆっくり流しますね。鼻から通したチューブを開けると、血が一瞬逆流するのが見えました。(あとから伯母と話したのですが、父は癌の治療を全くしていないため全身に癌が転移していたのではないか?と思います)それから少したって、心電図を見たら数値が0になっていました。兄に急いで知らせると、父はとても早い呼吸を繰り返しています。でも顔は苦しみなく、いつもの通り。もう血圧はすでに測れなくなっていて、数値も26とかぶり返しても低いままでした。兄と2人声をかけながら手を握っていたら、数値が0から変化しなくなっていました。人工呼吸器をつけているので息はしてるんです。だからまだ生きていると思っていました。これ、人工呼吸器で息してただけだったんですね。看護師さんが来て、心停止していますので医院長を呼んできますね。と言われ、医院長さんが確認を取ってくれて、父の死亡が分かりました。人工呼吸器を外されて息を全くしていない父を見て、分からない間に父は逝ってしまったんだと知りました。本当に、すーっと、静かに静かに逝ってしまいました。そこでやっとああ、お父さん、もう逝っちゃったんだねぇ・・とお顔を撫でるとこができました。兄も、よく頑張ったよ、と言っていました。1月4日に倒れ、その日持たないと言われ、2月15日にここの病院に転院し、もう長くはないと言われ、昏々と眠りつつけ、弱った心臓とたくさんのガンを抱えながら、ここまで父は生きてくれました。父の時間は1月4日の寒い冬で止まっています。脳が死んでいる人は体温調節ができないそうで、看護師さんたちがタオルを手に巻いたり布団をかけたりして調節してくれていましたから、父が季節の気温を感じられたか分かりません。春には父が毎回楽しみに桜の開花を見に行って、満開になったら一人で花見をした公園と、私と2人毎年花見に行った公園の写真を撮りに行き、わずかに目を開けた父に見せてお話しし、お見舞いのたびにその日、最近あったことを話し、6月には限定で発売される農家さんのトマトを買いに行って父に匂いを嗅いでもらい、七夕には病院に飾り付けてある笹の葉と短冊の話をし、短冊に父が幸せな夢を見続けますよう、願いを書き、7月14日の父の誕生日には(今年は15日にお祝いになっちゃったけど)ベッドに小さく飾り付けをし、花粉のついてない百合の花とケーキの匂いを嗅いでもらい、父は生きてくれました。植物人間になっても、永く生きてくれました。父にたくさんの思い出をもらいました。父に幸せな時間をもらいました。20日、やっと家に帰ってきた父と3日間過ごし、23,24日に通夜と告別式を身内だけで行いました。父が元気な時に「俺の葬儀は身内だけでいいよ~」と言っていた言葉通りに。父がひげを伸ばしてかっこ良く整えたときに写真撮ってと言われ、現像したとき「これ、俺の葬式写真に使って、いいなこれ」と言っていたものを写真に使いました。今は居間に父の遺骨と写真などを飾り、私もほとんど居間で過ごし、寝て、一緒にいます。体調が悪い人が出たため、代わりに出勤しているので週5で働き、くたくたになっても遺産手続きや市役所の手続きをしなければならず、何もない休みの日は洗濯や洗い物をすましたら爆睡してます。食べ物なんて作る気力もないので買ってきて食べたり、スパゲティなど簡単なもので済ましたり。ふと、家にもう1人きりだと実感してボロボロ泣いたり。1月までお父さんと普通に話してたのになぁと思い返したり。私がちゃんと働けない分、父には迷惑かけました。母が早くに亡くなり、父と17年、2人で過ごしてきました。ケンカしたり、何気ない話したり、旅行したり、文句言ったり、笑いあったり・・・・・。父は幸せだったのでしょうか?私の幸せはどうでもいいから、父には幸せになってほしかった。今にして思えば、この半年以上の時間、長い長い別れの時間を神様にもらったのかな、と思います。お父さんよく頑張ったね。ありがとう、天国でお母さんに会って、永く離れていた分いっぱいお話してね。幸せな時間をありがとう。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。これからここの日記は、たまに呟きと日常と、父の思い出でも書こうかなと思います。