二つの言葉
*ここから引用* 画家の高山辰雄さんが、いいことを言っ ておられた。いい絵というのは肋骨に引っ かかってくるものを持っている。ゴッホの 烈しさはやさしさからきていると。 この二つの言葉はよかった。最近の若い 人は絵画でも陶器でも実に器用で、すぐに 個展を開く。別にそれを非難するつもりは ないが、感心はするが感動はしない。つま り肋骨に引っかかってくるような玄なるも のを持たないのである。(中略) また烈しさはやさしさからきているとい う言葉も、うーんとうならせるものであっ た。わたしはこの言葉を耳にした時、道元 の『正法眼蔵』の烈しさを思った。そして、 ああ、あれは禅師のやさしさからきている んだなあと、今までのとかくの誤解が氷解 していった。シャカやキリストの烈しさ、 あれもやさしさからきているのだ。*ここまで引用* 致知出版社『坂村真民一日一言』より、感謝します。残念ながら私には「肋骨にひっかかってくるような」という感覚がはっきり掴めませんので、もう一つの「烈しさはやさしさからきている」に触れてみます。たとえ無自覚だとしても自分自身に自信を持っている人は烈しい表現からもやさしさや期待を受け取れるかも知れません。自信を喪失している人にはたとえ烈しさの源にやさしさがあるとしても受けとめ難く、孤独とさらなる自信喪失を引き寄せてしまうかも知れません。「正しい」または「相手に良かれ」と思っていることを人に伝えよう この世に残そうとする時、「必ず伝えたい」とか、「伝わりやすく表現できない」とか、「まだ、伝わっていない」と思えば思うほど烈しさを増していきます。このようなことは投げかける側か受け取る側かどちらかの経験をほとんどの方が体験済みでしょう。では、やさしさは烈しさからきている という逆説についてはいかがなものでしょう。