戻っておいで 私の時間

2009/09/12(土)00:15

In My Life / The Beatles

The Beatles(36)

12月8日と聞いて、何を思い出しますか? ビートルズを聞かない夫は「真珠湾攻撃、開戦記念日」と即座に言います。たしかに、私も、1980年までは、リメンバー・パールハーバーな日でした。 でも、あの悲劇的なニュースを境に、ジョンを思い出す日となりました 時差の関係で日本では9日でしたが、命日は現地時間の12月8日に定着したようです。 ジョン・レノン が、わずか40歳で亡くなる、しかも、ファンを名乗る男に 自宅前で撃たれるだなんて、誰が想像したでしょう? 息子との家族生活を大事にするため、5年間の主夫生活を経て Double Fantasyをリリースしたばかりだというのに・・・ ジョンはこのアルバムをひっさげて、日本を皮切りに世界ツアーをするつもりだったそうです 二人目は女の子がほしかったというジョン。 滞日中は、幼いショーンと一緒に日本語を覚えようと、得意なイラスト付きの単語帳を作り、ヨーコが日本人と話していると、日本語で「そうそう」「あのね、あのね」と、ちびっ子みたいに割って入ってきたという、お茶目なジョン。 俳句や禅を愛し、「玄米にもち米を少し混ぜたのが、まいう~」と、日本人記者に語り、軽井沢や東京でママチャリを乗り回し、 歌舞伎の「隅田川」を見て、母子の別れに涙し、「渋い」という日本語が好きな、渋くない(と私には思える)ジョン   「おっかあ、行っちゃやだ!」   「兵隊になんかなりたくねえ」   「寂しい。死にてえ」   「おらのこと、見てよ。なあ、"おら"って誰?」   「ちかれたびー」   「おらは焼き餅焼き」   「おらの子、ギザカワユス」>ショコタンか。   「頑張れ、自分」   「アイスマセン」>旅のお方、「ミ」をお忘れでは・・   「おお、ヨーコ(縦にしてもヨーコ)」   (ジョン、超訳でごめんよ~) ・・とまあ、自分の中の弱虫毛虫を、はさんで捨てずに、全部歌にしてカミングアウトしちゃう、運動音痴な「走れ!正直者」 授業中に先生の似顔絵を落書きしたノートをクラス中に回し、ギターに目覚めてからは学校をサボってばかりだったジョンが、マザーテレサやダイアナ元妃と並び、伝記になったり教科書の常連になるとは、ミミおばさんも、さぞ「びっくりしたなあ、もう」だったことでしょう おばさんの名前も載ってるよ~ こんな、母性本能くすぐりまくりぃな万年少年のくせに、皮肉屋で気分屋でロッケンローラーでもある男子とうまくいくには、「夫はとうに亡くなりました。いい人でした」と諦め、ロックンロールウィドウになるか、肝が据わったお方でもないと勤まらないことでしょう。 相棒のオノヨーコさんには賛否両論あり、私もはじめはチリチリのロングヘアーが黒い魔女みたいで怖かったし、母より年上なのに変なおばさん(失礼。)だと思っていたのですが、最近では、とてもパワフルでしゃれっ気のある、肝っ玉母さんだったのでは・・と思っています。 難を言わせて頂けるなら、嬉しくても、大村崑ちゃんみたいにメガネを落とさないで、ということと、女子的には、寄せて上げると大きくなるのはよくわかったから、胸のボタンはきちんとしようね、の二点です。>母さんか。 あさってのライブはどうかな 充電期間を終え、'80年代はどんどん行きまっせ~、とやる気満々だったジョン。生きていたら、この27年で、どんな歌を歌い、どんな活動をしてきたのでしょう。ショーン・太郎・小野・レノンの作る曲やPVが、哀愁を帯びたヨーロッパ風なテイストなのも、5歳でイギリス人の父を失った心の空白を物語っているような気がします。 暗殺の翌週、Newsweekの表紙には、ジョンの顔写真の下にJohn Lennon 1940-1980 とあり、キリの良すぎる数字と、没年が記されてしまったことに、私は新たな悲しみを覚えました。 今日は、ジョンの好きだった曲を選んでみました     おかげさまで20000 HITSになりました。     皆さま、ありがとうございます     ジョンの記事と重なって、マンモスうれPです。     ふつつかなミーハーですが、これからもよろしくお願いいたします    わが人生  ビビビ   イケイケ  豪華メンツ   リスペクト   フゥ~  踊ろうぜ   再出発  皮 肉   君がいない

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