2015/07/02(木)00:05
モノを減らそうぜ、モノを。
「人を呼べる場所にしたい」。
これが動機でありました。
なんと不相応な目標であることか。
ワタクシの住まいは人に来てもらえるほどの空間には、永遠にならない、ような気がする。
そう思う理由はモノの多さである。
ボウリングの球が7個も8個も出てくる家は、そうそうないのではあるまいか。
釣り道具も一式。
でっかい水槽が3つ4つ。
DTM機材。
書籍、CD、DVD。
カメラやレンズも揃っているが、これは一部ワタクシの仕事にも関わっていたので仕方がない。
パソコンがいくつもあるのも、まぁ仕事関連だから仕方がなく、
コンポやスピーカーやキーボードも仕方がないし
金管楽器が何本かあるのも仕方がない。
ああ、鯖口くんが着々と山道具を増やしているようだが、これも仕方がないし、
そもそもワタクシの防音室が居住空間を圧迫していることも仕方がない。
仕方がないんだ!
などと開き直りたくなるところを、どうにか考え方を変え、すっぱり捨ててしまおうぜというのが「ダンシャリ」なのでしょう(想像)。
なるほど、流行るわけだ。
できるわけないことをやっちゃおうぜ、きっとやれるよと背中を押してくれるんだもんなぁ(想像)。
・・・・こんなふうに行きつ戻りつ、ときに自省しながら、少しずつモノを廃棄処分している今日この頃。
先日、仕事資料の間から、色画用紙が出てきた。
二つ折にされた画用紙を開くと、中面には、絵の具をつけてぺたっと押した子どもの足形と手形があり、「かわだ先生へ ◯◯◯より」と大人の文字で書いてあった。
あーこれ、教育実習が終わったときにいただいたものだ。
お世話になった先生方がサプライズで、我々学生のために用意してくださった、子どもさんからのお手紙。
捨てられずにしまいこんでいたのだった。
こういうのはどうするんだろう。
「ダンシャリ」的には捨てるのかしら。
けど、捨てる選択は、人としてはどうなのかしら。
あ、ボウリングの球はどんどこ捨てました。