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最近、討論番組を見てしまう。
テレ朝の 「朝まで生テレビ」、「サンデープロジェクト」、「たけしのテレビタックル」 よみうりテレビの 「たかじんのそこまで言って委員会。」 冒頭に私が「見てしまう」と表現したのは、「見ないでおこうと思っていても、見てしまう」の「しまう」である。ではなぜ「見ないでおこう」と思うのか、そしてなぜ「見てしまう」のか、そして結局自分はどう思っているのかを考えてみた。 まずは「見ないでおこう」と思った理由だが、私が見る討論番組は大概「政治」の話である。最近は民主党のなんとか議員が持ち出したメール問題や尖閣諸島、中国韓国、靖国問題、ライブドア、などなど。会社勤めを辞めて自分で起業したいと思っている人間が「政治」云々を見る前にまずやる事があるだろうが!と心の中で叫んでいるもう一人の自分が居たりする。実際に人が「経営者が政治を云々言っているのは無駄。それより経営に集中すべき」と発言していた事にうんうんと頷いていた自分が居たからで、自分自身に後ろめたい感情があったことには否めない。こういう「政治」がらみの話は起業思考になる前は好きだった筈であり親父を捕まえて話をして喧嘩腰になったことすらある。(たしか原発のことかなんかで)だから「見ないでおこう」と思っていたのだ。 次に「見てしまう」という表現だが前述した通り元々「政治」絡みの話は好きなのである。やっぱり興味があるからそっちに向いてしまう。また番組の作り方がうまいのだろうか引き込まれて行く。自分とは反対の意見を持っている有識者や評論家の話を「ムカムカ」「カッカ」し、ストレスを感じてながらも一度やったら抜け出せなくなるような間隔を感じながらその電波情報の海に溺れてしまうのである。 最後に「結局どう思っているのか」を考えてみるが、「思っているのか」というなんだか弱い感覚表現ではなく白黒はっきりつける意味で「だからこうする」と断言してみる。結局はこじつけや自己満足や逃避になるかもしれないのだが気持ちを確定させる為には断言したほうが良いのである。まず自分の好きな感覚はもうどうにもならないので好きでいる事から逃げる事はやめよう。次に起業家を目指す事と「政治」絡みの討論番組を見るという行為について、やはり自分の中で嫌悪感が出てくる。「見たら駄目」と言う方々もいるであろうが見る言い訳を考えてみた。これは他人様に対しての言い訳ではなく自分自身への言い訳である。たぶん今から述べる言い訳は他人様には言い訳にならないであろう。自分は会議の席や意見を出し合う場所などでエキサイトする場合が多々ある。自分で言うのもなんだが血気盛んなのである。ある部長から「爆弾」とも呼ばれている。まるで民主党のなんとか議員である。討論番組を見ていても反対意見に対して自分の血が沸騰していることに気が付く時がある。もう再来月で32にもなる人間がである。すこし冷静に、大人にならなければいけないと思い、反対意見を言われてもカッカならずに冷静を保つ訓練と思うことにしよう。この言い訳を他人様にとやかく追われても「貴殿に言われる筋合いは無い」と言い切れる強さが自分に欲しい。ほとほと困った漢である。 結論:討論番組を見ることは冷静さを保つ訓練。 これ駄目? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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