定年後の過ごし方?(趣味のこと?)
「定年退職後テレビ漬けになった父に、もういちど夢を!娘の挑戦はお父さんの心を動かすか?」という記事を見つけました。読んでみて、感じたことは……娘さん、優しいですねえ……それはともかく、自分もそろそろ定年退職の時期に近づいています(といってもまだ数年はありますけど)が……ここで描かれているようなシチュエーションは本当なのかなあ、と疑問に思います。描写から見て経済的にはまったくご不自由が無いと推察されますので、財産もあり年金も多く、きっと現役時代は会社の役員や幹部管理職などそれなりに権限権力のある社会的地位に就き、仕事一筋にご活躍されてきた方なのかなと想像します。そういう方々は、概して趣味も交友関係も豊富で充実しているようにお見受けするのですが、どうなのでしょう。自分は、基本的に社交性がなく孤独癖のあるいわゆる落ちこぼれ?社会不適応者?を自認してますし、子どもの頃から飽きずにずっと続けている模型工作という趣味のようなものはあるものの、定年後もなんとかして収入を得て糊口をしのがなければならない身なので、よくわからないというのが本音です。ですからこの記事、なんだかマスコミ若手記者の作り話のように思えてなりません。じっさいのところは、どうなんでしょうねえ?それにしても、気になったのは、>いつもはどちらかというと寡黙な父ですが、絵のことについてはずいぶん饒舌に話してくれました。かなり本格的にやっていたようです。というところ。そんなものなのだろうか? 自分の場合は、趣味のことや、かつてやっていたことを話せ、と言われても、趣味のことも仕事のこともそうそうおもしろおかしく描写して話せるようなものじゃないし、相手の興味を引くようなことでも無いだろうにと考えて、口ごもってしまうのが常なのですが。特に、>後で母に話を聞いたところ、父は若いころにはかなり本気で絵に取り組んでいたようです。絵をやめるときも、趣味をやめた、というレベルではなく、「絵の道に進みたい」という想いを断念する、大きな決断だったのだとか。>そっか、そんなに軽々しい話じゃなかったのか、と納得するとともに少し反省。なんて話だったら、特にそうだと思うのですけれどねえ。だいたいにおいて、たいていの人、特に社会的地位のある方や自信家で活発な方は、自分が話したいがタメに相手に興味を持ったふりをしてなにかを訊ねるということが多く、それじゃとりあえず、と話し始めたとたんに、出て来た言葉のしっぽを捕まえるやいなやそれをきっかけに、こちらの口を遮り一方的に自分のことを延々と話し始める、というのがよくあるパターンです。ダシにつかわれて、たいていは興味もなくおもしろくもない自慢話や説教を延々と聞かされる方はたまったものじゃありません。それが悪いと言っているわけじゃありません。現実社会の社交・交友の世界というのはそんなもんだ、というだけの話です。だから、このお父さんの場合も、現役時はかなりのエライさんだったのかな?なんて思ってしまいました。ふつう、なにか長く続けている趣味を持っている人、持っていた人はそうそうそのことを饒舌に話したりしないものだと思います。最近その趣味を始めて夢中になって手を広げている最中の人とかコレクション系のひととかは、話したがる傾向があるかな?いや、人に寄るのかな?そのあたりはわかりません。同じ趣味を持っている人たちの集まりに参加しても、自分は自分の作品や工作のことをうまく話すのは苦手です。間を持たせようと自分から話をするときも多いのですが、非常に気を使いますし、それなりに会話を成立させるにあたってかなりの苦痛を伴うので精神的に疲れます。こうしてブログでいろいろ書き綴るのは苦にならないのですけどねえ。どうしてでしょう?相手がいない独り言のようなものだから、なのかもしれません。だからほんとうは、人が会話をしている横にいて話を聞く方が好きですし、また、おもしろい話も聞けるものですから、そのほうが性に合っているのだと思います。同じ趣味のいろいろな人のサイトを見てまわるのも、楽しいものですね。ああ、こんなことをしているのか、こんなことを考えているのか、と、つぎつぎと時間を忘れて読みふけってしまいます。たまにはコメントを入れたりもするのですが、あとで、余計なこと、ふざけたことを書いちゃったなと反省することもしばしば。まあそれは、自分の至らぬ性癖のなせる業ですから、仕方ないとあきらめてます。しかし、最近、見て回るサイトが固定してきて新しい情報にふれることが少なくなってきました。これが老化とか衰退の始まりなのかもしれないと思うと、ちょっと怖くなってきています。何とかしなければ……でも、はて、なにをどこからどうやって始めたらよいのでしょう?……