"80's bike " vol.2

2011/03/06(日)10:19

1990年 Marlboro・ロバーツヤマハ #1 エディー・ローソン

WGP(11)

ヘンな時間にチョイ寝してしまい、昼間は時差ボケ・・仕事、事務作業はかどらず・・。 コラ、だめだ・・と再び昼寝。 やっと時差ボケから解消される。 夜は酒呑みながら、昔のライスポ、レーシングヒーローズ引っ張り出し読みふける。。 あれれ・・ヘンなイラスト出てきた(苦笑)。 レーシング・ヒーローズに昔、掲載されたヤツ。 俺、昔からローソン好きだったんだな。。 ホンダに移籍して4度目のタイトルを獲得したローソンがロバーツヤマハに電撃移籍。 雑誌”レーサーズ”のインタビューに記事によると1989年ホンダでタイトルを獲得したエディー・ローソンだったが、金銭面で折り合いがつかず、ヤマハに移籍したらしい。 ケニーのチームに前年ランキング1,2位のローソン、レイニーがマルボロカラーのYZR500で走る。 そら~~、俺に限らず・・ヤマハファンは小躍りしたモンです。 今の(2011年)レプソルホンダ3連星(ペドロサ・ストーナー・ドビィ)に繋がるモノがありますナ。。 しかし、1990年のエディー・ローソンは期待されたような活躍は出来なかった。 1990年開幕戦鈴鹿。 グランプリ2年目のマイケル・ドゥーハン、130Rの転倒にローソンは巻き添えを食らってしまう。 悪い事は続く・・  第2戦アメリカ予選ではブレーキ・トラブルで大クラッシュ、右脚かかと骨折、第7戦まで欠場。 復帰後は癒えぬ傷と闘いながら、チャンピオン争いをするチームメイト、ウェイン・レイニーのサポート役にまわります。 エディー・ローソンはこの年、ヤマハの開発スピードの遅さをボヤいています。 1989年のホンダNSR500がアーブと組んだエディーの加入によって、ガードナーいわく「ジャンク!」と言わしめた・・(大汗・・)前年の1988年NSR500と比べて、劇的進化を遂げました。 1988 NSR500 ワイン・ガードナー 1989 NSR500 エディー・ローソン それと比べてるとヤマハの開発スピードは・・・だったんでしょうか。。 特にエンジンの進化、ライバルとのトップスピードの差・・パワー不足が気になっていたみたいです。 今の(2011年)ロレンソも似たような事、ボヤいていますが、これは似たような結果になって欲しくないですね。。 雑誌”レーサーズ”のインタビュー記事でも金銭面の折り合いがつかず、ホンダを離れてしまった事について、現在、御本人は後悔しているようでした。 1991年、ローソンはヤマハを離れ、カジバに移籍します。 もし1990年、エディー・ローソンがホンダに残っていたら・・どうなっていたでしょうか・・。 想像すると結構違った未来になっていて・・想像の世界ですが・・これはこれで面白いですネ。 ビッグバンエンジンの導入が早くなったり・・サードライダー扱い(?)のドゥーハンの活躍の場がなくなっていたりして・・(??) ソラ、さすがにないかっ(笑)! そうそう・・1990年TECH21、タイラさんの8耐とかどうなっていたんでしょうか?? そこまでは想像出来ん! やっぱエディーは1990年、ヤマハに来てもらわな・・困るって感じデスな。。

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