朝は6時前に起床。
8時間快眠できました(^^)
レース会場に持って行く荷物を再点検してみると、やり残していた事が見付かり朝からドタバタ(><)
朝食にも出遅れてしまい、他のみんなが食事を終える頃にようやくテーブルに付く有様でした(^^;
昨日同様に小雨が降る中、7時過ぎの迎えのバスに乗って東呉大学へ向かいました。
会場に着くなりエイドの設置やボランティアの学生との打ち合わせ、着替えなどで大あらわ。

準備もそこそこの段階でキャンパス内の広場で開会式が始まりました。
いつも通り学長や来賓の方々の挨拶、選手の紹介など一通り終わるとすでにスタート3分前(^^;
もちろん9時のスタートに間に合うはずも無く、結局10分近く遅れてようやくレースがスタートしました。

まずは予想通りブラジルのNunesが積極的に飛び出し、ハンガリーのBogar、アメリカのScottが続く展開に。
私はいつも通り400mトラック1周2分のキロ5分ペースを心掛けましたが、小雨で少し肌寒いくらいの気象条件と、全体のハイペースに釣られて前半は少しペースが上がってしまったかもしれません。
1時間経過の時点でトップのNunesと5周差、Scottとも3周差付けられましたが、予想された展開だったので全く焦る事はありませんでした。
レース前から地元のメディアではNunes、Scott、Sekiyaの三つ巴の対戦のような事が書かれていたようですが、私としては「自分の走りができれば結果は付いてくる」と信じていたので、特に前半は誰とも勝負するつもりはありませんでした。

50kmの通過が4時間07分台。
いつもよりもやや早いペースになりましたが、この時点でNunesとは15周差以上。Scottとも7周差開けられたので自分のペースが早過ぎるという意識はありませんでした。
その後Scottとは7周の差を最大にして彼のペースが落ちてきたので、徐々に私との差が詰まってくる展開になり、100kmの通過は私のほうが先になりました。
100kmの通過が8時間18分台。
この時間になってもなおNunesの快走が続き、最大で20周も水を開けられる展開になりましたが私が2位で追走。そして女子トップの工藤さんが私と1周差で続き、Scottはやや厳しそうな状況でズルズルとペースを落としていきました。
スタートからずっと弱い雨が降り続いており、気温も上がらず、スピードが上がっている時は絶好のコンディションかもしれませんが、ペースが落ちてくると一気に身体が冷えてしまうので、長い時間走るウルトラマラソンにとっては決して良い気象条件ではなかったかもしれません。
その後10時間過ぎた辺りからNunesの脚も止まってしまい、11時間過ぎた時点でついに私がトップに躍り出ました。
Nunesは低体温症でドクター・ストップだったようで、その後病院に運ばれたようでした。
12時間の走行距離が144km。
ここまでちょうどキロ5分ペースでしたが、すでにペースは落ちていて、1周2分05秒前後の周回が続きました。
今回は勝負以前に私自身10年連続となる260km超えという目標があったので、そこを最終目標としてこの時点からペース配分を考えて無理に上げないように心掛けました。
しかし寒さのせいか、意識的にスピードを落とすと酷い睡魔にも襲われてしまい、何度かフラフラしながら歩きが入りましたが、その度に能渡喜美枝さんから「関家君しっかり」と檄を飛ばされ、何とか持ち直す事ができました。
大滝さんにも何周か引っ張ってもらい「若い時にバトルやっていたの思い出すねぇ」などと会話しながら気持ちを盛り立ててくれました。
17時間経過した辺りで胃がおかしくなり、吐き気ももよおしてきたので、ここで初めて胃薬を飲みましたが、すぐに効いたようで、何とか持ち直せました。
200kmの通過が17時間22分台。
Scottも17時間でリタイヤしてしまい、その後昨年2位だったオーストラリアのMartinにもドクター・ストップが掛かるなど、まさにサバイバル・レースの様相。
私も明け方まで睡魔との闘いでしたが、工藤さんが決して歩かずに頑張って走っていたので、その姿を見る度に俺も頑張らなきゃという気持ちになり気持ちを繋ぎとめられました。
残り4時間を切り、辺りが白みだすとようやく眠気からも解放され、いよいよ最後の追い込みに入り、キロ6分を切るペースが復活しました。
23時間の時点で253kmを超え、ここで初めて260km超えを確信しました。

残り20分を切ったところでついに260km通過。
ここで私は走るのを止めて歩き出し、スタッフやボランティアの方々、応援の観衆の方々全員とハイタッチを交わして喜びを分かち合い、ウィニングランを楽しみました。
最後は日の丸を背中に掲げてガッツポーズでフィニッシュ。
何物にも勝る至福の瞬間を迎えました。
