「診療室にきた赤ずきん~物語療法の世界」著:大平 健
精神科医が書いた本です。著者は患者の治療にあたり、患者が抱える問題を指摘する際に童話や昔話を用いるのだそうです。自分ではわからない問題点の理解に、その問題にぴったり合う童話があるとあれこれと理論的に説明されるよりも、患者は直感的に自分の問題を悟るのだとか。この本では、患者の悩みとそれに合う童話とを、いくつかの実例をあげながら説明しています。読んでいくと「なるほど~」と思うんですが、その童話の選択と解釈がやはり精神科医ならでは、という感じ。読んでいて感じるのは、お医者さんが書いているのに難しい表現などは一切なく、平易な言葉でわかりやすく書かれていること。優しい、暖かい人柄が感じられます。きっと、いいお医者さんなんだろうな。最後に「人には誰にでも『自分の物語』がある」と結んでいます。この場合の『自分の物語』が指すのは、それぞれの人生という意味ではありません。自分の人生の節目にぴったりと合うような童話・物語、象徴的で心に残り、時には自らをも導くようなお話がある、という意味です。人はそれに気付かないだけで、それに気付くことにより救われることもある、ということのようです。本の主題には関係のない部分的な箇所ですが、目に留まったのは一文がコレ。人は、人との葛藤を恐れていては、誰とも親密になることはできないということです。私の見るところ、親密さを犠牲にしても人との葛藤を避けようとする人が現在は多いようです。私が見る機会のある人間関係って、まあ会社内であることがほとんどなんですが、「先輩が後輩を指導する」というのは当たり前の考え方だと思うんですよね。でも、年々それができない人が増えているように感じています。相手に嫌われるのがイヤで、悪い点や失敗の指摘ができない。嫌いだから怒るのではなく、知識・技術などをきちんと身に着けてほしいから叱る、の違いが理解できていない。そういう人は叱られるのもヘタだし、本人が他を叱ることはもちろんできません。昔より最近の方がそういう人が増えたな、という印象。あちこちの掲示板を覗くのも好きですが、「親友に仲間はずれにされた」とか「友達がこんなひどい事をして迷惑している」というものをよく見かけます。読むたびに、「それって・・・・親友?」とか「・・・・友達じゃなくただの知り合いだよね」と心の中でツッコまずにはいられない。他人との距離感を捉えられず、また葛藤を恐れてその距離を縮めようという努力もしないのであれば人間的な未成熟は免れないのではないか、と思う今日この頃です。