「真田手毬唄」 米村 圭伍
2008年1月 新潮社より花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田が連れて、のきものいたり鹿児島へ・・・・。豊臣秀頼は大坂夏の陣を生き延びた!?不思議な手毬唄に導かれ、170年を股にかけた人探しの幕が開く。山間の隠し砦を座来るは真田大助、あの幸村が長男の七代目と称する男。そして砦に暮らすのは、なんと秀頼七代目。まさに奇想天外な大法螺話、米村マジックの真骨頂!『影法師夢幻』改題。(裏表紙 紹介文より)大坂夏の陣の直後、市中に不思議な手毬唄が流行した。「花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田が連れて、のきものいたり鹿児島へ」死んだ筈の豊臣秀頼が、真田幸村の息子・真田大助に連れられて逃げ延びているらしいという噂に、豊臣方の侍大将の魚名大五郎は一目見送りたいと兵庫港を目指す。落ち武者達も加わり小集団となった大五郎達を、徳川家康の命を受けた片倉小十郎が追う。片倉軍に追い付かれながらも、秀頼の船を見送った大五郎・・・・。そして170年後。7代目魚名大五郎は、先祖代々受け継がれた「秀頼様を捜すべし」という使命の下、全国を旅している・・・・という話。軽快なコメディタッチで進む話です。楽しく読めて、意外性もあっておもしろいです。以下、ネタバレとなりますので間を開けておきます。一章は魚名大五郎と大阪方の落ち武者達が、一目秀頼を見送ろうと兵庫港を目指します。でも、その手毬唄は真田幸村が最後に徳川家康を惑わすために、配下の忍びに命じて流させたただの噂。忍びのお才と佐助も魚名大五郎に同行していますが、2人はそれが事実ではなく幸村の命令に過ぎないと知っています。兵庫港間近で魚名大五郎達は片倉軍に追い付かれ、「秀頼様の出港をお守りしろ」と自分達が盾になって戦い、命を落として行きます。その戦いの最中、お才が兵庫港を出て行く一艘の船を見つけます。「秀頼様の船だよ!」涙ながらに叫ぶお才。一行は手毬唄を口ずさみながら討たれていくのです。船を見送り、死の覚悟を決めた魚名大五郎は、片倉小十郎の刀の下に首を差し伸べ最後に手毬唄を口にする。しかし唄が終わっても、片倉小十郎は主を思う志があっぱれである、と魚名大五郎を殺さないのです。結構感動して、涙ぐみそうだったんですが。ここから一転、170年後。代々の魚名大五郎は諸国を流浪して秀頼の子孫を探し続け、ついに秀頼の子孫が暮らす隠し砦を見つけるのです。そして7代目秀頼と共に、江戸を目指しての旅を始めるのですが。旅がいろいろと愉快なことになっていました。(^^;お才と名乗る忍びが同行していて、彼女に襲われて魚名大五郎は貞操の危機があったり。(笑)で、びっくりなどんでん返し。魚名大五郎と名乗っていたのは、実は徳川家臣の7代目・二里馬之介でした。初代・二里馬之介は、大阪夏の陣で本陣から逃げ出した徳川家康の馬印を持って家康を追いかけた功績により、家康に取り立てられ、鹿児島へ逃げたと噂の秀頼を探せという密命を受け、7代にに渡って探し続けていたのです。砦にいたのは真田大助の7代目と、それに守られた7代目秀頼。しかし7代目秀頼を名乗っていたのは、実は秀頼の影武者であった魚名大五郎でした。秀頼は3代目で亡くなっていたのです。江戸に行った秀頼(魚名大五郎)は徳川将軍に会い、その事実を明らかにし、秀頼ではないので処刑の必要もないとのことで、そのまま放免されます。将軍としては、仮にこれが本物の秀頼であったとしても今は徳川の時代、今更、秀頼を立てて反抗する大名などいはしないのだから捨て置け、というわけ。しかし二里馬之介は「我々はたばかられた。あれは本当は影武者の魚名大五郎ではなく本当は秀頼だったのだ」と追いかけていくところで終わります。日本は判官贔屓なので、源義経や真田幸村など『英雄は生きている』という伝説が好きで、そう思った方がおもしろいから、というのがこの話の根底にあるそうです。7代にわたって秀頼(と真田幸村の影)を追い続けた二里馬之介にとってはもう生き甲斐であるんだろうなあと、最後にじんわりくる終わり方でした。