小田原 日帰り旅行
土曜日に、小田原へ日帰りで旅行に行ってきました。あいにくと曇り空で冬のような寒い日でしたが、桜は満開でどこへ行っても綺麗でした。ロマンスカーに初めて乗りました。というか私鉄の特急に初めて乗ったんですよね。席は通路の両側に2席ずつで、前後の距離も広く取ってあってゆったり快適。車椅子で入れそうな広くてきれいなトイレがあり、しかもドアはボタン式の自動ドア。ドアの内側に鍵があって何気なく手を伸ばしたら、締まりかけのドアが開き始めてビックリ。「ドアが完全に閉まらない内に鍵に手を近づけるとドアが開いてしまいます。 完全に閉まってから鍵をかけてください」とラベルライターで作った注意書きが貼ってあって、これ、私以外にも大勢の人が開けてるんだろうなと思いました。(^_^;小田原到着は11時頃。駅にボランティアの観光ガイドの方がいて、小田原城の二の丸広場でかまぼこ桜まつりを開催中と教えてくれました。あと200円で何度も乗車可能な小田原宿観光回遊バスというのがあるそうです。あちこち歩いて見て回りたかったから、乗ってないけど。行きたい場所がはっきりしていたら便利かもですね。小田原城へ向かいました。駅前の横断幕に、「←正規登城ルート」「お堀端散策ルート→」とあってやっぱ登城せねば、と思ってそちらに。(笑)お堀端は桜並木でした。二の丸広場に入れる赤い橋がかかっていますが、ちゃんと登城したかったのでここは行き過ぎて馬出門(うまだしもん。平成21年復元)へ。馬出門から振り返るお堀と桜並木。馬屋曲輪(うまやくるわ)は馬屋跡が残るL字形の広場。ここでサビ猫を見かけました♪馬屋曲輪から掘を渡って中へ。銅門を見上げる正方形の狭いスペースです。これも枡形って言うのかな?そこから馬屋曲輪を振り返るような形の写真です。塀に狭間(さま)があったり、そこへ上る石階段があったりして、ちょっとときめく。(*^_^*)進行方向に向き直って、二の丸の表門である銅門(あかがねもん。平成9年復元)扉の飾り金具に銅を使用しているのが名前の由来だそうです。二の丸広場を右に眺めて進むと、天然記念物のイヌマキが。常盤木門(ときわぎもん。昭和46年復興)本丸の正門で、最も大きく堅固に作られていたそうです。名前の由来は、門の側にあった巨松(おおまつ)から。本丸広場から見上げる天守閣明治3年に廃城となり売却・解体された後、昭和2年に城址が地元自治体に払い下げられ、昭和35年に天守閣が復興されたそうです。3重4階の天守で、内部は資料館。最上階は展望台になっていて、相模湾や小田原城下が見渡せます。内部は撮影禁止なので取れなかったけど、2階から見下ろした時に石垣上の人が入れない草むらで猫が2匹寄り添って寝ているのが見えました♪小田原城を見終わったら、そろそろ2時。駅からの道で蕎麦屋が多かったので、蕎麦がおいしいのだろうと思ってボランティアガイドにおいしい蕎麦屋を聞いてみました。田毎(たごと)という二の丸広場前の赤い橋近くの蕎麦屋を教えてくれました。うん、おいしかった。私は田毎(おろしとすりごまの冷やし蕎麦)、家族はおろしえび天蕎麦(温)。特に田毎。さすが店名をうたうだけあって、胡麻の風味が蕎麦の味を引き立てていました。そして写真はない。お腹空いて食べることに夢中になって撮り忘れって得意。(^_^;食後は小田原城下の散策へ。田毎の前の道を東へ進んで大手門跡。鐘楼になっていました。松原神社へ向かいます。神社の裏手から本殿の背中が見えるんですが、下を店とかガレージとか普通に使っているのが面白い。神社の表に向かう途中で見かけた猫松原神社正面りっぱな神社です。本殿の背後、下に店が並んでいるとはかけらも窺わせません。小田原宿なりわい交流館昭和7年に建設された網問屋を再整備し、市民や観光客の休憩所として解放しているらしいです。海に近いお寺が並んでいる路地を抜けて、西海子小路(さいかちこうじ)へ。道路両側に並ぶ桜がトンネルを作っていて、とても綺麗。江戸自体後期には中堅藩士の住む武家屋敷だった辺りだそうです。今は大きな邸宅が並ぶ閑静な住宅街でした。菅原道真を祭る山角天神社(やまかくてんじんじゃ)この階段を上り、境内を裏手に抜けさせてもらいました。神社裏の急坂を上ると、小田原高校。高校に沿って一気に坂道を下ると、小田原城へ戻ってきます。・・・・この高校の子は、校内でもアップダウン激しくて大変そう。小田原城から駅へと向かいます。この頃には3時半くらいになっていて、もうヘトヘト。本舗ういろうで休憩。この店、中国で役1000年、日本で600数十年続く由緒正しい家です。初代・陳延祐(ちんえんゆう)は元に仕えていましたが、元の滅亡と共に日本に帰化。中国での役職命「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」をとって、外郎(ういろう)と名乗りました。延祐の持参した家伝の薬「霊宝丹(れっぽうたん)」は朝廷に珍重され、薬のういろうとなりました。今でも製法は小田原の外郎家が一子相伝で伝えているそうです。一方、お菓子のういろうは、二代目・宗奇(そうき)が朝廷で外国使節の接待のために考案したもの。1949年に5代目・外郎宇野藤右衛門定治(ういろう うのとうえもん さだはる)が朝廷との外交役として北条早雲に招かれて小田原へ。その後、京都の外郎家は室町幕府と共に兵火にかかって絶家、仕えていた菓子職人達によって、ういろうの製法が全国に広まったらしいです。現在の当主は、24代目・外郎藤右衛門康延祐(やすむら)さんという方らしい。すごーい。ちなみに私達が入ったのは駅近くですが、本店は小田原城の南の方国道1号線沿いにあるようです。こんな由緒正しい店で、お抹茶と生菓子のセットをいただきました。私のはこれ。家族のはこれ。桜の花びらを重ねたような皮がういろうでできているそうです。お土産を買って帰宅。小田原と言えばかまぼこ、かまぼこと言えば鈴廣というイメージですが、小田原にはかまぼこ屋さんは13店もあったのです。本店はほとんど国道1号線の方にあるみたいですが、駅近くに支店が出ていたりも。更には、小田原駅構内の改札前のお土産屋さんに、かなりの店が出品しています。買ったのは左から、 外郎家の「栗ういろう」 鈴廣のかまぼこ「菜の花」 鈴松蒲鉾店の「小田原焼き」 籠清の「花かまぼこ」と「柚子伊達巻き」菜の花と花かまぼこと柚子伊達巻きを切ってみました。菜の花は大根、カブ、白菜などの菜花を練り込んだもの。ほろ苦さがすごくおいしくてビールに合います。花かまぼこは特に味に特徴はないけど、弾力があってぷりぷり。柚子伊達巻き、これはもう和菓子ですね。お正月に食べる伊達巻きより甘みが強くて、これに柚子がよく合って甘党にはたまらんおいしさでした。小田原焼きはまだ食べてませんが、小田原蒲鉾のすり身と卵とクリームチーズをブレンドした蒲鉾屋さんの焼き菓子だそうです。本当に楽しい小旅行でした。お城とか神社の階段とか坂とかアップダウンの多いルートを歩き回ったからちょっと筋肉痛の気配ですけど。(^_^;小田原は猫も多くて、写真撮れなかった子も含めて6匹に遭遇。楽しかった~♪私鉄の特急で行く旅行って、楽で快適でクセになりそう。