らくがんの休日

2012/06/18(月)17:05

「アレキサンダー大王 陽炎の帝国」 ニコラス・ニカストロ

読んだ本(459)

訳:楡井 浩一 2005年2月 清流出版より ネタバレとなりますのでご注意ください。 ようやく小説のアレキサンダーです。 ただ、構造が変わっていて最初意味が良くわからなかった。 時代はアレキサンダーの死後、アテナイの裁判が舞台です。 アレキサンダーへの不敬罪に問われた被告と原告が互いに証言しあって、 その証言により、神格化されたアレキサンダーと人間アレキサンダーの双方を描き出す、 というスタイル。 そういう書き方なんだと気付くまで、何で裁判の話なんだろう?とずっと思ってました。 原告はアイスキネスという裁判の専門家で、マケドニア人と通じている様子が見受けられます。 神としてのアレキサンダーの逸話について語り、被告がアレキサンダーを貶め、害しようとした と訴えます。 被告はマコンというアテナイ人。 カイロネイアの戦いに参加し、戦争の記録を執筆しようとしていたところをアレキサンダーに 見出され、記録者としてその後の戦争への同行を求められます。 同行者として、人間アレクサンダーの姿を語ります。 カイロネイアの戦いというのは、紀元前338年、アレクサンダーが父・フィリッポス2世に従い 一軍の将としてギリシア地方に出兵した戦い(これが初陣)です。 この戦いでマケドニアはアテナイ・テーバイ連合軍を破り、ギリシア諸ポリスにコリント同盟を 締結させて全ギリシアの覇権を握りました。 その後フィリッポス2世は暗殺され、アレクサンダーがペルシア東征計画を引き継ぎました。 スートリーの展開は、マコンの話が中心。 どこまでが創作かはよくわからないですが、いろいろ面白かったです。 エジプトへ上陸の際に、アレキサンダーが船の舳先から槍を投げ、 その槍がエジプトの地に突き立つ。 アレキサンダーは船を下り、槍を高く掲げエジプト上陸を宣言する・・・というシーン。 槍はうまく刺さったんですが、アレキサンダーは波に足を取られて転びずぶ濡れに。 仕方ないので、船に上がって体を乾かし、槍を投げる所からやり直すんですが、 今度は槍がうまく刺さらない。 何度かやり直して、ようやく成功させた、とか。 後世に伝説として残すためにマコン達記録者(複数いた)の目を意識してのことだけど、 マコン的にはちょっといたたまれなかったとか。 他にも、ゴルディオスの結び目の伝説とか。 Wikiによると、ペルシア領であるリュディアの州都ゴルディオンを占領した時、 町の中心にあるゼウス神殿に一台の古い戦車が祀られていた。 その戦車は『ゴルディオスの結び目』と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられており、 「この結び目を解いたものがアジアの支配者になる」という伝説が伝えられていた。 その伝説を耳にしたアレクサンドロスは腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断し、 「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものである」と 兵たちに宣言した、とのこと。 この本では、アレキサンダーが結び目を一生懸命解こうとしたが解けず、 剣で切ろうとしてもなかなか切れず、汗みどろになりながら何度も何度も切りつけて ようやく最後に結び目が切れた、となっていました。 王の取り巻きが、マコンに向けて「さすがは王。アジアの支配者にふさわしい」と 暗に「成功したよな?」とプレッシャーをかけてくるのへ、マコンが無言だったから 恨みを買ったらしい。 あとアレキサンダーは同性愛者だったとか。 一緒遠征に行っている仲間のヘパイステイオンは、アレキサンダー本人と同一であるとまで 言っていました。 でもどういうわけか、ヘパイステイオンは他の仲間達に嫌われていたみたいですが。 戦力的には弱かったからかな? 他にも、ダレイオスのお気に入りだった宦官・バゴアスも連れ歩いていました。 バゴアスは何かおねだりをする時には、「だってダレイオス王はしてくれたもん」と言えば 何でも叶ったらしいですよ。(笑) でも妻は複数いました。 政略的に必要なので、一夫多妻だったみたいです。 マコンはアレキサンダーを嫌いではないのです。 むしろ好意的に思っていて、かといっておべっかも言わないし、正直に振る舞うので アレキサンダーもマコンを友人のように扱っていて、いい関係。 だからこそ、作られたアレキサンダー伝説に素直に同意できないみたいでした。 ペルシアを制し(ダレイオス王は倒していない。アレキサンダーが戦いに勝利してペルシアの 地を征服したため、ダレイオスは味方により暗殺された)、各地で勝利を収めながら、 アレキサンダー軍はインドを目指します。 しかし、だんだんマケドニア軍の将軍達との間に溝ができてきます。 征服したペルシア人達をアレキサンダーは自軍に組み込んでいったわけですが、 ペルシア人とマケドニア人では王に対する考え方が違う。 ペルシア人達はダレイオス王を地上の神として捉えており、 王族が身に着けるのは絹と貴金属のみ、王の面前では平伏して頭を地にすりつける、 身分の低い者は王に目を向けてはいけないし、呼気が王を汚すので両手で口を隠す といった態度でした。 アレクサンダーが王になったからには、王に対して臣民は当然その態度であるべきという考え。 しかしマケドニア軍人達(特に王の周囲の将軍達)にとっては、共に戦う同士であり 戦友であり、仲間なのです。 一緒に酒を飲み、背を叩いて笑い合う仲間。 それはペルシア人から見ると不敬であり、あり得ない関係。 両者の不和が高まるにつれ、アレキサンダーはペルシア寄りに動きます。 その象徴となったのが『跪拝の礼』。 王の前に出たら跪き、礼を取るというもの。 ペルシア人は喜びますが、アレキサンダー周囲のマケドニア人は反発。 その中でも特にクレイトスは、フィリッポス2世の時代から仕えていた人なので強く反発。 ある時、酒席で酔っ払ってクレイトスが暴言、アレキサンダーとつかみ合いの喧嘩の挙げ句、 アレキサンダーの同性愛趣味を馬鹿にしたので、カッとなったアレクサンダーが槍を投げたら 胸に当たって死んでしまったのでした。 アレキサンダーは嘆き悲しんで、このまま立ち直れないのではないかと周囲は心配。 マコンはアレキサンダーを救うために 「クレイトス殺害は友を殺した殺人者ではなく、王として正当な行動であった」 と説得します。 アレキサンダーは立ち直りますが、王の人柄は変わった、新たな残忍性を身に着けたようだと マコンは見ています。  死なせないため王の神性を信じ込ませる手助けをしたが、結果、  王は半狂乱で神の威光をふりかざす人物になった。  臣下ばかりか他国の王や首長もひれ伏せさせたいと願うようになった。  このままいけば、どれほどの暴君になるだろう。  アテナイの自由民が跪拝の礼を取るだろうか? と危惧していました。 そんな状況の中、インド王ポロスを破った後、兵達の要求により、 アレキサンダーは遠征をやめて引き返すことに。 遠征を続けて欲しかった人達も多かったようです。 プトレマイオス、ペルディカス、クラテロスなど配下の将軍達ですが、 アレキサンダーに遠征で華々しく散ってもらって、その地位を得たかったみたい。 マコンは、前述のアレキサンダーがアテナイに戻っても受け入れられまいという危惧から 遠征を続けて欲しかったみたい。 帰還後、バビロニアにいたアレクサンダーは急逝します。 前に見た本では熱病による病死となっていましたが、暗殺説も当然あるようです。 この本では、王妃ロクサネによる暗殺としていました。 ロクサネはアレキサンダーにあまり顧みられることがないのを恨んでいたと描かれていました。 結局、裁判でマコンは無罪となります。 人間アレキサンダーの姿が、アテナイ人達に受け入れられ、マコンの言動は不敬でもなく、 祖国(アテナイ)に対する裏切りではないと判定されたわけです。 傍聴していたマケドニア人達の指示により、マコンは命を狙われたみたいですが、 彼等が踏み込んだ時にはもうマコンは逃走した後、という最後で終わりました。 なんか、その部分はどうでもよかった感じ。 裁判中のマコンの語りは面白かったけど。 小説としては面白かったです。 元となる伝説・エピソードを知っていたらもっと面白かったかもしれませんね。

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