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テーマ:たわごと(26609)
カテゴリ:音楽の話
電報がなくなる日は来るのか?
吹奏楽に関わってると、コンサートで「祝電・花束の披露」なんてことがあるから、電報はそれほど縁遠いものじゃないけどねぇ…。 まぁ、総務省の「国民の必要最低限の通信手段」とする見解がある限りは電報はなくならないだろうけど、もしなくなったら演奏会の風景がちょっとだけ変わる、かな? 総務省によると「国民の必要最低限の通信手段」とはわかりやすく言えば電話やFAX、パソコンなど通信に必要なものを何も持っていなくとも配達できる場所さえあれば情報を受け取ることができる、ということのよう。 ちなみに、受け取る場合は国内どこにいても受け取れるが、送る場合は「国民の必要最低限の通信手段」といってもちょっと制限がある。公衆電話から電報を申し込む場合にはクレジットカードでの支払いしか受け付けてもらえない。テレフォンカードや通話料金で払えないのが残念。 (上記リンクの記事より抜粋) …公衆電話が使えるんなら、それで相手に連絡が取れるのではないかと思うのだが(電報に連絡先が書いてあればだが)。 10円玉1枚あれば、106でコレクトコールが使えるんだし(通話が終わったらその10円玉は戻ってくる。)。 大崎善生の「将棋の子」を読んで、久しぶりに公衆電話からのコレクトコールという存在を思い出した。 ![]() ただ、携帯電話がこれだけ普及した現在、公衆電話の存在価値は昔に比べたら小さなものになっているのかもしれない。かなりの山奥にある集落でもアンテナが3本が平気で立っている時代である。 しかし、誰もが携帯電話を持つことができるわけではない、と言うことを忘れてはならないだろう。通話料・基本料を払う最低限の収入がない人も日本には間違いなくいるのだ。 「国民の必要最低限の通信手段」、言い換えれば「ユニバーサルサービス」を維持するために、やはり公衆電話はまだ必要なのだろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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