カテゴリ:投資
仕事がわんさかあるのだが、ちょうど谷間ができたので今日は「ええい!」と会社を休んでいる。
昨晩、痛飲したこともあり、朝から惰眠をむさぼる。たくさん呑んだあと、ぐっすり眠ると大変気持ちいいのだ。 目をつむったままお布団でごろごろしていると、手の先に何かが当たった。 「ん?」 見ると、愛鳥「ごましお」が布団の上でぴょこぴょこ跳ねている。 文鳥は脚が2本あるけれど、交互に脚を出すではなく、同時にジャンプして歩行する。つまり、ごましおはシーツの上でお散歩していたようなのである。 「布団の上には乗ってはいけない」と教育していたのに、鳥頭なのか、調子こいているのか、また忘れてしまったらしい。 「こら、ごましお、お布団の上はダメ」というと、ピピピと啼きながら籠に戻る。でも、10分くらい経つとまた籠から出てきて布団の上に乗る。これが3回くらい続いて、私の身体は起きてしまった。 目覚ましの役割をしてくれたのかな。。 というわけで、今日は前場から株式を見ている。 たまにはこういうのもいい。ただ、専業投資家さんって、毎日これをやっているわけで、大変だなと思う。 毎日相場をこうやって監視することは私にとってつらいこと。決してできない。 17年間、仕事の合間に株式運用をして気づいたことは、人間の器以上の金は持てない、ということ。己の器量以上にたまに儲かることもあるけれど、砂の城のようにすぐに崩れて手からこぼれてしまったり、急な出費が出たりする。 一所懸命やっても、手に入ったものがキープできないのである。 あるとき、なぜそうなのかを考えてみた。 それは「自分という人間の器」があって、それ以上お金が舞い込んでも、元に戻ろうという復元力が世の中にあるのではないかと思った。それを人は「運命」とか「宿命」と呼ぶのかもしれない。 また、投資家で〇億円資産がありますと申告しつつも、普通の人よりもさみしい生活をしている人もいる。そういう人をみると、ああ、お金の奴隷なんだなと思う。主人が自分ではなくて、お金が主人。お金に振り回されているわけで、これは自分の人生を生きていないなぁと感じる。自分の人生のためにお金を使いこなせないわけで、それも器量の問題にかかわってくる。 株式投資をしていると、人間なるものが見えてきて面白いなぁと思う。 さて、私の器量は…(笑) 閑話休題。 もう少しお金が増えたら、「ごましお」にちょっとリッチな家(籠)と餌を買ってあげるつもり。 そう、私の場合、主人が「ごましお」なんである。ごましおに振り回される人生。悪くないんだ、これが(^^) <お酒メモ> 3月23日木曜日 キリンフローズンビール 1つ シャルドネワイン 白 オーストラリア グラスで3つ 亀齢 無濾過生原酒 1合半 蒼空 美山錦 あけたて 2合 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年03月24日 12時16分47秒
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