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母の日に何もしてやれないので、とりあえず母に電話した。
「10万円の給付金が足りないから、もう少し給付してほしいの」とせがまれる。だいぶ前から私は両親兄弟家族の「お財布」なのだが、こうあからさまだと、もう仕方ないなぁと思う。 みんないい年齢だから、言っても直らないからだ。人間は変わらない。年を重ねるほど変われない。 GW明けから政府の10万円の給付手続きが本格化した。窓口に人が殺到し、なかには6時間待ちというニュースもあり、「だから3密の定義とか場所ってどこなのよ」とツッコミたくなる今日この頃である。 いの一番にマイナンバーカードなどで「申請しました!」という態度も立派だと思うが、金がある人はゆっくり順番を待っていればいいと思う。 億り人とかで「早くも10万円ゲットして、株に突っ込んで回転率を上げます。利金を増やします」ということに血眼になっていることを祈る。 スマートじゃないかもしれないが、役所の窓口に行くしか手段のない困っている人から給付されるといいと思っているので、(もはや不要不急のマスクと一緒で)のんびり申請のお便りを待ちたい。 ところで、以前、経済政策には金利などをいじる「金融政策」と、公共事業などの「財政政策」の2つがあると書いたが、今回の10万円の給付金は久しぶりに「財政政策」の範疇に入るやり方だ。しかも大衆の目にはもっとも理解しやすい方法である。企業や自営業といった法人や既存の法律スキームを介するやり方ではなく、直接国民に対する政策だからだ。 「わかりにくいけど対応はやってるよ」では、大衆の心は動かせない。たまには卑近、つまりベタな方法でわざわざ提示していかなければ、民主主義下での権力の維持は難しいのである。 母親が言う。「もう10万円くらいくれないかしら?スーパーとか行ってもモノの値段がすごく高くて、相変わらずすっからかんになってる棚も多いの」 でもね、という。「お母さんはね、ずっと前から金融政策で10万円以上の恩恵を受けてたんだよ」 理屈だけで言えば、金融政策は市中のお金をじゃぶじゃぶにしたり金利をいじる作業である。ものすごく単純にかつ悪く言えば、基本、「借りる」人と、投資している人がまず恩恵を受ける政策だということだ。 母の資産で株を10年以上前から運用しているが、結構な利回りというか、何倍にもなっている。年に受け取る配当金も年金に比べて少なくない額である。彼女は昔から政府の政策で国民の平均以上のお金を得ていたというわけだ。 これに対して財政政策は事業を増やして、最終的には雇用や需要を増やすことで景気浮揚を狙う。乱暴にいうと金融政策は「カネ」を刺激するものであり、財政政策は「人」を刺激する側面が強いように思う。 これまでは「カネいじり」が日本の政策の中心だった。それは財務省が財政政策、とりわけ財政出動を嫌がっていたから、政治は「カネ」のほうしかいじることができなかったわけである。 でも、それがコロナでなし崩しになってしまい、久々にやった「財政出動」は、結果的に今までやってきた金融政策に比べて安い金額で、国民を大いに刺激した。しかも生活困窮者に30万円ではなく一律10万円。これほど「見た目に公平」な財政政策があるだろうか。 下手にカネをケチろうとしたことで、公明党を怒らせ、最終的に10万円案を呑み込んだ財務省を見て「あーこれはやっちゃったな」と私は思った。「無知だからうまく掠め取ればいい」と財務省が思い、カモにしていた国民を起こしてしまったからである。パンドラの箱は開かれたのだ。 平成時代、いや失われた30年+αがやっと動き出す。動く矛先がいいか悪いかはわからないけれど、こういう時代に生まれてきたことが嬉しい。珍しい体験ができるからである。 そういう意味で、おりしもコロナは共産主義の中国産だから、革命ウイルスだと言っても過言ではない。人間の身体に作用して、人を死に至らしめるよりも、人間そのものの生活や経済に刺激を与えるのだから、感染症ではなく、これは社会的ウイルスという側面が強いように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月12日 16時13分47秒
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