カテゴリ:その他
夕方、連絡が入って、人に会うことになった。急だったので、駅まで急いで走る。身体が変に軽くて、上り坂も走っていると、坂の上に来たところで白い月がぽっかり浮かんでいた。
三日月。 突然、その白い月が「にっ」と笑った時の能面のように見えた。そこに血をぽたぽたと垂らしたら、どっかの美術手帳に載っていそうなアートみたいだな、と思った。 ハッとした光景に出会うと、現実と妄想の間で、一枚のカンバスに何かが描かれる。小さい頃美術館に通い過ぎたせいかもしれない。 待ち合わせ場所に着き、誘ってくれた人と一緒とギャラリーに足を運ぶ。マンションの一室にある秘密の写真アトリエ。有名な写真家さんの作品だけが飾ってあるところだった。裸の人形、花。ベランダから見た空の写真に陶器の象…暗いアトリエは自分たち以外誰もおらず、しんとしていた。 「雅さんはどれが好き?」「私はこれ」。そう言って、モノクロの作品を指さした。 ビルの屋上に放置された怪獣のソフビ人形や壊れたおもちゃの中央に、着物を着たまだ小さい男女の人形が天を向いたまま寝そべっている。男の子の左手と女の子の右手はかすかに、重なっている。 釘付けになって、そこから離れられない。この男女の人形は、私よりもずっと生々しくて、しっかりと生きているように感じられた。 生の躍動、性の情動。ただ手が重なり合っているだけなのに。 曲がった私の人差し指が示したその写真は、私の折れた指と良く似合っていた。歪んでいるからこそ理解し合えることが、ある。 「僕はこれが好きかな」と言って、友人はまた別のモノクロの写真を指差した。同じベランダで撮影したもののようだったが、そこにはマネキンやこわれた能面もうつっていた。 ふと、さっき走っていた時に見た白い三日月を思い出した。 「あの能面、どんな表情に見えますか。笑ってる?泣いている?それとも違う表情?」。私は聴いた。 「うーん、泣いているのかな」 「私は、笑っているように見える」 能面は角度だったり光の加減で、いろんな表情になる。見ている人の精神状態でも、それは変わる。 時間はもう流れないから安心だ、苦しまなくていい、と言わんばかりに、写真の中の能面は優しく笑っているように私には見えた。そうして頭の中で能面は次第に縮んでいって、口角だけになり、あの白い三日月に戻っていった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月11日 18時11分38秒
コメント(0) | コメントを書く
[その他] カテゴリの最新記事
|
|