生きる
クラスメイトが自ら命を断ったのは 17歳のときだった。もう、16年も前のことだ。彼女は先生と恋をしていた。家庭科の時間に「家族計画」について将来の自分の家庭を描く という授業があった。輝く笑顔で「早く、彼と結婚したいです!」と、彼女は言っていた。田舎で、手をつないで帰るだけで、話題になるような高校だった。相思相愛の恋愛なんて、ボケーッとしてた私から見れば当時は遠い夢のような代物で。私達は、髪型や身長が少し似てて後姿を間違えられることがあった。”見た目ちょっと似てても、えらい違いやなぁ”なんて、呑気に感心していたものだった。彼女が逝ってしまったのはそれからわずか数ヵ月後の肌寒い秋の終わりだった。彼と結ばれない将来を嘆いてのことだった。命を断つほどの彼女の苦しみは如何ばかりかお葬式での、そしてその後の、周りの慟哭は深く今でも、送り出した日の皆の泣き声を思い出す。今、クラスメイトと会っても、私達は直接的にその話をすることはない。忘れてしまったのでは、ない。昔話をするとき、何かの拍子に、皆沈黙する。当時結婚差別と、一部の団体やマスコミが騒いだ。その記事を、読み、私達は一部の事実を知った。結婚に絶望した。教師が嫌いになった。セックスに嫌悪感を覚えた。頭では、それらが悪いのではない、とわかってる。それらを憎んでも、彼女も帰ってこない、どうにもならないともわかってる。それでも、当時の私にはその事実は重たすぎた。重たすぎて、誰にもこの気持ちを話したこともない。本当に受け入れられるようになるまでに、10年以上かかった。今も、全て受け止められてはいないかもしれない。でも、沢山の人に助けられ、教えてもらいながら、生きてる。世の中には、生きるには重たすぎる残酷なことがあるのかもしれない。苦しむ人を前に、死を選ぶことが卑怯だとは言えない自分もいる。それでも、周りの人には 「生きていてくれて、ありがとう」 って思う。私は彼女を忘れない。そして、今日も生きるよ。