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夏がもうすぐ終わる。まだまだ30度を超える日は続くと思うが、9月に入ればすとーんと落ち着いて、しのぎやすい日が多くなってくるだろう。
今年はついぞ西瓜を食べなかった。桃は姑が九州から送ってきてくれたのを食べたきりだ。夏野菜は好んで食べるが、夏の旬の果物には、私はあまり触手が動かない。 夏の思い出と言えばやはり夫にプロポーズされたのが今のところ一番の思い出だが、小さい頃の事を思い返してみれば、やはり花火。それも家族で隅田川の花火大会を観た事が一番の思い出だ。 うちの父は子煩悩で、今思えば休みの日には寝ていたかっただろうに、私達兄弟を海や遊園地に連れて行ってくれた。それはもちろん楽しい思い出だったが、隅田川の花火大会見物は我が家の別格の恒例行事となっており、やはり一番思い入れがある。 昔、我が家は3階建てだった。近所の家もまだまだビルは少なく、打ち上げ会場の方面にもオフィスビルやマンションは建っていなかった。 屋上にリールで電気をひき、父がTVを持って来る。 母は枝豆やら焼き鳥やらとうもろこし、、、つまみや私達のおかずになるものを並べる。 私はフルーチェやゼリーなど、手軽にできるデザート作りが担当だった。 そろそろ始まる時間になると、同じ様に屋上に上がれる造りになっている家(提灯をぶら下げている本格的な家もあった)から、にぎやかな声が聞こえて来た。 ヒュー~~!ドドーン!! テレビの音と少しずれて、花火の爆音が聞こえて来る。2つの会場の花火、どちらも楽しめ、家族でわいわいとつまみをつっつく。ベラベラと喋るでもなく、かと言って黙々と食べ、じーっと花火を観る、という訳でもない。花火の音。花火以外のTV番組を見ている周りの家から聞こえて来る話し声。遠くで聞こえる「たまや~!」「かぎや~!」。心地よい喧噪。そこはいつもの屋上とはまるっきり違う空間だった。 * * * * * * * * * * * * * バブルよりもかなり前に、花火大会の会場と我が家とを結ぶ線上に、大きなビルが建った。 その頃から7つ違いの姉が、家族での行事に参加する事を渋る様になった。 父と母と私。最後に屋上に食べ物を持ち込み、花火を観たのはこの3人だけだった。 もう花火も完全に見えなくなった。 ビルがどんどん建ち並び、街並みもすっかり変わってしまった。 私達家族の楽しみにしていた恒例行事は、あえなく終了となった。 今思い返せば、こと我が家の花火に関して言えば、バブルが到来して良かったのだと思う。 いつまでも周りにビルが少なく、花火を観られる環境だったら、参加する家族が1人減り、2人減り、、、という状況に耐えられなかっただろう。(ちなみに、父母私の3人で観たのは最後の1回きりだ) * * * * * * * * * * * * * 今現在、我が家の花火事情はどうなっているかと言うと、実家は建て直し、一応○階建てのビルの体裁を取る様になった。隅田川の花火大会会場方面にはこれでもか!とビルが建っているため音しか聞こえないが、別の方角で行われる東京湾大華火祭は上の方が分度器型に見え、それなりにきれいな花火を楽しめる。 この夜は、両親は早めに夕飯を済ませ、屋上で花火デートを楽しむ。 ・・・・・・。私は昔、お邪魔虫だったのか?! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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