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らくてんオヤジの世相手帳

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書籍

2008.03.20
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カテゴリ:書籍
どんなに面白かった本でも「また読みたい」と思うことは、私の場合とても少ないです。

仕事関係を除くと、鴎外、芥川などごく一部の文学作品、一部の手帳関連本、小室直樹さんの啓蒙書くらいです。

ただし、例外があって、藤沢周平さんの作品だけは、どれも再読したくなりました。
「三屋清佐衛門残日録」は五度、「用心棒日月抄」は三度など、よく読み返しました。

司馬遼太郎さんの小説は、面白くて、ためになって、資料的価値があって、と実にすばらしいんですが、再読したのは、今二度目を読んでいる「竜馬がゆく」が初めてです。

未読の傑作がたくさん残っているということもありますが、情よりも知が勝っている作風のせいではないかと、私は考えています。

しかし、この「竜馬がゆく」は、最初に読んだときから、いずれもう一度読もうと思っていました。
とにかく面白い。文庫本で八冊もあるのに、長さが全然気になりません。

登場人物が実に魅力的に描かれています。この一事でも、司馬さんが並みの作家でないことがわかります。
小説に登場する歴史上の偉人達を、その偉大さ、非凡さと同時に、等身大の生身の人間としての様子も、過不足なく描いています。

坂本竜馬という人は、姉さんっ子で、大きくなっても寝小便たれだったのに、江戸に出て、江戸きっての剣士になりました。しかし、一方その剣名にこだわることなく、船や国際法に熱中しました。そして、勝海舟の引立てのもと、犬猿の仲だった薩摩と長州の間を取り持ち、手を握らせて明治維新への筋道をつけました。しかし、本人は新政府に入る欲をまったくもたず、船乗りとして海援隊の育成に努めましたが、30代前半の若さで切り殺されました。

10数年前、銀座へ司馬遼太郎展を見に行った時、坂本竜馬の自筆の手紙の実物を見たことがあります。
最愛の姉に宛てたその手紙は、文面の合間に、風景の絵まで描かれており、朱墨までまじえていました。
ビジュアルでカラフル。
そして、のびやかな字で「エヘンと思い候」などと綴られていました。
司馬さんの描く、おおらかな竜馬そのままだな---
そう感じました。

この作品を読めば、だれでも坂本竜馬が大好きになるでしょう。


竜馬がゆく(1)新装版






Last updated  2008.03.20 13:46:17
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2008.01.18
カテゴリ:書籍
先週、楽天ブックスで注文した二種類の聖書がさっそく届きました。
英和対訳版と文語訳版です。
特に文語訳版は以前から欲しいと思っていたものです。
どちらも同じような装丁の、淡い穏やかな色彩の、どちらかというと、かわいい感じのする、小形の本です。
手に取ってみると、意外に軽いのに驚きます。

英和対訳版は、目次からして、びっくりです。

「マタイによる福音書」は、単に「Matthew」。
「マルコによる福音書」は、単に「Mark」。
「ルカによる福音書」は、単に「Luke」。
「ヨハネによる福音書」は、単に「John」。

一方、文語訳も、評判通りの格調の高さです。
「マタイ傳福音書」の中からちょっと引用してみましょう。

「イエス群衆を見て、山に登り、座し給えば、弟子たち御許にきたる。イエス口を開き、教えて言いたまふ、『幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり。幸福(さいわい)なるかな、悲しむ者、その人は慰められん。幸福(さいわい)なるかな、柔和なる者、その人は地を継がん。幸福(さいわい)なるかな、義に飢え渇く者、その人は飽くことを得ん。幸福(さいわい)なるかな、憐れみある者、その人は憐れみを得ん。幸福(さいわい)なるかな、心の清きもの。その人は神を見ん。--』--。」

難しい漢文で書かれた仏教のお経も、現代日本語訳が岩波文庫などに入っていて、わが家の宗旨である浄土真宗の関連の経典「浄土三部経」(上・下二巻)を読んでみましたが、内容的には、こちらはいまいち感情移入できない内容でした。

聖書のような「求めよ、さらば与えられん。」といった決め付け文句は「浄土三部経」にはやや少なく、理知的で論理的な内容のせいでしょうか。(以上)






Last updated  2008.01.19 00:15:38
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2008.01.11
カテゴリ:書籍
先ほど「楽天ブックス」さんで聖書を二冊注文しました。
ひとつは、英語の勉強のための和英対照版新約聖書(NITEV234DI)
もう一つは、格調高いことで知られる文語訳新約聖書(JL343)です。
私はクリスチャンではありませんが、聖書には分かりやすい味わい深いフレーズが多いので、これらの中から、気に入ったフレーズを選んで、少しずつ暗記しようと思っています。
ぼけてきた頭で覚えられるかどうか自信はありませんが、楽しめればいいと思っています。
この二冊が手元に届く日が今から楽しみです。

ところで、探していたこんなマイナーな本があったこと自体も驚きでしたが、「聖書」で検索したら、関連書籍が2,200冊も出てきたことにはもっとびっくり。
「楽天ブックス」さんといえば、売れ筋の漫画やライトノベルばかりというイメージがあったんですが(失礼!)。いや、おみそれしました!







Last updated  2008.01.12 15:33:12
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2007.03.25
カテゴリ:書籍
●こういう発想には初めて接しました。
感性というとアナログ、理性というとデジタル、となんとなく漠然と考えていた私は、まずタイトルの「デジタル感性」という造語に、驚くとともに敬服しました。
しかもこの本が出たのは今から9年も前ですからね。
著者のイメージ創出能力はたいしたものです。
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「デジタル感性-21世紀の感性、21世紀の社会-」
著者: 谷口正和 出版社: 産業能率大学出版部 サイズ: 単行本 ページ数: 187p
発行年月: 1999年04月 本体価格 1,600円 (税込 1,680 円) 送料別 在庫状態  品切れ
売り切れました
内容情報】(「BOOK」データベースより)
「 20世紀のラストシーン、突如襲ってきたデジタルの波。第3の波の先端を走るデジタルの波。地球は変わる。社会は変わる。個人も変わる。我々はいまだ出会ったことの無い未知の完成と遭遇する。未来は今日の延長線上にはない。しかし今日が未来である。予測すること、予知すること、予見すること、時代をにらむ顔がいまほど必要な時はない。21世紀はデジタル感性社会になる。1万年の生物学的アナログと、2001年の未来学的デジタルがはじめて統合される。本書は21世紀の感性スタンダードとなるはずの「デジタル感性」を、さまざまな角度から読み解こうとするものである。 」
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 圧縮される感性/第2章 デジタル波動/第3章 新たな自然/第4章 超ハイスタイル社会/第5章 永遠の旅人へ/第6章 「個人」の消滅/第7章 サイバー・バランス論
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●この本は抽象的な文章が多いので、おそらく読んで楽しい本ではないと思います。
しかし、日頃から「IT時代とはどういう時代なんだろう」「web2.0とはどんなものなんだろう」という問題意識をお持ちの方には、この本は随所にユニークな発想がでてくるので参考になるでしょう。
●ただ、この本は、小見出しがとても刺激的な言葉で埋め尽くされている割に、読んでみると「なあんだ、そんなことか」という箇所も結構あります。著者がひねり出した造語のイメージ喚起力はなかなかのものですが、著者の思索は、この時点ではまだ、魅力的な造語のイメージ喚起力に十分には追いついていない感じもします。
●とはいえ、この本の魅力は、上記の「ないよう情報」より「目次」の方によく表れています。例えば、第一章の「圧縮」という言葉。データの圧縮技術の向上は直感重視の時代を招く、と喝破しています。また、第3章の「新たな自然」は、都市は新しい自然である、と言い切ります。
●次回は、この本に喚起された私のかってなイメージを書いてみたいと思います。
ただ、残念なことに、売れ筋本位の「楽天ブックス」では、例によって売り切れだそうです。










Last updated  2007.03.25 18:01:16
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2006.11.03
カテゴリ:書籍
今日は祭日。

朝から良いお天気だったので、午前中ひとりで、自転車で近所の多磨霊園にでかけました。

芝生のベンチに座って、暖かな陽射しを浴びながら、「京ぽん2」に録音したアンド・レリュウ指揮のワルツ集をイヤホーンで聴きつつ、太巻きの葉巻を一本、ゆっくりとくゆらせました。

ほんの数分間でしたが、すばらしい時間でした。

その後、自転車で国分寺市内まで足を伸ばし、図書館で本を借り替えてきました。

現在熱中しているのは、横山秀夫さんの警察小説。

この方、すごい筆力ですね。

「半落ち」に感動して以来、図書館に行くたびに目についた作品を借り出して読んでいます。

ベストセラーになったのは確かに「半落ち」ですけど、もっと素晴らしい作品が一杯ありますね。

驚きました。

但し、小説家志望の方が読むと、「とてもかなわない」と感じて、志望を放棄することになりかねません。

ショパンがピアノ曲に特化して「普遍」の域に到達したように、横山さんも、警察小説に特化して「普遍」の域を手に入れるかも。

一方で、この方、今後レパートリーを広げて、森村誠一さんのような大作家に化ける可能性も秘めています。(以上)






Last updated  2006.11.03 21:43:13
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2006.08.26
カテゴリ:書籍
大人の塗り絵が流行の兆しです。
カラリングなんて、なかなか楽しそうです。
まあ、大流行とは行かないでしょうけど。

癒し、祈り、アート、娯楽、ご利益、お慈悲、安い、地味---

私もぜひやってみたいですね、「大人の塗り絵」。

マンダラ塗り絵が人気のようですが、仏画の他、アールヌーボーの旗手アルフォンス・ミュシャから、草花のような「本格的な塗り絵」(=子どもにもKO?)まで、いろいろ出ています。

欧米の方は、異教徒だから、仏教徒にとっては聖なる絵であるマンダラも、単にアートとして見られるんでしょうね。

キリスト教徒にとっての聖なる絵、ステンドグラスを、我々異教徒が単純なエキゾチシズムで眺めているのと同じでしょう。

-大人の塗り絵-
大人の塗り絵

-脳の活性化!大人気「大人の塗り絵」-
脳の活性化!大人気「大人の塗り絵」

-安らぎと平穏を求めて!ぬり絵写仏「七観音セット」-
安らぎと平穏を求めて!ぬり絵写仏「七観音セット」

-「楽天ブックス」から-
http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sitem=%C5%C9%A4%EA%B3%A8&sv=11






Last updated  2006.08.26 22:26:58
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カテゴリ:書籍
「マンダラ塗り絵」をご存知ですか?

チベット仏教で有名な曼荼羅。極楽浄土の光景を描いた、様式化された極彩色の宗教画です。

そのマンダラの複雑な図柄を相手に配色を楽しもう、という大人向けの「塗り絵」本が登場しました。

ひとめ見て、これはブームになるかも、と感じました。

一種の「写経」行為として、神秘的な曼荼羅の図柄に、祈りを込めて配色を施しながら、来世での救済を祈るもよし。

一方、純粋にアートとして、自分の感性に従いながら配色の妙を楽しむのも良し、です。

いずれにしろ、配色する過程で、煩悩に疲れ果てた心が、静かに癒されそうです。

見事な企画ですね。ひとつのジャンルにブレークするかも?

マンダラ塗り絵

カラーリング・マンダラ






Last updated  2006.08.26 12:00:21
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2006.08.02
カテゴリ:書籍
芥川龍之介が王朝モノで、夏目漱石の激賞を得て、世に出たのは有名な話です。

ところでその際、漱石は、芥川の作品について「ふざけてない『おかしみ』」を指摘し、「同種の作品を2~30も並べれば、日本では類のない作家になれるでしょう」という意味のことを芥川宛の手紙で述べています。

芥川というと、本人が30代の若さで自殺したせいか、「人間のエゴイズムを鋭くえぐった」「知性派の」「一代の天才作家」という評価が定着しています。

しかし、彼の作品を素直に読むと、端正な文体の背後に隠れがちですが、なかなかにシニカルな「きつい笑い」に溢れています。

作家本人が「僕は努力しなければ冗談も言えない」と述懐している通り、ノリのいい人物でなかったことは確かでしょう。オレは飛び切りの秀才だ、という矜持もあったでしょう。

しかし、本当は結構明るい、冗談好きの人物だったかもしれません。ご子息で作曲家の故芥川也寸志さんが生前そうであったように、案外「洒脱で格好いい紳士」に憧れていたかも。

その「ふざけてない『おかしみ』」ですが、私の周辺を見渡しても、自分の過去を振り返っても、結構事例が見当たりません。かなり高度な『おかしみ』らしいのです。

「羅生門」では、悪いやつはひどい目にあってもいいのだ、と開き直った途端、ひどい目にあう老婆が登場し、「鼻」では、異様に大きい鼻が普通になると、かえって周囲に怪訝な目で見られ、元に戻ってほっとする老師が登場します。「芋粥」で登場する人物などは、憧れていたご馳走の「芋粥」に実際にありつくと、夢が喪失してなんだか空虚な気分になってしまいます。

なんという人間的な「おかしさ」でしょう。これはやはり、大笑いするネタでしょう。

こんな事例をご存知でしたら、情報をお寄せ願えませんか。






Last updated  2006.08.02 23:25:28
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2006.07.16
カテゴリ:書籍
(1)小林よしのり「いわゆるA級戦犯」

この本は、劇画と文章の二段構成で、A級戦犯全員について、その人物像と、なぜ「A級戦犯」にされたかを、ひとりひとり描いた力作です。

私は読みながら何度も落涙しました。

何に感動したか。それは被告全員の「無私」の姿勢です。

確かに、政策判断を誤った人もいます。どうにも好きになれない人もいます。

しかし全員に共通するのは、「天皇陛下をお守りすること」「私が死刑になることで天皇陛下が助かり、占領政策が柔らかくなるなら」と言う姿勢です。

その一方で、責任を他人に押し付けることでA級戦犯になることを免れた人もいたそうです。

A級戦犯として有罪になった人たちは、いわゆる「東京裁判」が単なるリンチに過ぎないことが最初から分かっていて、裁判の席で一言も弁明せず、他の容疑者が責任を擦り付けても、一言も言い訳をしなかった人ばかりのようなのです。

戦前戦中、終始戦争回避に尽力していながら、A級戦犯にされた人もいました。
全く政治に関与していないのに、ソ連の横槍でA級戦犯にされた人もいました。
しかし、「自分達が責任を被りさえすれば」と言って一切弁明をしなかったそうです。

近年、日本人の中から「A級戦犯を靖国神社から分祀せよ」という声が出ていることについて、著者は「東京裁判は、ある意味で二発の原爆より日本人を深く蝕んだ」と喝破しています。

一読をお薦めします。
いわゆるA級戦犯

(2)磯田道史「殿様の通信簿」

この本は「土介寇(どかいこう)しゅう記」という古文書をもとに書かれています。

この古文書は、元禄時代に公儀の隠密たちが集めた大名達の諸事情を、幕府の高官がまとめた驚くべき資料です。

この本を読むと、例えば赤穂藩主、浅野内匠頭の章を見ると、忠臣蔵の経緯が、従来とまったく違って見えてきます。

浅野内匠頭は、若い頃から政治向きにタッチせず、昼夜女色にふけり、美女を献上する家臣を取り立て、領民への憐れみがなく、家臣にも非道な仕打ちをする、と散々の評価です。

いわば「札付き」大名だったらしいのです。討ち入りの10数年前の段階で「いずれ藩を潰すだろう」と断じられています。大石内蔵助も「主君をまったく諌めない」と非難されています。

松の廊下の刃傷で、吉良にお咎めがなく、浅野内匠頭が一方的に処罰された理由がようやく分かったと思いました。当時の将軍綱吉の浅慮だけによるものではなく、「あのバカがとうとうやったか」という空気の中で、自然にああいう判決になたのでしょう。

この他、江戸時代がすすみ平和な時代が続くと、殿様たちも、武勇を嫌う享楽的な殿様が増えてきます。

女、酒、芸。

平和ボケといわれる現代の日本人のようです。

「お仕事」のほうも官僚化が進み、江戸時代260年の間に、お役所仕事が「病膏肓に入る」(=死病にかかる)となりました。

そのせいか、現代に至っても、昨今、実力主義、能力主義の導入の必要性が叫ばれて久しいですが、なかなか実現しません。

磯田氏はこの現象を、日本史的視点から分析し、対応する必要がある、と述べます。傾聴すべき指摘です。
殿様の通信簿
(以上)






Last updated  2006.07.16 22:15:15
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2006.04.16
カテゴリ:書籍
昨年(平成17年)4月に出た待望のシリーズ新作集です。
近頃の平岩さんは、文壇きっての巨匠という感じになってきました。
今度の連作短編集も7編すべて粒よりです。

人情の勘所をしっかりつかまれたんでしょうね、私など、恥ずかしながらこの一冊を読み終える間に何度涙を流したことか。

今回は離れ離れになっていた母と息子との再会を軸にしたお話が多いです。

と言うとベタベタの「お涙頂戴もの」を連想されると思いますが、そこはそれ、平岩さんの円熟の筆にかかると「現実とはこんなものだろう」と思わせるようなカラッとした仕上がりになります。

しかも、それにもかかわらず、というか、それゆえ、というか、思わずほろりとさせられます。安心して泣けるというか。

物語が、あまり不幸すぎたり悲惨すぎたりすると、読者はかえって泣けないものだと思います。そこらへんのさじ加減が絶妙です。

例えば「明石玉のかんざし」。

ある日上方から出府してきた若い職人夫婦が「かわせみ」に宿を取ります。
やがて夫のほうは、江戸の老舗の鼈甲細工屋の跡取り息子と判ります。
ガキの時分にぐれて、行方不明になっていました。
実は西のほうへ放浪した末、「明石玉」という廉価品の細工物職人として立ち直っていました。
この度、妻を伴って出府した息子は、母を訪ねわびようとします。

一方、母親の方は息子の出奔後、亭主に死なれ、親戚から出来の悪い放蕩者を養子として押し付けられていたことがわかります。

息子が江戸に戻ってきたことを知った母親は、息子のいる「かわせみ」に籠を飛ばし、息せき切って駆けつけ、感涙に咽びます。

しかし、一方で「明石玉というような偽物に、一度でも手を染めた者を跡取りにしては、店の暖簾に傷が付くから、お前を店に入れるわけには行かない」ときっぱり言い放ちます。

母親は、息子の嫁が頭にさしている、息子が作った「安物の」明石玉の櫛を、「息子の嫁が偽者を頭にさしているのは世間体が悪い」と、自分が頭にさしている高価な鼈甲細工の櫛と交換して、さっと去って行きます。

息子夫婦は、諦めがつき、さばさばして西に戻ります。

その数ヵ月後、あの母親が切り盛りする老舗の鼈甲細工屋が突然倒産したことを、「かわせみ」の衆は知ります。
そして、母親は息子が作った明石玉の櫛を懐に、尼寺に入ったという噂を聞きます。

やがて「かわせみ」の衆は、鼈甲屋のぼろぼろの内情を熟知していた母親が、息子に苦労をかけまいと、あの日、一芝居打ったのだ、ということに思い至ったのでした。

一度の場面しか出てこない鼈甲屋のこのおかみですが、母親の愛情に溢れながらも、気丈に振舞ってみせる姿の造形が実に見事です。
(以上)

小判商人






Last updated  2006.04.16 16:59:45
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