速記ですみません。
こんばんは、ナンリです。前々からギルチャや会議でギルメンの皆様に伝えていることですが、私は私用でしばらくゲームをしている暇があまりありません。なるべくGvには出るようにしたいとは思いますが、INが減る、Gvに出られないようなことがある場合、ごめんなさい。加えて龍さんもテスト週間に入っているのでしばらく忙しいかと思います。こちらはそろそろ週間抜けるとは思いますが・・・。さて、〆(.. )カリカリッ!!の合間をぬって日記を書くわけですが、速記させていただくので、誤字や意味が不明な点が多数あってもお許しください。ナンリ、いつもと違わず真面目です。一ギルメン、一副としての私の、あくまで私見ですが、SMクラブというGについて話します。その次に勝手に私の諸々の考えを連ねます。(あくまでゲームのことであるという前提の下、お読みください)SMクラブはGM不在から始まったこともあり、これまでギルメン一人ひとりに支えられて続いてきたわけで、ギルメンありき、のGだと思っています。誰のGだと決まっていないことは、誰のGでもない、ということと同じことではありません。価値観の問題にもなりますが、視点の変えようでいくらでも解釈は可能です。一つの価値観自体が、実はいくらでも自分で解釈しなおすことが可能です。誰のGでもいいじゃないか、あるいはあわよくばみんなのGでいいじゃないか、と思えればと思います。SMが産声を上げた直後に起こったGM不在時には、誰がGMになるのか、なるべきなのか、小さい小さいGなりに一悶着ありました。RS歴が長いわけでもないギルメン多い中、そもそもギルメン自体が少ない中、誰かが三歩進んで二歩下がってくれたら一番よかったんですが、みんな一様に一歩二歩三歩と退きます。苦肉の策として三人で交代GMという案が出たりもしましたが、結局そのうち二人が修行に出てしまって、自動的に消去法で私が臨時をやることになったわけです。その間、最初に出た発言がずっと臨時GMをやる後押しをしてくれました。「しょうがなくGMになっても、みんなでやってるんだから」まぁ価値観の違いはここでも起こり、私はこの言葉を「しょうがなくGMやってるなんて思うなよ、みんなでやってるんだから安心しろ」と取りました。臭いですか?別に臭くてもいいです。発言を悪く取ったら負け、が私の信条です。言葉をかけてもらったなら、自分を鼓舞するほうに取ったほうがどれだけ良いか分かりませんから。それでもGMはGM。細々したGM業務は探せば探すほどあるものです。大体私は仕事を待つのではなく探すタイプなのがいけません。とにかく、どこに出ても恥ずかしくないGMをやろうと思い、どこに出しても恥ずかしくないGでいようと思いました。ギルメンが他へいってもSMにいたことを恥かしいと思わないようにいてほしい。勝手な考えです。そのときリアルで別段忙しいことがあるわけでもなかった私にとって、GMを投げ出すことは「みんなでやっている」ことを裏切ることであり、Gが恥かしい、自分が恥かしいことと同義でした。もちろんいくつも失敗を犯しました。誰もがGMを辞退したことが手痛く頭に残っていた私はまず、人の負担になると嫌だからと、相談できること、お願いできること、頼めること、対話において信頼の重要な部分に関わるこういったことを、一切合財ぱくっとしました。Gに大きく関わる相談はするときはしましたが。「できることはGMがやる」といった重荷を現GMの龍さんが背負っているとすれば、元来私が作り出した重さであり、本当にごめんなさい、と言いたいです。そうじゃなくて気楽にできているのであれば、ありがとう、と言いたい。私がGMを引退してすぐ、Glvが70に届き、ギルメンも80を超えました。SMクラブも大分育った今、ギルメンありきであることを鑑みつつ、恥かしくないGなのか、皆さんに思い返してほしい時期です。思い返すほど長くはいない、という人も思ってほしい時期です。80名全員がアクティブなわけではありませんが、これだけいれば、一時の激昂もあるだろうし、失望もあるだろうし、呆れもあるでしょう。私自身、何度疲れが出たかわかりませんもん。疲れが産んだものが370越えたサブ2体です。関係ないですが、サブでINしてる間に、自然にみんなが何かをやっていてくれるのを発見するとうれしかったですね。言いたいことが収集つかなくなりましたが、・ギルメンありき・みんなでやっている・一応、恥かしくないGを目指していた・(ごめん、私がGM業大変にした)・今、恥かしくないGでいられてますかこういう段落分け?ですね。引き続き、みんなでやってるんだからさ、と言っていきたい。できることなら、遊びで脱退入会をするようなこと、多少の発言で人を測ること、悪いほうへ物事を取ること、そういったことに対して私は、みんなにはなるべく違う行動をとってほしいと思います。これらが恥かしいことであるかどうかは、個々人の価値観によるため分かりませんし、他人がそうしていた場合に、みんながそれに頷いてみせるか眉をしかめるかさえも分かりませんけれども。みんなが見てるわけで。激昂した相手、失望した相手、呆れた相手じゃない人も見てるわけで。激昂、失望、呆れ、疲れは似たようなものを回りに伝播させるので。黙っていかないで。そういうときは、相談して。みんなでやってるんだから。