13歳のハローワークの前にやらなきゃいけない本当のこと
今日は、中学生の家庭教師してきました。社会って、誰が教えてくれるのか?誰も教えてはくれないんです。じゃあ学校は何を教えるところなのか?学校で習う、社会・・その、社会って何なの?私の生徒、愚連隊とか言う池袋ウエストゲートパークに出てくるようなクラブに入らないかと誘われてました。集会に出るのが面倒だからという理由で、入らなかったことを聞き、少しやっぱりほっとしてしまった。けれど、先輩から『使えるぞ』「だからいつか入った方がいい」って言われるそうです。「愚連隊は、悪いヤツを懲らしめるチームだから、暴力団ともつながっているけど、警察ともつながりがあるからカツアゲとかしても警察に捕まらない。喧嘩をしてもバックに大きな組織があるからいいんだ」とか(生徒談)。どこまで真実か分かりません。ただ、お金について。やっぱりどこか私が中学生だった5年前と比べても、お金に対する価値観が変わってきていると思う。ファーストフード業界、ファミレス業界は相次いで低価格戦略を打ち出した。コンビニもたくさんできた。それは結果として、若い子が外食したり、中食するのを社会が認めてしまったことになる。おそらく多くの外食業が、若い、10代の顧客なしでは生きていけないのではないだろうか。便利、そして経済発展の裏には、やっぱり何らかの弊害がある。生徒は、学校の帰りに買い食いして、反省文4枚書かされたそうだ。でも、こういう社会で、どうして買い食いしてはいけないのかを、先生はどうやって教えるのだろう。決まりだから。ルールだから。そんな言い訳は通用しない。問題は、その買い食いしたり、ファミレス行ったりできるような環境があることもそうかもしれないが、それはしょうがないとして、お金が・・そのお金はどこから出てくるんだろう。授業中にも「お金がほしい」って何回も言ってる。一万円がほしいって。一万円、欲しいと言って渡してくれる人がいること。渡してくれなくても合法違法。いろんな方法で一万円の価値を理解しないまま、お金が手に入ること。自分が偉そうなこと言えるのか、疑問もあります。でも、中学生が一万円の使い道を知っていることからちょっと怖い。もう一つ思ったこと。学校の先生の、生徒への見方について。反省文4枚。何をそんなに書くことあるのか聞いてみました。そしたらもともとは一枚で、書くことなくて「ごめんなさい」をたくさん書いたら2枚になり、「書くことありません」を大きく書いたら4枚になったらしい。4枚になり、彼なりの手法で書き上げたみたい(結果作文得意になって、よく「学年便り」に偉い生徒に混ざって載ってるのだそうだ)話ずれましたが、絶対に先生は意味のない反省文を書かせている。罰として。そりゃあ罰って意味のないものなのかもしれない。バケツ持ったり。ただ、私だったら、意味のない罰の時間を取るよりは、生徒のいいところを探したいし、話したい。すごいんだ、彼は。高校で、全日制の生徒が夜間の生徒をちょっと馬鹿にしたような目で見ることが多くて、喧嘩もよくあるみたいだと言ったら、そういうところを変えていきたいって言った。態度がいい子がいい子ではない。態度が悪い子が悪いこでもない。態度悪そうに見えて、心の態度、特にこいつはぜんぜん悪くない。連帯責任と称して、よく残されたり、作文書かされるそうだ。「今、夢なんかない」それは、たぶん多くの中学生が思っていることで。子供は大人の背中を見て育つ。私の高校のときの先生は、先生になった理由を、「なんとなく」の一言で片付けた。「教育学部だったから」「文学部だったから」堂々と胸張って、こう進路選択しましたと言えるようになりたい。13歳のハローワークの前に、先生が、親が、大人が、「これからどうして行きたいか」考えるべきなんだと思う。そのために、「今の節目を考えること」が必要なんだと思う。とりあえず私は、都立高校、調べます。