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カテゴリ:教育・文化
八ッ場ダムの見学のあと鎌原観音堂と脇に併設されている嬬恋郷土資料館に廻った。 なにしろ公民館主催の「ふれあい学級」ですから、単なる物見遊山ではありません。 資料館で説明のビデオを見た後、ボランティアの方の説明を聞く。少し長くなって申し訳 有りませんがお付き合い下さい。 「天明三年の大噴火」・・・1783年7月8日に浅間山は大噴火をした。噴火の音は奈良 京都まで聞こえたそうで、噴煙は成層圏まで上ったと推定されます。このとき、村外にいた方 と土石流の発生を予感して村の観音堂の階段を駆け上がった方が合計で93名。 当時の村の人口570名で実に477名もの人命が失われた。後で写真をアップしますが 現状は15段の石段がある。1979年に発掘調査の結果、その下に35段の石段が確認 された。しかもそのときに衝撃的な事実が発見された。発掘された石段の一段めから七段目 位にかけて、折り重なるようにして倒れている二体の遺骨あったそうです。発掘当時の写真を 見ると上の方のとやや下に頭蓋骨。下の人は40歳くらいの女性で上の人は60歳位(骨が 大分老化していたようです)とのこと。復元されたブロンズ像で見ると似ているので 親子なのかも知れません。家から走ってきたのでしょうから仮におぶっていなければ 35段は登りきれたと思います。 運命の石段に届いたところで・・・なんとも痛ましい 限りでありますが、200年くらい前の日本で実際におこったことです。後ろに迫ってくる 音を聞きながら逃げて、最後まで必死におぶって(背骨が重なっていた)、この方はおぶって いる人を投げ出さなかったのです。・・・それに引き替え、私を含めて・・・今の国の・・・ 愚痴になりますかな・・・。 生き残った村人は、当地で家族を再編生して今日に至り、 毎日欠かさずご先祖の供養をされているようです。・・・合掌。 「きょうのひとコマ」鎌原観音堂。 朱塗りの橋の下に35段の石段が有ります。 話を聞いて、石段の前に来て・・・思わず目頭が熱くなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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