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カテゴリ:パート休日の備忘録
母は先日、実弟(叔父)夫婦の住む実家へ帰省。
前回の帰省は「(中学の)還暦同窓会」の時。 父が亡くなった3週間後ぐらいだったかな。 父の49日の法要の時には その同窓会で撮った、集合写真を見せてくれて 全員でお揃いの 赤いちゃんちゃんこと、帽子を被っていた。 その母の今回の帰省は 母親(私の祖母)の 3回忌の法事でした。 (遠距離であり、高齢者多数であり、 コロナ渦であったので本州組は祖母の葬儀は控えた) 超高齢で亡くなった祖母は100歳手前だったけど 後期高齢者になった、母が一人で 高速バス(約1時間) →空港から飛行機(約1時間半) →高速バス(約2時間)→タクシー は、過酷すぎて一人ではもう行けない。 私の兄弟が一緒に行き、空港を降りたあとは レンタカーで移動した旅でした。 法事以上に大事な目的は 「この土地に来るのは、これが最後だ」 という意味での 母にとっての、心の終活だったそうで。 母は中学3年の時、父親が病死していたので 中学を卒業した後は、 地方へ出て企業内学園に通いながら働いていた。 地元の友達最後の一人とは まだ繋がっていたようで、たまに電話をする仲 らしいのだけど、その同級生だって後期高齢で とにかく耳が遠くなり、電話の会話も厳しく 電話も同居している娘さん経由で(私より2つ若いらしい) 受話器を持っているのは、いつも娘さんとのこと。 その彼女に会いに行ったら 先日「人生最後の同窓会」 というものがあったそうで 出席したら なんと3年6組の男子は全員 (あの世に)上がっていた という笑い話のオチ。 その彼女とも会うのがこれが最後。 「またね」のない「じゃぁね」って お互い笑いながら会話ができてる環境で それを言うって お互いどんな気持ちだったんだろうね… 次はあの世で待ってるね って言ったのかは 涙ぐみながら話す母には聞けなかった。 私も、このお盆休みは 小学校時代の友達に会ったり 中学校時代の友人がおばあちゃんになったお祝いで 会ったりしたけど、それは 産まれてからこれまで、ずっと同じ「市内」で 人生を送れて来れたからの話なんだよね。 法事の時には、兄弟親戚とも 「わしらの代はこれにて解散、たっしゃでなぁ」 という最後の挨拶をして お互いの葬式や法事の行き来もしないことに 決めた 終活旅だったそうな。 それからもう一つ、母が行きたかった所が 父の実家(母の実家から更に車で2時間) の跡地(現在更地)。 もう、その村の存在自体がなくなり 人もいない、家もない、荒れ果てた土地だけが残り 道がない そんな場所になっていたけど 「最後に見に来れてよかった」と。 父の実家の永代供養墓へ行き、お寺で 最後のお経をあげてもらってきた と。 それも出来て、よかった。 いろーんな「心の荷物」が一気に 片づいてホッとしていた。 もう後は、元気に日々過ごしてるだけでいいです。 私にも「またね」のない「じゃぁね」が 来る日がやってくるのか まだまだ、想像できないアラフィフです。 さて、3連休最後の日 夫は出張で今夜は居ない。 朝から洗濯、ゴミ出しに 毎度の🌱新芽カット✂️しようとしたら まだまだ、アゲハ蝶の幼虫がちらほら👶 この2日は、『秋っぽい🍄』って思ったけど 今日は、夏日和😅💦 ごめんね😢 夜は、のんびり出来るように さっさと家事済ませよっと思ってる 9月26日の正午でしたとさ。 ↓↓↓コチラもポチッ✕3弾 よろしくお願い致します。 にほんブログ村 アラフィフ日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月27日 17時07分23秒
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