カテゴリ:人間関係
私が発達障害の可能性を示唆されたのは、実に19年前に遡ります。当時は発達障害の診断基準も十分ではなく、その様なものがあると言われ始めた頃でした。可能性を示したのは内科医である父でした。
それから、診断を受けるまでに18年を要しました。
診断を受けることには非常に勇気が要りました。発達障害のひとつに自閉症スペクトラムという診断名がありますが、スペクトラムとは「虹」の様な「連続体」を意味します。
ある時にはまったく健常に見える、特定の人や環境のもとではうまくやれることもある、しかし、人事異動や環境の変化でまったく力が発揮できないこともある。
評価を受けて異動した先で無能扱いをされてしまう、「虹」の様なムラの中で私にとっての環境変化はロシアンルーレットの様なものでした。
私は職場において、深く信頼関係を結べた相手には絶大な支持を受けました。また、私生活を犠牲にして膨大な時間をかけて、緻密に仕上げた事務局業務では評価を得ていました。
しかし、自分では防ぎきれないミスや、うまくコミュニケーションの取れない相手からの酷評、時折襲いくる視線恐怖、吃音などが出るたびに落ち込みました。
だましだまし生きながらも「発達障害の足音」が聞こえることが恐怖でした。
どうしようもないことなのか?どうやったらこれから生きていけるのか?自分を受け入れてくれる場所はあるのか?
といった、暗澹たる思いを打ち明けられずに、公の場では自分を偽り続けていました。
社会で生きることは嘘をつき続けることでした。自分の本音を言えば浮いてしまう、愚純なふりをして、会社の方針、組織の方針を生き甲斐の様に語り、本当の自分の夢や願望を忘れていました。
また、ブログを見て、同じように苦しんでいたこと打ち明けてくれる人も何人か表れ、旧交を温めることも出来ました。
自分で気づけなかった私の価値を教えてくれる人、失っていた自己肯定感を回復してくれる人、同じ悩みを共感しあえる人、自分を頼りにしてくれる人、そして同じ夢を見れる人などが次々と現れて、これからの人生に希望を与えてくれる様になりました。
受け入れるのに非常に多くの時間を要しましたが、おかげで発達障害の可能性がありながら診断前の境界線上に悩み、周囲に打ち明けられない苦しみを抱えた、多くの発達障害者の心境を痛感しました。
正確には、今の日本の労働環境です。
リストラや非正規雇用化が進み、残された常勤職員には非常なマルチタスクが求められ、苦手分野をカバーし合えない労働形態の中で発達障害者は不適合を起こすと思います。
天意があれば出会えるでしょう、なければ他の道を考えます。
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Last updated
2020.03.31 21:16:48
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