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発達障害者である専門職のブログ

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2015.06.16
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「発達障害当事者会」に来られていた保護者の方が話しておられました。自分も発達障害かもしれないけど、昔の労働環境には「苦手なことは苦手」と言って分業出来る仕組みがあったそうです。

 

昭和の労働環境を振り返ると、発達障害者が生きやすい社会があったことが分かります。

 


私は、近年になり特に「発達障害者が生きづらい労働環境」となったことについて、大きく3つのターニングポイントがあったと思います

 

1997年の労働法制の規制緩和

 

2、グローバリゼーションとIT化

 

3、産業構造の変化

 

これらは相互に関連していることでビジネス界では当たり前の流れではあります。

 

しかし、この経済の変化とのミスマッチが発達障害者の社会問題を大きくしており「大人の発達障害者支援」を考える上では見過ごせない問題です。

 

 「失われた20年」とも「戦後最大のいざなぎ景気」とも言われる時代の変化は、発達障害者にいかなる苦悩を与えたのかを振り返りながら、私たちが生きていく上でどの様な雇用環境が求められていくのかを考えたいと思います。

 

少し長くなりますので3分割のシリーズ化をしてお伝えしたいと思います。


1.1997年の労働法制の規制緩和


「規制緩和に聖域なし」という耳障りのいい言葉で、それは進められました。

 

日本経営者団体連盟は、 1995年5月17日

「新時代の『日本的経営』-挑戦すべき方向とその具体策」において、断固とした労働法制改革を目指し、戦後から続いた労働環境を大きく転換する方針を打ち出しました。


1997年に行われた「終身雇用制」「年功序列賃金制」の撤廃です。これらの「日本型経営システム」は、発達障害者にとっては、非常に重要な延命制度であったのではないかと思います。

 

ただし、加害型発達障害者が年功序列だけで役職についた際には、様々なハラスメントが行われただろうし、管理能力に乏しいADHDタイプの方が管理職についた際には被害を被った部下の方がおられたと思いますので、一概に撤廃が悪かったとは思いません。

 

しかし、あまりにも切り捨てる様に断行されてしまったことは、非常に残酷で無理なやり方であったと思います。

 

奇しくも、日本で司馬理恵子医師が「のび太、ジャイアン症候群」として発達障害者を知らしめたのが1997年ですが、発達障害者の特性理解とともに「発達障害者が生きられる環境整備」を行ってから段階的にリストラを進めていけば、その後の人口減少を起こす程の自殺者も、精神疾患者も産まなかったのではないでしょうか?


日本の自殺者数は1997年を境に跳ね上がり、精神疾患数は遅れて2002年から急激に増えていきました。

ji gurafu

 

seisinn

このリストラの対象には、おそらく多くの発達障害者がやり玉に挙げられたと思います。

 

純粋で真面目な器質を持った発達障害者ほど、会社に裏切られた衝撃は大きかっのではないでしょうか?

 


仕事こそが自己実現の場所で、あるいは家庭も犠牲にして働いてきた発達障害者が、突然解雇を言い渡された際の胸中はどれ程悲痛だったでしょうか

 


生き甲斐を失い、人生に絶望して多くの発達障害者が命を落とされていっのではないかと思います。

 


私は当時は大学生でしたが、この労働法制の動きに危機感を感じて周囲が遊び始めた頃に、一人で「罵声を背に受けながら」勉強を始めました。


以前にも書きましたが私が行っていた大学は、関西で有名な5流私立大学でまじめに勉強をする生徒はほとんどおりませんでした。特に大学2回生後半頃からは、学校にも慣れ単位も適当にとって誰も授業を聞かない風土の中で、急に勉強を始めるという奇行を当時の私はとりました。


私の理由のわからない行動に対して、クラス中から罵声が飛んで来ました。


しかし、そこが鋼のASD精神

 

一度決めたら人の意見など気にもならず、罵声を聞くごとに、より心は鈍く、分厚くなっていきました。そのうちに、理解者が表れて私に続いて勉強を始める生徒も表れてきて、学生生活は​​楽しくなってきました。


学生時代私の記録はこちら、​​関連記事​​​「​発達障害者の巨像と実像​」
​リンク先:発達障害者である専門職のインディペンデンス
この頃は人生で2番目に勉強しました。1番はもちろん、今です。


とにかく、1日1日を惜しむ様に行動して旧態の労働法制が息づいている職場にすべり込みました。この判断は、私にとってギリギリに道を繋げることになりました。

 

私が就職したのは、2000年4月でしたが、それから更に不景気が深化していったあの頃に、一般社会に放り出されてしまっていたら、生きる術を見つけることは難しかったのではないかと思います。

 

それから、13年その職場で働き、在職中に将来の危機に備えて社会福祉士の資格を取得したことで、またもやギリギリの道を繋ぎました。その様な隠れ蓑の様な職場に包まりながら、私は発達障害者にとって一番の嵐の時期を乗り切ることが出来ました。


その時期、世間では残酷なリストラは尚も次々と断行されて、毎年3万人以上の自殺者を産み出し続けました。


更に「労働者派遣法の対象業務自由化」により正社員は次々と低賃金の派遣労働者に置き換えられていきました。年収200万円以下のワーキングプアの方々が増えて、格差が拡大していきました。


しかし、この「労働法制の規制緩和」は、発達障害者にとって苦悩の時代の幕開であり、更なる受難の波がその後も次々と襲いかかっていきました。


つづく

 

発達障害者が生きづらくなったのは? 弐 http://plaza.rakuten.co.jp/socialinclusion/diary/201506260000/
発達障害者が生きづらくなったのは? 参 http://plaza.rakuten.co.jp/socialinclusion/diary/201507040000/
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2016年9月以後の動きは、ワードプレスサイトに移転してお送りします。
新サイト「Professional independence with  neurodiversity value」
(発達障害者である専門職のインディペンデンス)は以下のバナーからどうぞ
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Last updated  2019.02.03 20:58:13
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