■面倒臭い、でも、おもしろい■
進む道をひとつに決めなきゃならないにしても、政治的な決断で社会を変えようとする際には、つねに別の可能性や、後戻りする余地を残しておかねばなりません。背水の陣は、決してやってはいけない愚かな作戦です。 正しい社会といいますけどね、なにが正しいかは、結局、政治家や権力者が決めてしまうんです。彼らが自分たちにとって都合のいい正しさを、国民に押しつけているだけのことなんです。 おもしろさは、人それぞれです。ですから、社会をおもしろくするためには、多くの国民の意見に耳を傾けなければなりません。政治家は大変な労力を求められます。でも、それこそが民主主義の精神なわけで、民主主義国家とは、正しい国のことではなく、おもしろい国のことなんです。――パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』『反社会学講座』のパオロ・マッツァリーノが「つっこみ力」という題名で、なんか書いていたので、今回も途中でつまらなくなるだろうと予想しつつも購入してみた。最近、本当に本を読んでなかったからな。なんでもよかったの。俺は以前からパオロ・マッツァリーノが嘘をついてると思ってたんだけど、マッツァリーノは本書で(やっぱり嘘をつきながらも)ある意味自己弁護的なことを見事にやってのけているように思える。それについては、本当に気が向いたら書くかも(あんまり、取り上げるほどのこともないな、とも思ってる。別にこれは、氏を評価していないということを意味しない。というか、彼の思考の地平に立てば、嘘って何よ的な発想になるようにも思うしな。そういう意味でけっこう評価)。まあ、買ってみてもいい本だと思います。はい。■民主主義は面倒臭い今回の引用部分に代表されるのだが、マッツァリーノを評価したいのは、この小見出しに用いた、何とも無味乾燥な民主主義に関する箴言に、もっと意味のある言葉を付け足したことによる。彼によれば、たぶんこうなる。民主主義は面倒臭い、でも、おもしろいマッツァリーノはそんなことはっきりとは言ってないんだけどね。こう捉えた方が面白いと俺が思ったわけ。まあ、許してくれるでしょ。■背水の陣さて、今日書きたかったのは、というか、前から書こうと思ってたら、たまたまマッツァリーノさんが書いてたから、乗っかって書こうって思ったの。これだけの題で書こうとすると、すごくタンパク質が必要になっちゃうなぁと思ってんたんだけど、マッツァリーノさんに引っ掛ければ、軽く付け足し程度で書けるわけでね。背水の陣は、決してやってはいけない愚かな作戦です。というのに、俺はもろ手を挙げて大賛成。おい、ときには退路を断つのも必要だ、なんて言う人がいるんだけど、背水の陣って、別に退路を断ったところにその本質があるわけではないよ。俺は背水の陣なんて簡単に言ってしまうナイーヴさに笑いが止まらなくなる。背水の陣の真実は、指導力の無い人間がリーダーになっているということですぜ。退路を断つから強くなるなんて幻想。退路断ったって、人間の能力はそう変わるもんじゃありません。あれはね、味方兵士が逃げられないようにした陣なの。つまり、味方にとって相当無茶な戦い方であるわけだ。背水の陣だ、なんてあんた言うけど、味方があんたについてこない、あんたに指導力が無いってことを言ってるだけなんだよなぁ。背水の陣ってね、簡単、だけど、おもしろくない