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カテゴリ:政治あるいは自由論
デューイ『民主主義と教育』について読み進めるといっておきながら、更新できていないが、これには言訳があって、一つは、どうしようもなく仕事に追われてしまっていることと、もう一つは佐伯啓思をちょっとじっくり読み出してしまったことによる(決して立派な言訳になっていないけれど)。
佐伯についてはまた書くでしょう、いつか。ひとこと述べておけば、不器用だなぁと思う。頭が不器用だ。あと、昨今のマスコミに通じる態度が感じられもする。 しかし、マスコミは酷いな。ライブドア事件で号外出すわけだが、その基準は何だ? ジャーナリズムが無い。矜持がない。あるのは理念無く数字を追うことだけ。君らがライブドアを批判的に書けるのかね。同じ態度に感じるが。 だいたい、何かを批判する立場の奴らには、自分の立ち位置をはっきりさせずに、自分は火の粉を被らないところから批判する奴が多い。しかし、ちゃんと自分の足元を見てからもの言えよな。 だけれども、なんだか、多くの指摘があるように、自民党による比較衡量があったのかもしれないな。ヒューザーの政治癒着疑惑にニュース性で勝てるのはライブドアくらいしかないからな。堀江応援の責任論くらい見込んでただろう。しかし、あのタイミングの強制捜査と、かなり速いスパンでの逮捕っていうのは、あやしい。別に待てたはずだと思うのだけれども。 矜持のないマスコミは、政治に踊らされる。もう死んでくださいと俺が言うまでもなく、死んでいる。 『エルサレムのアイヒマン』で言及された「悪の陳腐さ」を思い出す。凡庸なアイヒマンは、組織での自己保身と出世欲のためだけに、先頭にたってユダヤ人を大量に殺戮した。そこにはユダヤ人に対する燃えるような敵意や悪意があったわけではない。あったのはただの陳腐さだった。 矜持のない陳腐さは、もっとも巨悪に手を貸す結果になる。この国のマスコミは、集団化されたアイヒマンだ。陳腐さが怖い。 蛇足としりつつ付け足せば、その記事をありがたがる人間たちも同様であることは言うまでもない。君たちの名は、アイヒマンズ。自分の身から出ていない悪意で人を殺す人たちだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.25 14:38:17
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