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2007.11.26
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(1)のつづき


■グランドフィナーレな世界

さて、やっと本題なのですが(笑)、こうした出口のなさを表現したのが、『グランド・フィナーレ』であるように思います。

この題名は本当にシニカルです。

私は読み終えて「冗談きついよ」とつぶやいてしまいました。

「グランド・フィナーレ(最終場面)」という題でありながら、この小説には最終場面なんて存在しないのです。

ナイーブなアマゾン書評子が、「「ここからが物語の肝だ!」というところで終わってしまいます」なんてことを書きたがるのも、まあわからなくはありません。逆に、「物語のラストは「グランドフィナーレ」に相応しい、希望に満ちた最後になっている」という「読み」をしたくなってしまうのも、その裏返しでしかありません。

この二者は阿部和重が好きか嫌いかで意見が割れているだけで、本質的に同じ読みをしてしまっています。「グランド・フィナーレ」という題名に引っ張られた読みです。非常に学校国語的な読みですね。

しかし、私見では、阿部がこの題名で意図しているのは「グランド・フィナーレな世界」なのです。

この小説は、むしろ、「すべての終わり」から始まっています。主人公にとってのすべての終わり。晴れがましい終わりを迎えるための計画を立てながらも、あえなく失敗して、本当に終わり。もう、これ以上希望も何もない世界です。

しかし、重要なのは、それでも物語(と呼んでも良いでしょうか)が、続くことです。はっきり言ってしまえば、「終われない」ことです。

「終われない」世界。

われわれの生きている、この高度資本主義の世界です。

上位の目的がない、欲望だけの世界。

終わりたくても、終われない世界。

そうして考えると、「グランド・フィナーレ」とは、本当にシニカルな題です。

痛いくらいに、冗談きつい題です。

われわれは、「グランド・フィナーレ(最終場面)」にいながら、終われない。

「グランド・フィナーレ(最終場面)」が無いのではなく、実はこの物語すべてが「グランド・フィナーレ(最終場面)」だったという落ちなわけです。

だから、(この小説の)最後もしっくりくる形で終わらない。


■新宿ヨドバシカメラ

阿部の天才性(は以前から感じていましたが)を確信したのは、同書に加えられている『新宿ヨドバシカメラ』を読んだからでした。

これは、企画ものだからと忌避する向きもありますが、阿部は、周到な計算のもと、これを『グランド・フィナーレ』の次に持ってきているのではないかと私は疑ってしまいます。

語られるのは、新宿について、そして西口のヨドバシカメラについてのしょうもない論理です。

ある意味で、阿部は遊んでいます。

井原西鶴が好きな私は、その遊びだけで楽しめるのですが、阿部の酷いところは、こうした作品にも阿部なりの計算を加えていることです。

阿部は、『グランド・フィナーレ』での主題をこの作品にもつなげています。

冒頭の引用で大澤が述べていたように、昨今は学生が論文に「おたく」的な情熱を傾けている。私の知る限りでは、大学院生にだって研究者にだっています。

ここでの問題は、その行為をドライブする情熱はどこから来ているのか、ということです。

阿部は、その答えをはっきりと語っています。

現代の人々は、大きな目的から何かの情熱を引き出し、その情熱のもとに行為しているのではなく、資本主義的に何かを欲望している。つまり、物神性(フェティシズム)です。

先に貨幣=資本という紙=神について述べましたが、それは構造として、フェティシズムを生み出しています。社会が貨幣を欲望するために、個人はフェティシズムを抱えるという構造です。

さて、文字に関する職業に就く人々にとっての物神とは何か。

これは「論理」といえるように思います。終わらない世界で、論理を追求する。これは目的の無い世界で、資本を追求する行為とパラレルです。

そして、その「論理」を追求すること自体が、彼らにとって「快楽」になっている。完全なるフェティシズムです。

阿部は、そうした現実を見抜いています。

だからこそ、『新宿ヨドバシカメラ』における「遊び」的論理は、性的なものと結びつけられているわけです。

そうして考えると、「欲望」とはどうしようもないものです。『グランド・フィナーレ』の主人公がそうであったように、われわれは、そうした世界を知らずに生きているわけです。

そのことに少しでも自覚的である人だけが、『グランド・フィナーレ』の過激さに気付けるように思うのです。





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Last updated  2007.11.27 03:46:13
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jsxbzgmsct   jsxbzgmsct さん
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