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カテゴリ:制度あるいは教育論
アメリカ大統領選が終わると、至る所で、自分は唯一トランプが勝つことを予想していた、といった声が聞こえた。
思うに、民主主義にとって最もやってはいけないことは、選挙の結果予想なのではなかろうか。 なぜならば、それは主権者たる自身を棚上げした振る舞いだからだ。そうした輩は、政治的コミットメントを投げ捨て、まったくの他人事として選挙にかかわる。グロテスクだ。 アメリカ大統領選は、我が国の選挙ではないというのはもちろんのことだ。が、他国民であっても、選挙の予想などという愚劣な行為は避けるべきである。そうした行為は、その当該国国民への冒涜である。民主主義は主体的諸個人の自由なる熟議によって、つねに予測不可能性たる自由を保持しているところに根源的強さがある。 予測可能性を求めるならば、君らが偏執的に好いておられる独裁国家へでも行ったらよろしい。 さて、時に、ヒラリーの票がトランプの票を200万票以上上回っているというニュースが流れた。 これに、偉そうにトランプに「逆張り」していた諸先輩方は何とお答えになるのだろう。 けっこうなご高説を付けてトランプが勝つ「理由」を述べられていた方のほとんどは、制度論的な議論よりも、トランプの方が人気があるんだ、と言っているように見えた。 彼らもまた、自分の見えるところ(全体のほんの一部)を見て、語っていたわけで、ヒラリー勝利を信じて疑わなかった人々と、まったく選ぶところがない。 まあ、もっとひどいので、ただのギャンブル的大穴狙いの「予想」もあって、本当に閉口してしまった。 とにもかくにも、選挙の予想ということが、自身の主権者としての立ち位置の放棄であり、歴史に対する冒とくであり、近代人としての尊厳の棄損なのである。 そして、そのような「有権者」が現れたとき、民主主義はサバよりも速く生き腐れるだろう。 おお、衆愚の民たちよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.29 15:45:08
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