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2020.04.12
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ウイルスを恐れるのか、医療崩壊を恐れるのか、という議論をしてきた。

医療崩壊の怖さはよくわかる。

救えるべきが救えないという経験は、現場の人間にとって、相当なトラウマとなろう。
なぜなら、そこには生を選別ぜざるを得ない選択があり、その選択によって、積極的に誰かの命を捨てることになるからだ。

ではウイルスを恐れるとはどういうことか。

そのような観念的な言葉は実際のところ何を語っているのか。

ウイルスは偶然に現れ、偶然にわれわれの人生にかかわってくる。
それを恐れるというのは、いったいどういうことなのか。

そこにある「恐怖」はただの観念論でしかない。

勝手に観念を持ち、その観念に脅える生き方の方が俺には恐ろしい。

ただ生きている家畜の発想だからだ。


■ウイルスを恐れるということ

ウイルスが怖いのは、2割の人を重症化させるからだ。という言を聞いた。

どういうことだ?

その人間は、医療崩壊よりウイルスが怖いという。

これが俺にはわからない。
だから、少しでもわかるように、エンパシーを働かせ、思考実験してみたい。

医療崩壊の危険はないと仮定して、ウイルスの怖さとはどういうものか。

1〜3%の人が死ぬということか。

それが怖いというのか。

理解したいが、俺にはわからない。

人は死ぬ。いろいろな死に方をする。
何パーセントの死に方なら怖くないのか。

0.1%未満なら怖くないのか。

あるいは99%以上ならどうか。

ウイルスが怖いとはどういうことか。

8割は軽症で終わる。
無症状も5割くらいいる。

大半にとって怖くないこのウイルスをどうやって怖がるのか。

1〜3%が死に至るから怖い、という言い方は、どこかで線引きをしているようで、本当に残念に思う。

0.01%程度の人がかかる難病に対して、そういうことを言う奴は、普段から心を痛めていただろうか?

単純に、割合が高いから怖いということなのだろう?

それならば、ほとんど死ぬことのない若者には理解のできない恐怖だ。


■怖さは理性的な行動を導くか

恐怖に苛まれている人間の行動は決して理性的ではない。
その極度の形態にいる人のいる場所は近代以降は精神病院だ。

では、恐怖は理性的行動を導かないのかといえばそんなことはない。
その恐怖を脱げ出せることを知っている人間には、むしろ理性的な行動を促進するものになる。

重要なことは、その恐怖の正体と可能性を知っていることだ。


■感染率ないしは感染力

数字だけを見ていると、日本を除く他国の感染者数の増え方や致死率は同じようであることがわかる。

日本の検査数が恣意的なものであることを考えれば、日本も諸外国とそれほど変わらないものであろうと思う。

致死率は1%程度だろう。

そして、感染者数も、日本では既に10〜20万人はいるだろう。

そう思わない方がおかしい。

そして、その状況においてウイルスを恐れるというのはどういうこだろう。


■人の致死率は100 %

死ぬのが怖いというのは何も言っていないに等しい。

人は必ず死ぬ。

死に方によって怖かったり怖くなかったりすると言うなら、その境界はなにか?

まさか天寿とか言うか?


■死よりも怖いもの

冒頭に述べたように、自分が見捨てることで殺す命があるとすれば、それは倫理的には殺人に等しい。

そうした選択をしなければならなくなるもいうのは恐ろしいことだ。

それは生物的な死を超えた、倫理としての怖さだ。

人であるのに、人としてふさわしい選択ができないことの恐怖だ。

この意味で医療崩壊の恐怖を俺は理解できる。

そして、同時に、経済に首が回らなくなり、人に迷惑をかけることに耐えられなくなって死を選ぶという人の倫理的恐怖心を俺は理解できる。

だが、観念的に、ウイルスが怖いという言葉を吐く人間は、もはや人間とは呼べないのではないかと思える。

怖さとは、社会的に人間に与えられたものだ。

生物的な怖さを近代人は相当にコントロールしてきた。


■やはりメンタルカウンセリング

長生きしたい人間が健康に気を使うのはわかる。
そういう人が身内にいれば、その人を守りたいという具体的な動機からウイルス対策するのもわかる。

そこにある恐怖とはどのようなものか。

身近な人に居なくなってほしくないのか、それとも自分のせいだと言われたくないのか。

大切なのは、自分の恐れていることを理解することだろう。

ふつうに頭を使える人間なら、その答えがウイルスということはあり得ない。


家畜の言葉を吐くことが俺には一番恐ろしい。







Last updated  2020.04.12 23:31:51
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