■多数の専制■
今年は17日がボージョレ・ヌーボーの解禁日で、その意義もわからずに儀式にだけは与るという大勢の愚か者の一員として、俺もボージョレを飲もうと計画するのであるが、東経135度を標準時子午線とする世界でも有数の「早くに味わえる土地」にいながらも、このようなワインに関する知識を持たない者が真っ先に飲もうとするのは、ワインの神様がいるならきっとお怒りになるだろうと気が引けて、一日おいて飲むことにしたわけだ。ちなみにワインの神様というものが概念としてでさえ存在するのかどうかもわからないが、麺類好きの細君がある国において味噌ラーメンと名うったものを食べたときに、これは味噌ラーメンの神様がいたらお怒りになると感じて書いてよこしたその文中に、確かに味噌ラーメンの神様は存在するんじゃないかと納得させられてしまうだけの、情念とでも呼ぶべき圧倒的な神性を感じたことが今なお俺に崇敬の念を起こさせている。そのようなわけで、解禁日の翌日を舞台としたあるフィクションがここから語られることになるわけだ。その日、仕事を終えたHはボージョレ解禁の会を思い立ち、スタッフ2名にボージョレ残業を命じ、共同経営者のDの戻りを待っていた。Hは、ボージョレのようなものは飲み屋に飲みに行くのではなく、職場で皆で飲むものだと考え、グラスと一本のボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォーを用意しておいた。ところが、Dは珍しくその日車で出社しており、ボージョレを飲むことが叶わない状況である。互いに残念と思いながらも、まあ、とにかく乾杯くらいは一緒にしよう、となったそのときに、4名はワインオープナーがオフィスに無いことに気付いたのだった。まずHが近くに買いに走ったが、鄙びた地、遅い時間では、どこにも発見できなかった。それからの会話である。「どこにも売ってるところ無かったよ」「ナイフとかで開けられませんかね」スタッフのSが言う。「無理でしょう。コルクがボロボロになって中に落ちるのがオチですよ」ともう一方のスタッフA。「これなら飲みに行った方がよかったな。でも、ここで飲むのが意義深いと思ってね。・・・一つだけ案が無くはない」とHが言ったとき、即座にDが「俺は行かないよ」と、すべてを読みきったように言った。そう、HとDは長い付き合いなのだ。「確かに、その案は俺も考えついてはいたけど」Dが言う。「俺に何のメリットもないだろ。俺が車でワインオープナーを取りに行ったって、俺は飲めないし、何よりも俺は帰ったら、もう来たくないぜ」「しかし、それしかないよなぁ」とHが二人に振る。「私、誕生日なんです。今日」とAが言う。「後3時間で終わってしまう」「お願いします」Sものる。「おいおい、俺には何のメリットがあるわけ?」Dがたまらず言ったところで、Hが似非民主主義を持ち出す。「わかった。じゃ、ここは公正に多数決にしよう」弱者は常に弱者がゆえに、強者の利益の前に屈する。そのような政治制度もあろう。---先日紹介したアリジャンへの署名は24日が最終〆切のようです。アリジャン応援サイト(こちら)をご確認のうえ、署名をご検討ください。また、それとは別にも、アリジャンの『母さん、ぼくは生きてます』をお薦めします。