テーマ:あやまりブログ(2)
カテゴリ:プライベート
長くて短いこれまでの人生の中で、意図せずして、あるいは半ば意図して、いろいろな人を傷つけてしまいました。今となってはあやまりたくてもあやまれない。そんな自分の「罪」を公開懺悔します。懺悔したからって許されるものではないことを知りながら。今回はその第一話です。 腰をおろしたネコのうしろ姿が好きだ。丸っこい小さな頭につづいて、やわらかい毛に包まれたあたたかそうなお尻がこんもりと盛り上がっていて、この姿の主が、いかにもくつろいだ生活を楽しむ正直者のように見える。 ネコのうしろ姿から連想するのは、小さい頃の弟のうしろ姿だ。刈り上げた丸っこい頭の下に、さめた漬け物のナスのような色の綿いれ半纏をきて、背中を丸めてすわる弟を見ると、思わず抱きしめて、よしよしと頭をなでたくなったことがよくある。 けれども、そういう衝動に駆られたのには別の理由もあった。幼い頃、私たちは毎日二人だけで家の中や庭で遊んだ。二人だけでもできるあらゆる遊びを考えて出して、飛び回った。そういうとき、私がリーダー役で、一歳年下の弟は私の指示に従うのが常だった。 実家の羽目板にはキヅタがはっていた。ある時、羽目板にキヅタの吸盤の跡を見つけた。私にはいまでも、丸いポツポツしたものを見ると、鳥肌が出る一方で、それにさわり、それをかきむしってしまいたくなるおかしな癖がある。ポツポツが気持ち悪いくせに、引きつけられるのだ。 キヅタのツルが一部落ちたところには、小さな動物が手形をつけたようにな丸いポツポツがならんでいた。もしキヅタ全部を取ったら、どんな光景が見られるだろう。私は弟にこう講釈した。「このツタは家をこわすから、全部これをはずすといいんだよ。」「ほんと?」「ほんと、ほんと。この葉っぱぜんぶとっちゃおうよ」「うん!」 弟は羽目板にぴったりへばりつくキヅタを力をこめてはがしはじめた。私はその背後で「そのへん、そのへん」などと指示した。やがて窓の下の羽目板はすっかり赤裸になり、ポツポツとした模様を見せていた。湿疹やはしかが治る直前のかさぶたがならんだような光景だった。 結果は、クリスマスが終わったあとの落胆まじりの寂しさに似ていた。私は満足のような不満足のような煮えきらない気分で、家の中に入り、しばらくのちにはもう忘れてしまった。 とつぜん、玄関の戸ががらりと開き、「こんなことをしたのはだれだー?」という祖父のライオンの咆哮のような怒鳴り声がとどろいた。同じ庭の中に我が家と隣あわせでたっている家から祖父が我が家にとびこんできたのだ。 「だれだ」という問いを言葉どおりにとると、犯人は弟ということになる。とまで深く考えなかったが、私はまだだまっていた。祖父は勝手に「おまえだろう」と弟に非があると決めてかかった。もともと無口な弟はなにも言わない。「なんでこんなことする!」と言いながら、祖父は弟をつかみだした。玄関から門まで、四角い敷石が二列にならんでいた。私たちがローセキで絵をかいたり、石けりをしたり、かけっこをするのにちょうどよい通路だ。この通路を祖父は弟を引きずるようにして大股に歩くと、せかせかと門の引き戸を開けた。そして弟を外につまみ出し、ぴしゃりと戸を閉めて、鍵をかけた。門の向こうから、しくしくと泣く声が聞こえた。従順な母には、狂人のように猛る舅に抗して弟を入れてやる勇気はなかったらしい。そんなことをすれば、もっとひどい罰が弟に下ると判断したのかもしれない。私はただ、びくびく震えていた。 その時、門のブザーが鳴った。誰か来たらしい(弟に呼び鈴は届かない)。「こんな間の悪いときに」という面もちで母が門を開けると。祖父の教え子の学生が、泣いている弟を抱いて、にこにこしながら立っていた。ばたばたと出てきた祖父に、若者はくったくなくあいさつして門をくぐり「お孫さんをお連れしましたよ」とほほえみながら弟をおろした。祖父は若者にはあいそ笑いをつくって家に上がるようにすすめてから、弟をなぐった。弟の涙でぐしゃぐしゃになった顔は、いまだに忘れられないほど赤かった。門のとなりで満開を迎えていた乙女椿の花よりも赤かった。 母は私に「ずるいよ」と一言だけたしなめた。弟はなにも言わなかった。この出来事があってからは、弟の半纏うしろ姿を見るたびに心が傷んだ。けれども、あやまる言葉もみつからず、抱きしめるというすべも知らないまま、時は過ぎてしまった。 中学以後は学校が異なったこともあって、弟と遊ぶことも話すことも少なくなり、やがて彼は地方の大学で学ぶために家をあとにした。そして、そのまま地方で就職して結婚し、三人の子どもたちをもうけ、家庭中心の堅実な暮らしをしている。一方、エゴイストの私はせっかく築いた幸せな家庭を娘とともに出て、ドイツに住み着いてしまった。 過去三十年に弟と顔を合わたのは、祖父母や父母の葬儀のとき以外ほとんどない。仲が悪いわけではないが、子ども時代に遊んだときのような気持ちの橋を、いまの私たちの間にかけることはできない。ツタのことを謝る機会は永遠に閉ざされてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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