テーマ:癌(3554)
カテゴリ:人物
最近、ドイツのある町でちょっと驚くような出会いをしました。
小さなホテルのレストランで席につこうとしたとき、となりのテーブルに日本人と思われる(といっても、近頃は中国や韓国の方と見分けがすぐつくわけではないのですが)お二人の女性がすわっているのが見え、軽く会釈をしました。 すると、その内のお一人が、「日本人ですか」と英語で話かけてこられまた。 私が答えると、それから、「どこからいらしたの」などお定まりのスモールトークがはじまりました。 会話が進む中で私が名前を名乗ると、「ああ、本を書いてらっしゃる方ね」とおっしゃってくださるではありませんか。 同席の若い方の女性も「本、読みましたよー」とフォローしてくださいました。 おお、ありがたい、一人でも読者がいるとは! 彼女はフライブルクにも一ヶ月いたことがあるそうで、明日、パリ経由で日本に帰国されるのだとか。 年配の方のご婦人、Tさんはもう三十年以上もこの地にお住まいなのだそうです。 なんと、このホテルのとなりのマンションに住み、鍛冶職人(金属細工師)のご主人と御舅さまは、隣町に住んでいらっしゃるとのこと。 食事が終わるころを見計らって、Tさんはこちらのテーブルにやってくると、 「一期一会、これもご縁ですから、よかったらあさって、隣町の家にいらしてください。昼食をごちそうします」と招待してくださいました。 築後二百年以上と思われる歴史的な建造物、みごとなハーフティンバーの家の前で、Tさんのご主人が出迎えてくださいました。やさしい目をした、あたたかいお人柄がにじみでるような方です。 この家は、ご主人がご自分で手で改造されたのだそうです。 ご主人は鋳鉄でフェンスや街頭名標識、オブジェをつくる職人で、家のかたわらに工房もあります。 家の裏は森で、そこに日本から運ばれた瓦を葺いた、小さな茶室もあります。 ご主人が住む最上階、四階は、トイレのほかはすべての壁を取り払った、とても広いワンフロアです。 広い窓からは。向かいの丘や手前の草原などすばらしい景色が一望に見わたせます。 一階下には、93歳になるご主人のお父様がお住まいで、Tさんは毎日、マンションからこの家に通って、昼食をつくったり、御舅様のお世話をなさっているそうです。 オープン式のキッチンで、Tさんがてきぱきとご飯をたき、酢豚をつくるそばにへばりついて、おしゃべりをしました。 ご主人はチェコの出身で、「プラハの春」が起こる少し前に、お父様とともにオーストリアに亡命し、その後、オーストラリアに移住したのちに、ドイツにやってきて、この地に住み着いたのだそうです。 そして、ドイツでベビーシッターなどをしながらドイツ語を習っていたTさんと知り合い、結婚することになったのです。 「日本から両親が彼に会いにやってくるときには、あわてたわ。だって、当時住んでいたところは、およそ見せられるような代物ではなかったんですもの。日本に連れ戻されるんじゃないかって。 それで、引越していく人が安く売り払う古家具を集めて、住まいをきれいにしたの。その頃は、みごとなアンティーク家具を処分する人が多かったので助かった。おかげで、両親は豪華な家具がととのったアパートを見て、感心して帰っていったわ」とTさん。 Tさんは家事のかたわら、ペット用品の店や通訳のお仕事をし、日本からいらした方々にマンションを開放してお世話をしたり、日本関係のイベントに参加したりと、とてもアクティブな生活を送っています。 驚いたのは、ドイツで生まれた息子さん、D君のこと。16才のころに一人で日本に渡って、横浜のドイツ人学校に通ったというので、くわしく聞いてみると、なんとドイツ学園で私の息子の一学年下に在籍していたのです。 あとで息子に聞いてわかったのですが、いくつかの授業ではいっしょに学んだことがあり、わが息子はD君をよく知っているというではありませんか。世界は狭い! D君はドイツ学園卒業後、医学を専攻してお医者様になられたそうです こうした会話がつづいたあと、Tさんは、ぽろっと言いました。 「私、癌の末期症状なの。もう手術ができない状態」 Tさんが、こともなげに、それどころか微笑みながら打ち明ける言葉の深刻さにショックを受けて、とっさに何も言えませんでした。やっとのことで、 「でも、とってもお元気そう。化学療法も耐えられたのですか?」とうかがうと、 「そうよ。元気よ。化学療法もなんてことなかった。でも、検査はつらいけれど」とTさんは、さらっとおっしゃいます。 ご飯が炊け、下の階から「おじいちゃん」と呼ばれる御舅さまもやってきて、昼食が始まりました。 93歳とは思えないほど肌もつやつやとしたおじいちゃんは 「Tがおいしいご飯をつくってくれて、うれしいよ。チェコ料理も上手だし」とニコニコして箸ならぬフォーク・ナイフが進みます。 「でも、おじいちゃんがつくってくれるチェコの肉料理にはかなわないわ」とやさしく言うTさん。 Tさんの酢豚は、ドイツの中華レストランのとはちがって風味も歯ごたえも味も最高でした。付け合せのキュウリと大根の漬物も、バターをいれてふわっと炊いたご飯も、ひじきのふりかけも、どれもおいしくて、ご飯をおかわりしてしまいました。 デザートはチェコ風のレシピで焼いたアップルシュトルーデル。細かく切ったリンゴにナッツのプードルや香料を混ぜたフィリングをパイ生地で巻いて焼いたお菓子です。ドイツのアップルケーキとは一味ちがった、味わいの深いケーキでした。 それでも、おいしいご馳走や楽しい会話の間も、先ほど聞いたTさんのご病気のことが頭からはなれなくて、けらけらとは笑えなくなってしまいました。 別れ際のあいさつのときにTさんは 「おじいちゃんのためにも、私、長生きしなくっちゃね」と力強く明るくおっしゃいました。この言葉は今も心に残っています。 前向きに生きる、というのはまさにこのことかと思いました。この元気さがあれば、癌も消えてくれるかもしれない、とすら思えてきます。 当然のことですが、健康というのは失ってはじめて、その大切さがわかるものなのですね。 私は、健康に恵まれているくせに、やれ本が売れない、書くことがなくなったなどなど、問題をほじくりだしては、自分を不幸にしている面があるので、大いに反省。 Tさんの姿勢を見習って、前向きに生きなくっちゃ。 今日、御礼のお電話をしたら、Tさんのお元気そうな声が聞こえてきて、安心しました。 Tさん、いつまでもお元気で長生きしてくださいね。おじいちゃんやお孫さんのためにも! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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