フライブルク日記

2010/03/13(土)01:33

もしも、ピアノが・・・・

日常生活(76)

預かり物の古ピアノ posted by (C)solar08 居間にアンティークっぽいピアノがあります。 といっても、わたくしの所有物ではありません。 友だちが新しいピアノを購入して、置き場がなくなった古ピアノを預かったのです。 ところがこのピアノ、音色はよろしいのですが、調律していないので、音程が微妙に狂っているし、もう調律不可能なほど内部が壊れているのです。 無料で引き取ってくれる人は現れず(数人の人が見に来ましたが、みなさん降りた)、処分には運賃も含めて十万円ぐらいかかります。 というわけで、いまだに居間に陣取っています。 昔、大昔、小学校のときにピアノをちょっとだけ習っていました。実家にあった母のピアノも、調律などされたことのない、古ピアノでした。 ピアノを習っていても、練習をしたことはなく、レッスンのときに初見でどたどた弾くだけ。上手になるわけがありません。 それでもソナタアルバムまでいったところで、受験のために止めました。 その後、声楽の方が向いていることを発見し、大学時代(音楽専攻ではないのですが)には、オペラ歌手とかイタリア人のヴォイストレーナーについて、かなり真剣に習いました。 そういえば、このイタリア人神父さんのところには、音大の声楽科の学生とかオペラ歌手とか劇団の人もきていて、音楽の世界を垣間見ることができました。 彼らは年がら年中、歌の話ばかりしていて、別世界の人のように思えました(ぴかままさんは、別よ)。 大学のグリークラブの発表会では、ソロでも歌わせてもらったりして、いい気分になり、「声楽ちゃんと学びたーい」と言ったら、オペラ歌手の先生は、「じゃあ、ローマに留学しなさい」とおっしゃいました。 それは無理、でした。当時の私にはヨーロッパはものすごーく遠い存在で、将来住むことになるなどとは夢にも思いませんでした。そんなお金もなかったし。 でも、長い人生を振り返ってみると、自分が本当にしたいと感じたのは歌うことだけだったような気がします。だからって、歌手になれるわけではないのは明らかですが。 そうしている内に結婚してしまい、歌のことも忘れました。 子どもたちのために、ピアノを買ったのに、弾くことも歌うこともなく、日常生活に追われ、さらにはドイツに来てからは、今の仕事をするようになって、もう音楽は、たまに聞くだけの存在になりました。 ドイツには、105歳になるオペラ歌手がいらっしゃいます。もう盲目になられたのに、まだハリのある声、すばらしいです。 この男性の奥様がテレビで、「頭や体を若く保つのに、ピアノがよろしい」とおっしゃいました。 この言葉が心にひっかかり、ある日、この古ピアノのふたを開けました。 ちょろりと弾いてみました。うー、指が動かない。いまだに暗譜で弾けるのは、ソナタアルバムに載っていたモーツァルトの「ミーファミソーソ、レーミレファーファ、ドード、レーレ、ミーソファミーレ」(イ長調の曲。タイトル忘れました)だけ。 簡単な曲が載っている楽譜を買ってきて、新たに挑戦してみました。でも、左手のヘ音記号を思い出すだけでも四苦八苦。指が思うように動きません。 そこで決心。一日、十分だけでも必ず弾くこと。 でもね、下の階の人が聞いたら、恥ずかしいのよね。一階の男性は、子どもにピアノを教えたり、音大に行きたい人のための準備レッスンもしている音楽家だからねえ。 ま、いいやと開き直り、ドタドタ、ポソポソと弾いています。 母に昔いわれましたが、私のピアノって、ものすごく退屈な響きです。これは指の自信のなさのあらわれだと、自己分析しています。弟はバイオリンを弾いていたのに、たまにピアノのキーをたたくと、すっごく良い響きがしたっけ。この違いは何なんだろう。 でも、面白いものですね。毎日、10分とか15分でも弾いているうちに、指の記憶や音符の記憶がよみがえり、少しずつでも上達していくのですから。 うー、小・中学生の頃にもっと練習すればよかった! 音の狂った古ピアノでも、ないよりはマシなのかな。もうしばらくここに居候させてあげようかしら。

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