カテゴリ:エコライフ
昨日は朝からやかましい音が外から聞こえてきました。ブンブン・ブブブブ・・・。
キッチンでパンをむさぼりながら、ふとベランダの向こうを見たら、目の前(家は三階です)の隣家の屋根のところに男性がいるではありませんか。 ふだんは、視界の隅に「ササッ」と物が動く気配がしたときに見えるのは、餌を置いたベランダにやってくる鳥たち(カラス、ブラックバード、シジュウカラ、ヨーロッパ駒鳥、カケスまで一度来た)なんですが、今日は人間さまよ。 この男性がナニをしているかというと、はしご車みたいなもの(電気工事の職人さんが乗るあれよ、あれ、何て名前なんでしょうか、忘れました)に乗って、お向かいの建物の軒下に繁茂した藤の枝を切っているのです。 私にとっては、春の楽しみ。ブラックバードやシジュウカラの営巣場所になっていた、すばらしいフジです。 半年前にはほら、 (Before) ![]() ベランダの前の藤(お隣のを借景) posted by (C)solar08 こんなに見事な藤の花を楽しませていただいたのに、 いまや (After) ![]() 藤が消えた後の隣家の壁(三階部分) posted by (C)solar08 ベランダから見える「景色」はこんな退屈なもの。 藤の木は ![]() 隣家の切られた藤 posted by (C)solar08 ガレージの軒づたいに枝を張るばかりとなってしまいました。 切った理由はわかるんです。春になって藤はどんどん茂り、その葉が屋根のといに落ちると、樋が詰まるから、その手当てをしなければなりません。 我が家も隣家も古い建物ですから、三階、四階といっても普通のはしごでは届かない所なので、はしご車みたいなのを頼まなければならず、お金がかかるのです。 フライブルクでは、野鳥が営巣する3月から9月までは、営巣場所になっている木を切ることは禁止されています。 繁殖期間が終わり、葉もすっかり落とされた今が「切り時」というわけ。 でもね、寂しいですね。藤の花が見られないのはもちろん、目の前で展開される黒歌鳥(ブラックバード、ツグミの仲間です)の生活を見られなくなるのは。 少しでもいいから、枝を残しておいてくれればいいのに・・・。 などと他人を攻めるわけにはいきません。 実は我が家(私は三階だけ、残り四分の三は一階の人の所有)の西側の外壁にはイヅタ(アイビー)が壁いっぱいにからまっていました。まさにアオガクの「つたのからまる校舎に・・・」(「学生時代」っていう歌、知ってますか?)みたいだったんです。 そのために、樋がつまりそうで、二年に一回は何万円か出して、イヅタの伸びすぎた部分を切ってもらわなければなりませんでした。 それで、ケチな私の提案で、イヅタを「殺す」ことにし、私の指示(一方的な主張)で、一階の男性は根元をすべて切り離したのです。職人さんにすべての取り払いを頼むと高くつくから、自分(私ではなく一階の男性)の手で手早く処理したわけ。 ただし、このイヅタの茂みには野鳥は巣をつくりませんでした。 一年たった今も、枯れて痛々しいイヅタの残骸が壁に張り付いています。 ![]() 枯れた(枯らした)イヅタ posted by (C)solar08 お金をかけて取り払わずに、枯れ落ちるのをひたすら待っている、ケチな私たちです。 でもでも、これには思わぬ効用がありました。 この昇りやすくなったイヅタの階段をつたわって、ベランダにリスがやってくるようになったのです。 この建物は壁が切り立ち、イヅタが生きている間は葉・茎が密に絡み合いすぎていて、さすがのリスも昇れなかったようです。 ある日、視界の隅に赤茶色の影が見えたと思ったら、リス君がベランダのテーブルの下でこちらをうかがっていたというわけ。 これからヒマワリの種とか胡桃で手名づけてあげようと楽しみです。 ところで、昨日はもう一つ、悲しいニュースがありました。 私が住んでいる通りと、次の通りとの間で「名物」となっていたクラウスという男性がいました。 ![]() クラウスのなわばりだった一画 posted by (C)solar08 ドイツ人とアフリカ系アメリカ人との間に生まれたとかで、浅黒い肌の気のいいおじさんでした。 クラウスは別の地区に住んでいたのですが、↑の写真の一画を愛し、そこの植物たちが好きで好きでたまらないようで、写真の通りの真ん中あたりの建物の地下室を借り、自分の作業所みたたいにして、この通りの街路樹の根元部分の手入れをしたり、そこにバラを植えたりしていました。 そして、この地区に住む色々な人に頼まれて、小額の謝礼で、家の前の落ち葉掃除を請け負ったり(ドイツでは、歩道はそれぞれの家の所有者や住人が掃除する義務があります)、イヌの散歩をしたり、庭の手入れや引越しの手伝いをしたりと、この地区の人々にとっては「親切な便利屋さん、町をきれいにしてくれる人」だったのです。 クラウスはとても気さくな人で、会うたびに「元気かー、旦那によろしく」と声をかけてくるので、こちらも毎回「旦那じゃないよー」と答えるなど、気軽に話していました。家具運びを手伝ってもらったこともあります。 今年のある夏の日、ベランダにいたら、隣(藤の木の家でなく、ベランダの右側の家、我が家は角地)から「おーい」と声が聞こえました。 この家のすっごく広いベランダにクラウスが立っているではありませんか。 「そこでなにしてんのー?」と聞くと、 「この家の住人がヴァカンスに行っている間、植物の水遣りとか留守番を頼まれたんだ。 あー、すばらしい。こういう家に住めたら、どんなに幸せだろう」と、ベランダの前に大きな枝を広げているモミの木や菩提樹の木を見上げて、感動の声を上げていました。 この言葉が今も耳に残っています。 クラウスは一昨日に亡くなったそうです。 脚が壊疽になっていたらしいのです。これも知らなかったことですが、彼は眠っている間に死ぬのが怖くて、夜も眠らず、昼間に立ったまま居眠りすることもあったとか。 毎日のように出会うクラウスの姿がこの地区から消えて、多くの人が寂しい思いをしています。 次の角のカフェのマスターが、お弔いのために誰もがお線香ならぬキャンドルを点せるようにしてくれたそうです。 クラウスは急死する数日前までも、通りを掃除しておいてくれたようで、写真のように、通りはクリスマスを迎える今日も、すっきり清潔です。 クラウス、ありがとう。ベランダで目の前の木を見上げるたびに、あなたを思い出すよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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