フライブルク日記

2012/03/18(日)21:20

野ネズミの一生、人間の一生

日常生活(76)

今日は雨が降っています。 イタリアの古い「歌謡曲」を聞きながら、パソコンで「温室効果ガスの排出の要因と推移」などという楽しくない資料を読んでもすぐに気は散って、窓の外のしとしと降る雨を見ていたら、どういうわけか、x十年前に観察/捕獲していた野ネズミ、とりわけ、森に住むアカネズミやヒメネズミのことを思い出し、雨の降る富士の樹海で何をしているだろうと空想の世界に入ってしまいました。 折からCDの歌は「I like Chopin」という曲。昔、なんとかいう女の子が日本でも歌ってましたね。この曲の中の「 rainy days never say goodbye」というフレーズだけが耳に入ってきて、雨にぴったり。 なんとなく物悲しくなります。 で、野ネズミなんですが、大学の卒論では、先生だった元夫の指導で「ヒメネズミの成長」をテーマに書きました。 富士山麓で生け捕りしてきたヒメネズミを飼って、妊娠していた状態でとらえられた雌が赤ん坊を産むと、毎日その赤ん坊を巣からこっそり取り出して、計測したり、行動の変化を記録して、成長過程や様子を書いたのです。 これに何の意味があるかは?ですが、当時の国内外の論文や本にも、野ネズミ一般でも、子供の成長についての記録が少ないので、まあ、出す意味はあったというか、、、。 これはこれで面白くて、母親が死んでしまって孤児となった赤ん坊ネズミにスポイトでミルクをやったり、冷えないように懐に入れて持ち歩いたこともあります。 野ネズミ(家ネズミもですが)は約15日で若者に成長し、巣立ちします。つまり母親なしでも自分で餌を探し、生きていけるようになります。 野ネズミの生け捕りのために、よく富士山の樹海でキャンプして、生け捕りわなを森の中にしかけました。 やっているうちに、アカネズミ(開けた森林にすみ、おもに地上を動く)やヒメネズミ(暗い森林にすみ、おもに樹上で生活、細い枝でもするすると走ることができる)の生活のかいまが見えてきます。 夕方になると木の根元の洞穴なのでの巣から出てきて、地上や樹上の木の実などの餌を探しに出かけるの。 雨の日はどうしているんだろう。 葉のかげなどにじっとして、ひたすら雨があがるのを待つのでしょうか。 それとも、雨が少なくなったら、出かけるのかな。 ヒマワリの種やオートミールをまいて、ネズミたちが食べにくるのを観察したことも何度かあります。 息子が5才ぐらいのとき、富士山麓の森でずっと、じっと待っていたら、息子の目の前にヒメネズミがあらわれて、彼の前に立てられた(彼の父親の手で)棒をするするのぼって、小さなメッシュのかごに入れておいた種を食べ、綱渡りのように水平に張っておいた針金を歩いてわたってしまいました。 息子はネズミを驚かさないように、びくとも動かずにじっと静かに、ネズミを見つめていたっけ。 「ネズミはね、さて腹が減ったから餌でも探そうかと、外に出たと思ったら、一瞬でフクロウの爪にかけられて、フクロウに食べられてしまうことが多いのさ。 人生というのははかないもの。ネズミの一生と同じ。 生まれ、成長し、餌を探し、繁殖し、あるときポンと死んでしまう、それだけのこと。それ以上を望んではいけないんだ」 元夫が言ったこの言葉がいつまでも耳に残っています。 毎日、食物を探して、食事を用意して、おいしく食べられて、、、、眠る場所があって、雨宿りの場所があって、、、、それ以上を望んではいけないのかもしれません。 人生には何かすっごく大きなことが待っているような気がした時期もありましたが、前はすっごく大きな事に思えた事が実現してしまうと、「なんだ別にたいしたことではなかった。バゲットが焼けたときの感動とあんまり変わらないじゃん」と気抜けすることも多いのです。 ネズミは人生に大きな期待をかけることもなく、毎日けんめいに餌を探しに出かけ、ちょっとした物音でもさっと身をかくして、フクロウなどの天敵から身を守り、また恐る恐る物陰からでてきて、餌探しを続けるという生活をして、あるときぽんと誰かにつかまって死んでしまうだけ。 それでいいんですね。 富士の樹海の物陰で、ヒメネズミがひくひくと鼻を動かしている姿が目に浮かびます。 あ、今とつぜん思い出した。 あの歌を日本で歌ったほっそりした女性は、小林麻美さんという名前でした。 ネットで見たら、歌の日本でのタイトルは「雨音はショパンの調べ」だって。 余計なこと心配しないで、資料読みに専心しなければと知りつつ、想いは色々なところに飛んで行く。

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